61周年記念海祭
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最初の海峡両岸の太平輪沈没事故の遺族による海祭式典が長天傳播代表の洪慧真と「太平輪一九四九」の作者の張典婉によって行われた。 海祭は半年以上計画されてきたが天候要因が船舶の出航に影響し、また生存者や遺族の大半は70歳以上の高齢者であるため安全を第一に考えて当初の開催日の2日後に開催された。 2010年5月25日午前7時、舟山諸島の嵊泗港を出発した海祭用の船舶が太平輪沈没地点─白節山海域へ到着し洪慧真が式典を主催のもと、遺族やその親戚や友人が沈没地点に千本の白菊の花や遺族の一人の黄似蘭氏が準備してきた千羽の折り鶴を供え犠牲者への哀悼や記念の意を表現した。 それから生存者がオーストラリア軍艦に救出された場所へ行き、遺族やその親戚や友人が海祭に参加した生存者─葉倫明氏と王兆蘭氏とともに50本の赤いバラを供え、生存者の祝福や重生の意を表現した。 式典終了後、同日正午ごろ嵊泗港に戻り海祭は無事に終了した。 而發起人之一張典婉,因海祭時間延後,與原訂行程衝突,惋惜無法參與當天海祭儀式,缺席的她也向白節山海域方向遙寄祝福。
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