石山基正とは? わかりやすく解説

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石山基正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 13:41 UTC 版)

 
石山基正
石山基正
時代 江戸時代後期 - 明治時代
生誕 天保14年4月7日1843年5月6日
死没 明治27年(1894年12月28日[1]
別名 通称:亀麿[1]
主君 孝明天皇明治天皇
氏族 石山家
父母 父:石山基文
澤延子(澤為量の次女)
基則、正子、姉小路公政、晨子
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石山 基正(いしやま もとなお)は、幕末公家、明治期の官僚華族子爵)。

経歴

山城国京都石山基文の長男として生まれる[1]安政3年12月7日1857年1月2日)に元服し昇殿を許され、安政4年5月15日(1857年6月6日)右兵衛権佐となる[1][2]元治元年6月1864年横浜鎖港督励の三八卿連署に加わり、また、元治元年7月19日(8月20日)の禁門の変では父・基文と共に長州藩側として動き、参朝停止、他人面会・他行の禁止を命ぜられた[1]慶応3年1月1867年)赦免となる[1]

慶応3年12月9日1868年1月3日)王政復古を迎え、同年12月22日(1月16日)三職書記御用掛となる[3]。以後、参与助役、参与・会計事務局判事加勢、参与・会計事務局権判事、弁官事候所出仕、宮内省出仕、宮中勤番、雅楽局出仕・助准席、式部寮御用掛、式部寮八等出仕、雅楽部副長兼掌典などを歴任[1][3]

父・基文の死去により、1891年12月10日、子爵を襲爵した[4]

系譜

基本、『平成新修旧華族家系大成』, p. 127–128を参照している。

  • 父:石山基文
  • 母:不詳
  • 妻:石山延子 - 澤為量次女
    • 長男:基則 - 子爵、陸軍輜重兵大尉。妻の吉子は大炊御門幾麿の妹[5]
    • 長女:正子 - 北畠通城の妻、のち離縁
    • 二男:公政 - 姉小路公義養子、旧名・基遂
    • 三女:晨子(1877 - ) - はやこ、綾小路家政(大炊御門幾麿の弟)の妻[5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『明治維新人名辞典』, p. 78.
  2. ^ 『石山家譜』.
  3. ^ a b 『百官履歴』, p. 265–267.
  4. ^ 『官報』第2536号、明治24年12月11日。
  5. ^ a b 大炊御門幾麿『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

参考文献

日本の爵位
先代
石山基文
子爵
石山家第2代
1891年 - 1894年
次代
石山基則



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