全国人口調査と推定人口とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 全国人口調査と推定人口の意味・解説 

全国人口調査と推定人口

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:09 UTC 版)

江戸時代の日本の人口統計」の記事における「全国人口調査と推定人口」の解説

全国人口調査享保の改革一環として享保6年1721年)に始まった享保6年旧暦6月21日付の布達には、「諸国領知々、田畑町歩、郡切に書記、並百姓町人社人男女僧尼等其外之者に至る迄、人数都合領分限に書付、可被差出候。奉公人又者は不及書出候。惣而拝領高之外新田高は不及記、町歩計可被書出候。但無高に而反別計之新田も可為同前云々。」とあり、田畑面積調査人口調査同時に行われたしかしながらこの布達により再検地への疑念などの混乱生じため、続く旧暦6月29日布達で、田畑面積調査に関して結局公認町歩書きあげれば良いとし(この時の調査結果に関して石高#享保6年田畑数参照)、人口調査に関して過去の詳しい調査代用し良いこと、武家方である「奉公人又者」は人口調査対象外とし、何歳上の調査であるかを記載すること(逆に言えば乳幼児未成年人口除外御領幕府直轄領)の代官私領大名・旗本裁量委ねられた)などが定められた。調査結果報告猶予8月までと短期間であったが、地方への交通手段伝達方法限られていたため、度重なる遅延あったようである。 2回目人口調査実施され享保11年1726年)では田畑面積調査行われず人口調査のみが6年毎に実施されるようになった以降人口調査6年の子午年実施されたが、最初享保6年1721年)の人口調査は子午年相当しない臨時のもの辛丑)であるため、これを正式な第1回諸国人数調査とみなさない識者もいる。 調査結果は「諸国人数帳」としてまとめられた。例え国立公文書館所蔵雑載』巻二十五「諸国人数諸国郡名」に収録の「寛政午年 諸国人数帳」では以下のように寛政10年1798年)の人口旧国別、男女別に集計されている。 「 寛政午年[午改]諸国人数松浦越前守 菅沼下野守諸国人数之儀御領御代官私領領主より 去る子年之通当午年改春中より十二月書付差出集之壱冊に成候事一男女人数拾五歳迄之内領主にて相改候格例を以 改出候に付年齢不同有之候事一御朱印地除之寺社領人数諸国人数 之内に籠り候事一江駿河京大奈良伏見大津長崎等之 町屋地子免許之場所並諸国城下町地子 免許之地之人数も勿論惣人数に不漏事一朱書を以記候高は元禄年中国所より差出御帳を以相記候事一向後も相触候に不及子年より午年前々之通 相改差出候積之事一武家方奉公人又者諸国人数之内除候事 (朱書)高弐拾弐四千弐百五拾七石一 人数四拾八万九百九拾三人 山城国 内弐拾五万三百四拾三人 男 弐拾三万六百五拾人 女 (朱書)高五拾四百九七石一 人数三拾四万四千四拾三人 大和国 内拾七万六九百八拾三人 男 拾六七千六拾人 女(中略) (朱書高無し一 人壱万三千七百八拾六人 対馬国 内拾七千弐百七拾五人 男六千五百拾壱人 女(朱書高都合弐千五百七拾八万六千八百九拾五石諸国人数都合千五百四拾七千三三人千三百三拾六五百弐拾人 男 千弐百拾壱五百三人 女 以上 寛政午年十二月このような形式諸国人数帳の写本幾つか残っているが、前文として箇条書きでかかれている内容はほぼ毎回同じである。すなわち6年毎の人口調査関し実際調査月日は春から11月天明以降12月)までとしか定められておらず、各代官領主任されている。未成年人口に関しては、15歳以下についてはそれぞれの調査地域での慣例に従って集計することになっており、「武家方奉公人又者」が除外人口とされている。また、元禄郷帳石高天保11年以降天保郷帳石高)が併せて記載された。幕府での実際集計作業調査年の翌年ずれ込むことも多かったらしく、諸国人数帳に記載年月翌年となっている場合もある。 諸国人数帳は総ての年度で残っているわけではないが、諸国人数帳から抽出され人口データ転載されることで、必ずしも完全ではないにせよ一部数字が残るケースがある。以下幕府史料雑記記録として残っている幕府調査による総人口男女別人口をまとめる。実際人口はこれらの幕府調査人口領民人口)よりも多いはずだが、除外人口脱漏人口補正するために、幕府調査人口に対して17%(ビラベン, 1993年)または20%鬼頭, 1996年上乗して推計され総人口参考までに列挙する。また『三暇謾録』には享保6年1721年)から天保5年1834年)まで、6年毎に調査され武蔵国人口記載があり、弘化3年1846年)までの武蔵国領民人口変遷を完全に再現できるため、参考までに本表掲載する第4回元文3年1738年)、第16回文化7年1810年)、第17回文化13年1816年)の人口調査に関しては、総人口記録残っていない。 江戸時代全国人口調査調査回次調査年次西暦総数男女出典Biraben(1993年推計総人口鬼頭1996年推計総人口武蔵国領民人口第1回 享保6年 1721年 26,065,422国中人数石高之事」(『三暇謾録』;須田昭義「徳川時代人口に関する資料引用)「享保六丑同十一午同十七子 年諸国人数高書付」(『竹橋余筆別集』巻八) 30,496,900 31,278,500 1,903,316 第2回 享保11年 1726年 26,548,998 「享保六丑同十一午同十七子 年諸国人数高書付」(『竹橋余筆別集』巻八)「享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻31,104,400 1,807,783 第3回 享保17年 1732年 26,921,816 14,407,107 12,514,709享保六丑同十一午同十七子 年諸国人数高書付」(『竹橋余筆別集』巻八)「享保十七子年十二月 日本国十五歳上人別高」(乙巳雑記』壱)「享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻31,498,500 1,850,599 第4回 元文3年 1738年 n.a. 1,737,205 第5回 延享元年 1744年 26,153,450 『官中秘策巻之一 30,599,500 1,787,021 第6回 寛延3年 1750年 25,917,830 13,818,654 12,099,176 『官中秘策巻之一巻之五享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻30,323,900 31,010,800 1,771,214 第7回 宝暦6年 1756年 26,061,830 13,833,311 12,228,519地理誌 第六」(『国史』巻二十三)『官中秘策巻之一日本国沿革考」(『吹塵録上巻30,502,700 31,282,500 1,774,064 第8回 宝暦12年 1762年 25,921,458 13,785,400 12,136,058 「享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻30,328,100 1,737,158 第9回 明和5年 1768年 26,252,057 「享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻30,714,900 1,753,994 第10回 安永3年 1774年 25,990,451享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻30,408,800 1,707,719 第11回 安永9年 1780年 26,010,600享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻30,432,400 1,702,784 第12回 天明6年 1786年 25,086,466 13,230,656 11,855,810天明寛政人数帳」(『日本経済大典第四十八巻)「享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻29,351,200 30,103,800 1,626,968 第13回 寛政4年 1792年 24,891,441 13,034,521 11,856,920 「寛政子年 諸国人数帳」(国立公文書館内閣文庫所蔵雑載』巻二十五「諸国人数諸国郡名」)「享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻『甲子夜話』八十29,123,000 29,869,700 1,634,048 第14回 寛政10年 1798年 25,471,033 13,360,520 12,110,513寛政午年 諸国人数帳」(国立公文書館内閣文庫所蔵雑載』巻二十五「諸国人数諸国郡名」)『寛政午年 文政午年 諸国人数帳 二冊』(国文学研究資料館所蔵)「享保十一ヨリ弘化三年迄 子午改全国人口」(『吹塵録上巻『甲子夜話』八十29,801,100 30,565,200 1,666,131 第15回 文化元年 1804年 25,621,957 13,427,249 12,194,708 「天明寛政人数帳」(『日本経済大典第四十八巻)「文化元甲子年 諸国人数調」(『吹塵録上巻)「諸国人数帳」(井上瑞枝大日本国古来人口考 (第三)」引用等) 29,977,690 30,746,400 1,654,368 第16回 文化7年 1810年 n.a. 1,674,669 第17回 文化13年 1816年 n.a. 1,675,300 第18回 文政5年 1822年 26,602,110 13,894,436 12,707,674 『寛政午年 文政午年 諸国人数帳 二冊』(国文学研究資料館所蔵)「諸国」『徳川理財会要第五門 地方 巻三十一 戸口ノ部 31,124,500 31,913,500 1,694,255 第19回 文政11年 1828年 27,201,400 14,160,736 13,040,664 『嘉永五年壬子闔国人別寄帳写』(井上瑞枝大日本国古来人口考 (第四)」引用)『武家必覧 泰平年表巻之三十一諸国」『徳川理財会要第五門 地方 巻三十一 戸口ノ部『文恭公実録巻之三 31,825,600 32,625,800 1,717,455 第20回 天保5年 1834年 27,063,907 14,053,455 13,010,452 篠崎亮「天保五年調査諸国人数帳」『諸国人数』(国立国会図書館所蔵31,664,800 32,476,700 1,714,054 第21回 天保11年 1840年 25,918,412 13,359,384 12,559,028 『諸国人数帳』(東京大学法学部法制史料室所蔵31,102,100 1,721,359 第22回 弘化3年 1846年 26,907,625 13,854,043 13,053,582弘化丙午諸国人数調」(『吹塵録上巻31,481,900 32,297,200 1,777,371 明治3年7月 1870年 32,794,897 16,733,698 16,061,199 庚午概算全身対象明治5年1月29日 1872年3月8日 33,110,825 16,796,158 16,314,667 壬申戸籍全身対象) 1,943,211 なおこれらの人口何れも琉球国人口含まないまた、吹塵録』を編纂した勝海舟によると、第23回諸国人数調査に当たる嘉永5年1852年)の調査結果については、翌年黒船来航徳川家慶崩御混乱により最終的な集計が行われなかったという。但し藩によっては嘉永5年安政5年1858年)、元治元年1864年)の領民人口調査結果残っている。

※この「全国人口調査と推定人口」の解説は、「江戸時代の日本の人口統計」の解説の一部です。
「全国人口調査と推定人口」を含む「江戸時代の日本の人口統計」の記事については、「江戸時代の日本の人口統計」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「全国人口調査と推定人口」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「全国人口調査と推定人口」の関連用語

全国人口調査と推定人口のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



全国人口調査と推定人口のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの江戸時代の日本の人口統計 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS