文芸誌創刊
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カスーはフランス語・スペイン語のバイリンガルの環境で育ち、母を通じてスペイン伝統文化に親しんだ。父が死去すると家計を助けるために仕事を転々とし、やがて文芸誌『メルキュール・ド・フランス』の事務員として採用された。仕事の傍ら学業を続け、1917年にバカロレアを取得。ソルボンヌ大学に入学し、スペイン語を専攻した。在学中にジョルジュ・ピユモン(フランス語版)(後に作家、スペイン文学研究者)、アンドレ・ヴュルムセル(フランス語版)(後に著述家、カスーの姉ルイーズと結婚)と文芸誌『スカラベ』および後続誌『パリ文学』を創刊した。1919年には象徴主義の詩人ピエール・ルイスの秘書を務めた。文学と美術(特に近代美術)に関心を深め、1920年に初めて文芸誌『文学生活』10月号に「キュビスムと詩」という記事を発表。1921年から『メルキュール・ド・フランス』誌の「スペイン文学」コラムを担当した。26歳で試験に合格して公教育省の文案起草者として働く傍ら、「精神のアナキスト」を自称し、パリ文学界で活躍した。
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