參與とは? わかりやすく解説

さん‐よ【参与】

読み方:さんよ

[名](スル)

事業・計画などにかかわること。また、その相談を受けること。「開発計画に—する」

人民自家の権利自覚して自ら国政に—しようというので」〈魯庵社会百面相

学識経験者行政事務参加させる際の職名。「内閣—」

慶応3年12月9日1868年1月3日)、王政復古の大号令発布の際に置かれ官職総裁議定(ぎじょう)とともに三職の一。明治2年(1869)廃止


参与

読み方:サンヨsanyo

三職の一。事務担当慶応3年設置


参与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 05:28 UTC 版)

参与(さんよ)とは、事務・職務に参画する意。参預賛与とも。

一般的用法

組織経営において、経営者を補助する立場にある者に対し冠せられる職称である。

日本の会社においては、取締役役員理事といわれる、いわゆる経営幹部の下位にあって業務管理を行うものについて用いられる。同様の職に「参事」があり、職階として理事(級)-参与(級)-参事(級)とし、いわゆる管理職を構成する例も多い(但し、法定されているものではないので、呼称は区々であり、参与・参事が入れ替わることもある)。

現代日本国政府における用法

有識者を特定の行政事務における相談役として任命し、非常勤の国家公務員の地位を与えたもの。「内閣官房参与」「内閣府政策参与」「防衛大臣政策参与」等。いわゆるブレーンであるが、類似した役割を持つ「特命顧問」より政策決定における比重は高くない。

以下に、内閣府における取り扱いを例示するが、内閣府のみならず各省庁において同様の規程を有している。

本府に、参与を置くことができる。

2 参与は、重要な府務(宮内庁、公正取引委員会、法律で国務大臣をもってその長に充てることと定められている機関及び金融庁の所掌に係るものを除く。)のうち特に定める重要な事項に参与する。

3 参与は、非常勤とする。 — 内閣府本府組織規則、第五十四条

特に内閣官房参与には、知識人や国政上の重要人物を起用する傾向にある。しかし、起用人事の乱発、責任の曖昧さ、国政に与える影響の大きさなど、課題も少なくない。

幕末の「参与(参預)」

参預会議(朝廷参預)を参照。

明治時代の「参与」

明治政府
参与
さんよ
所属機関 -(三職)
議政官上局(慶応4年4月21日)
行政官(明治2年5月15日
上官 議定
所在地 京都府京都市上京区京都御苑
石薬師通一乗院里坊[注釈 9](仮設参与役所、慶応3年12月11日[2]
西殿町九條家裏方[注釈 12](参与役所、慶応4年正月14日[3]
京都府京都市中京区二条城町
二条城内(参与役所、慶応4年正月26日[4]
禁中(二条城)(太政官代、慶応4年閏4月21日)[5]
東京太政官、明治2年2月24日[6]
任命 天皇
明治天皇
根拠法令 王政復古の大号令[7]
政体書[8]
公選法ヲ設ルノ詔書並政体改刪[9]
創設 1868年1月3日
慶応3年12月9日[7]
初代 大原重徳万里小路博房長谷信篤岩倉具視橋本実梁[7][10]
藩士:岩下方平西郷隆盛大久保利通丹羽賢田中輔辻維岳、櫻井元憲、久保田秀雄、中根師質酒井忠温毛受洪後藤元燁神山君風福岡孝弟[11]
最後 東久世通禧木戸孝允後藤元曄大久保利通副島種臣板垣正形[12]
廃止 1869年8月15日
明治2年7月8日[13]
俸給 月金500(慶応4年3月[14]
月金250両(慶応4年5月13日[15]
月金300両(慶応4年6月13日[16]
月金600両
(明治元年12月14日、京都)[17]
(明治2年正月4日、東京在勤)[18]
月金300両(明治2年正月晦日[19]

参与(さんよ)は、明治時代初期新政府に設置された官職

1868年1月3日(慶応3年12月9日)の王政復古の政変によって新設された三職の一つで総裁議定に亜ぐ[7]堂上の廷臣及び諸藩士によって構成されていた[7]。また同じ参与でも堂上は上の参与、諸藩士は下の参与と呼ばれた[20]。徴士である下ノ参与の会議は下議院または下の議事所と呼ばれていた[21]。下の参与は西南雄藩出身の有力藩士たちであったので、維新政府の実質的な指導部はここにあった。

なお、議奏武家伝奏等の廃止に伴う暫定的な職制で、これまでの武家伝奏の職務は差し当たり参与が取り扱うことになり、参与役所を設けて堂上の参与5人がこれを担当した[2]。また、これまでの議奏の職務は、当初は議定の輩一人つづこれまで通り議奏の如く林和靖間に詰させたが[22]、後に堂上に参与職林和靖間詰を命じて旧議奏商量の事務を管させた[23][24][25]

戊辰戦争が始まると1868年1月28日(慶応4年正月4日)に参与の西園寺公望を山陰道鎮撫総督として参与故の如しとした[26]。また、内戦状態になっていることから海外各国の御処置急務とし同年2月2日(同年正月9日)に外国事務総裁を置き、その下に外国事務掛を置いてこれを議定兼副総裁の三条実美と共に参与の東久世通禧岩下方平後藤象二郎に兼勤させた[27]

1868年2月10日(慶応4年正月17日)に三職七科制を導入すると、参与は事務を参議し各課を分務するとした[21]。参与は事務各課の掛を兼ねたが[28]、ただし事務各課の総督は議定の外に上の参与がこれを兼ねることがあった[29]。 同年2月25日(同年2月3日)に三職八局の職制では新たに総裁局を置き従前の七科と合わせ八局として、参与職は公卿諸侯・徴士を之に任ずとし、参与は総裁局の顧問や弁事、各局の判事に充てた。ただし各局の輔・権輔は議定の外に堂上の参与や諸侯世嗣の参与を以てこれに充てる場合があり、また各局の権判事は参与職に任じていない徴士の外に堂上の参与を以てこれに充てる場合もあった[30][31]

1868年6月11日(慶応4年4月21日)に政体書に基づく官制に移行して新たな参与を議政官上局に置き、参与は公卿・諸侯・大夫・士・庶人を以て之に充てると定めて官等は第二等官とし、参与は議定と同じく法律の制定、条約の締結、和戦の宣告、三等官以上の人事を司った[8]。このとき、これまでの三職や林和靖間詰を廃止し[32][33]、官制改定により議定・参与等は改任された。また前参与より弁事、副知官事、判官事に転任した者もいた[34]。従前は議定職であった諸侯が後に参与となることもあった[31][35]。1868年11月3日(明治元年9月19日)に参与は行政官に属するものとされたが[36]、翌1869年5月23日(明治2年4月12日)に上局に戻されるなど複雑な変遷を遂げる[37]

1869年6月22日(明治2年5月13日)の政体改刪で議定と参与は行政官に属し、また同日より官吏公選を行い参与が改選される[9]。その結果、定員6人の参与には東久世通禧(前議定)、木戸孝允後藤元曄大久保利通副島種臣板垣正形が選出された[12]。同年8月15日(同年7月8日)の職員令によって廃止され[13]、新たな官制における参議の多くは副島種臣などの前参与が任ぜられた[38]

  • 非蔵人地下人
    鴨脚光長、中川元績、松尾相永、松尾相保、松室重進、吉田良栄

日本相撲協会の参与

  • 1959年昭和34年)に日本相撲協会は参与の階級を制定した。職階上は主任と年寄の間だった。当初は理事や勝負検査役の経験者など幹部や準幹部を処遇する為の階級だったが、次第に病気療養の年寄が任命されるようになった。1996年平成8年)以後、任命者はゼロで2007年(平成19年)1月に日本相撲協会寄附行為が改正され廃止となった。しかし2014年(平成26年)11月16日の理事会で希望する年寄に限り65歳の定年後も70歳まで再雇用する新規定を承認し、参与とすることとなり復活した。

脚注

注釈

  1. ^ 旧公家町の二階町は明治19年に廃止された旧町名で、石薬師通寺町西入二筋目下ル広小路までの町であった。石薬師通より南へ下り途中で道幅の分、西へずれて現在の京都迎賓館の東側あたりを経て京都仙洞御所へ至った[1]
  2. ^ 旧公家町の中筋は明治19年に廃止された旧地名で、石薬師御門内より清和院御門内までの道であった。石薬師通より南へ下り現在の京都迎賓館の西側を経て京都大宮御所へ至った[1]。ただし、この中筋は現在の京都市上京区中筋通石薬師下る新夷町(郵便番号602-0843)とは異なり、或いは、京都市上京区中筋通千本東入南辻町(郵便番号602-8466)より京都市上京区中筋通大宮西入薬師町(郵便番号602-8442)へ至る中筋通とも異なる。
  3. ^ 京都市上京区京都御苑の西側に烏丸通へ面して乾御門がある。この御門はかつては現在と比べて東よりで烏丸通より1丁未満のところにあって、乾御門内は京都御所の北西の辻であった。かつての乾御門内より東へ入ると石薬師通であって、南へ下ると唐門前通であった。かつての乾御門外より旧公家町の鎗ノ辻子(ヤリノ図子)を北へ上ると今出川通へ至って、西へ入ると旧公家町の梅屋町(梅ヤ町)を経て烏丸通へ至った。
  4. ^ 旧公家町の梨木町は明治19年に廃止された旧町名で、石薬師通寺町西入一筋目下ル広小路までの町であった。現在の京都市上京区梨木通石薬師下ると比べて南側が西へよる[1]両側町の東頰は現在の染殿町(郵便番号602-0844)になり、その西頰は現在の京都御苑(郵便番号602-0881)になる。ただし、この梨木町は現在の京都市上京区梨木町(郵便番号602-8237)とは異なる。
  5. ^ 旧公家町の東端は寺町通にあたる。
  6. ^ 梶井宮邸は京都市上京区河原町通今出川下る梶井町(郵便番号602-0841)になる。
  7. ^ 京都市上京区京都御苑の東側に梨木通へ面して石薬師御門があり、石薬師通はこの御門の東西へ通っていた。この御門はかつては現在と比べて1ほど西よりにあって、旧公家町の二階町[注釈 1]は石薬師御門外であった。石薬師御門内より石薬師通を西へ入ると旧公家町の中筋[注釈 2]猿ヶ辻、朔平門外を経て乾御門内[注釈 3]へ至った。旧公家町の二階町より石薬師通を東へ入ると、旧公家町の梨木町[注釈 4]寺町通[注釈 5]を経て梶井宮[注釈 6]へ至った。ただし、石薬師通は京都市上京区石薬師町(郵便番号602-8226)を通らない。
  8. ^ 京都市上京区京都御苑の北側に今出川通へ面して今出川御門がある。今出川御門内より南へ下ると京都御所朔平門へ至り、今出川御門外より北へ上ると相国寺総門へ至る。
  9. ^ 一乗院里坊は旧公家町の中を通る石薬師通[注釈 7]に面し朔平門外より東へ入りその北側にあった。一乗院宮御里坊より石薬師通を隔て南に禁裏御所があり、朔平門外の南北の道[注釈 8]を隔て西に御摂家近衛殿があった。一乗院宮御里坊の北に接して桂御所があって、東に接して河鰭殿があった。
  10. ^ 京都市上京区京都御苑の南側に丸太町通へ面して堺町御門がある。この御門はかつては現在と比べて北よりで丸太町堺町より1未満のところにあった。堺町御門内より北へ上り丸太町通より1丁半以上のところで西に旧公家町の西殿町、東に旧公家町の東殿町があって、丸太町通より2丁ほどで広橋殿へ至った。
  11. ^ 旧公家町の西殿町は明治19年に廃止された旧町名で、下立売通烏丸東入より堺町御門通までの町であった。京都市上京区京都御苑の西側に烏丸通へ面して下立売御門がある。この御門はかつては現在と比べて北東よりで烏丸下立売より半ほど東にあった。かつての下立売御門内より南へ下り半丁未満のところで東へ入ると西殿町を経て堺町御門内へ至った。
  12. ^ 御摂家九條殿は旧公家町の堺町御門内より北へ上る堺町御門通[注釈 10]へ面してその西側にあって、九條家裏方は堺町御門内より北へ上り一筋目を西へ入り旧公家町の西殿町[注釈 11]の南頰にあった。九條殿の南に接して丸太町通がある。九條殿より東には堺町御門外に倉橋殿があって、堺町御門内に御摂家鷹司殿があった。九條殿より北には旧公家町の西殿町の北頰に五條殿千種殿五辻殿があった。九條殿の西に接して大覚寺宮御里坊、花山院殿閑院宮があった。

出典

  1. ^ a b c 京都市埋蔵文化財研究所 編「§2 位置と環境」『平安京左京一条四坊九町跡』(pdf)京都市埋蔵文化財研究所、京都〈京都市埋蔵文化財研究所発掘調査概報 ; 2002-8〉、2002年9月、11頁。CRID 1970023484850156037国立国会図書館書誌ID: 000004231589全国書誌番号: 20471605https://www.kyoto-arc.or.jp/news/chousahoukoku/2002-08honbun.pdf2025年8月24日閲覧。「"図10 江戸時代前期公家町復元図(1:4000)"」 
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  21. ^ a b 内閣官報局「【第36】三職分課職制ヲ定ム 明治元年(慶応4年)正月17日」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1887年10月、15-17頁。doi:10.11501/787948NDLJP:787948/56 
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  29. ^ 「神祇内国外国海陸軍会計刑法制度ノ七科総裁以下ノ任命」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070196400、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第二十六巻・官規・任免二(国立公文書館)
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  31. ^ a b 「三職八局ヲ置キ総裁以下拝任」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070198100、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第二十六巻・官規・任免二(国立公文書館)
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  34. ^ 「官制改定ニ因リ議定参与弁事及諸官知事等ノ職ヲ改任ス」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A15070208200、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第二十七巻・官規・任免三(国立公文書館)
  35. ^ JACAR:A09054446900(第5画像目から第6画像目まで)
  36. ^ 内閣官報局「【第760】姑ク議政官ヲ廃シ議参両職以下ヲ行政官ニ併セ議事ノ体裁取調局ヲ設ク 明治元年9月19日 行政官」『法令全書』 慶応3年、内閣官報局、東京、1887年10月、299頁。doi:10.11501/787948NDLJP:787948/200 
  37. ^ 内閣官報局「【第353】姑ク議政官ヲ廃シ別ニ議事取調局ヲ開ク 明治2年4月12日」『法令全書』 明治2年、内閣官報局、東京、1887年10月、145頁。doi:10.11501/787949NDLJP:787949/109 
  38. ^ JACAR:A09054446900(第29画像目)

参考文献

  • 「職員録・明治二年・官職通鑑巻二」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.A09054446900、職員録・明治二年・官職通鑑巻二(国立公文書館)

関連項目


参与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 05:33 UTC 版)

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」の記事における「参与」の解説

2014年6月13日現在。武藤敏郎事務総長助言する立場として置かれた。 上治丈太郎 乙武洋匡 加賀見俊夫 真田但木敬一 田中直毅 田中子 夏野剛 林真理子 間野義之 安井順一 山崎孝明

※この「参与」の解説は、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」の解説の一部です。
「参与」を含む「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」の記事については、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」の概要を参照ください。

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参与

出典:『Wiktionary』 (2021/08/13 03:14 UTC 版)

名詞

(さんよ)

  1. 重要事業などに関わり合うこと。
  2. 学識経験者行政事務従事させるときの職名
  3. 歴史明治初年中央政府役職名一つで、総裁議定とあわせ三職といったもの。

発音(?)

さ↘んよ

関連語

翻訳

動詞

活用

サ行変格活用
参与-する

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