ペイドライバー
ペイドライバー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 15:56 UTC 版)
ペイドライバーとは、資金の持ち込みと引き換えにチームとの契約を確保するドライバーの俗称である。 「金でシートを買った」などと悪名高い存在と言われることも多く、後述のランス・ストロールのようにペイドライバーが主因の接触事故を起こしたりすると批判が集まりやすく、ペイドライバーというだけで正当に評価されないことも少なくない。ただし、ペイドライバーの本来の定義は「持参金を持ち込むことを条件に契約する」ドライバーという意味合いである。実際、ニキ・ラウダもF1キャリアとして初入賞を記録した1973年に関しては、BRMのシートを確保する際、持参金を持ち込むことを条件に契約しており、定義上ではラウダもペイドライバー扱いとなる。他にも2012年のパストール・マルドナドや2017年のストロールなどの数十億円にも及ぶ資金(後述)をチームに掲示してシートを確保したが、彼らも定義上ではラウダと同一である。 そのうち、井上隆智穂はかつて「F1はビジネスだから、ボクみたいな技術でも金さえ払えばF1ドライバーになれる」と自虐したコメントをしたこともあるが、彼は当時の発給基準の一つである国際F3000選手権を1シーズンフル参戦していることという点を満たしており、金でシートを買ったとはいえない面もある。また、井上がフル参戦をした1995年とは違い、2016年以降はスーパーライセンスの発給条件の厳格化に伴い、当時のような、下位カテゴリーで成績問わずフル参戦した経験とチームから掲示された持参金の額を用意できればF1のシートを確保できるという時代ではなくなっていることも考慮する必要がある。 ただ、実際のところ、ほぼすべてのドライバーが(金額の差はあるが)自身のスポンサーをチーム加入時に持ち込んでおり、他にもドライバーの活躍を受け、その母国の企業が後から支援してくれるケースもある。そのため、個人スポンサーに限れば、レーシングスーツやヘルメットに掲載しており、マシンにも小口スポンサーとして何らかのロゴが掲載されていることが主流である。逆にスポンサーも資金も持たずに契約したドライバーは非常に少数で、ヘイキ・コバライネンやロベルト・メリなど数えるほどしかいない。現に日本人でも片山右京がデビューから引退まで日本たばこ産業から個人スポンサーとして「CABIN」や「MILD SEVEN」名義で支援され、少なからずチームに資金を持ち込んでいた経歴がある。また、育成契約であっても、育成しているチームが自前でシートを用意できない際、資金と引き換えに他チームのシートを買ったケースもそれなりにある。 他にもレギュラードライバーにはある程度実績・実力のあるドライバーを起用しつつ、ペイドライバーはテストまたはリザーブドライバーとして契約することで戦績と資金調達を両立するチームも少なからずあり、この種のペイドライバーはテストやフリー走行にだけ出現する事が多い。そのため、本来の定義でもある「持参金を持ち込むことを条件に契約する」ドライバーという意味合いより、狭義の意味合いでもある「目立った実力・実績を持っておらず知名度が低い」のに「(資金的に苦しいチームへ)極端に高額な資金を持ち込んで契約する」ドライバーが「ペイドライバー」として扱われることが多い。 また2015年には「ペイドライバーが、より高額な資金を持つ別のペイドライバーにシートを奪われる」という事態も発生した。これはザウバーに契約を破棄されたギド・ヴァン・デル・ガルデの告訴により発覚したものである。ガルデは1度は契約を結んだにも関わらず、ザウバーがマーカス・エリクソン、フェリペ・ナッセと契約を結んだため、押し出される形で失ったシートの返還を求め告訴し、裁判で勝訴した。最終的にはガルデがザウバーからの違約金を条件に出走を諦めることで和解したが、一時は2つの枠に3人のドライバー(ヴァン・デル・ガルデ、エリクソン、ナッセ)が存在するという混乱を生んだ。更には前年からの契約期間が残っていたエイドリアン・スーティルも似た経緯で同年のシートを喪失していたことが判明し、スーティルの場合は賠償金の支払いのみを求めて裁判で勝訴している。なお、この4人がどのような順番及び内容で契約していたのかは不明であり、一説ではエステバン・グティエレス、ジュール・ビアンキとも契約を結んでいたとされる(詳細は「ザウバー#ドライバー多重契約騒動」を参照)。 ザウバーの件は極端な例だが、モータースポーツは大口スポンサーがいないチームからすれば、常に資金に悩むことも少なくなく、中小プライベーターがペイドライバーをうまく利用するのは一般的なことである。実際、過去のシーズンを見れば、今は亡きジョーダン・グランプリは、1993年は資金不足などの影響もあり、1台のマシンを5人のドライバーがドライブした形となった経歴があり、後述のハースF1チームもそれに該当する。また、下位カテゴリーのF2に目を向ければ、持参金でシートが左右されるのは有名な話である。一例を挙げるなら、アレクサンダー・アルボンは資金不足により2018年のF2参戦を断念しかかっていたが、DAMSと交渉して1戦毎の契約を条件に参戦することに成功。アルボン側も第3戦バクーで初優勝して実力をアピールしつつ、後押しとして資金をかき集めてフル参戦の契約に切り替える交渉をして、その結果、フル参戦の契約が成立してそのまま最終戦まで戦った経歴を持つ。 ただし、必ずしも「能力の低いドライバー=ペイドライバー」ということはなく、実力があっても本人の意にそぐわない形で資金を持ち込んでシートを得るドライバーは新人・ベテランに限らず多い。こうしたことはF1だけに限ったことではなく、道具に金のかかるモータースポーツという業界においては普遍的なことであるが、F1の場合は「世界最高峰のモータースポーツ」という一般認識があるため、実力ではなく資金でシートが左右されるという状況について感情的な批判の対象になることが多い。一方でチーム自体が存続の危機で、ペイドライバーがいないと参戦できないため、やむを得ずペイドライバーを起用しているという事例もある。また、スポンサーの経営状況によりシートに関する契約状況が変わったり、シートが内定していたにもかかわらず持ち込み資金が不足していたことを理由に破談してF1参戦ができなかったケースもある。実際、ニキータ・マゼピンはF1デビューとチーム解雇の理由がスポンサーに左右された一例となっている。ハースF1チームは2021年のドライバーとしてマゼピンを起用したが、その背景として新型コロナウイルス感染症の世界的流行による影響によってチームは急激な資金難となり、時のレギュラードライバー(ケビン・マグヌッセンおよびロマン・グロージャン)を放出してでも彼らを起用せざるを得ない状況まで追い込まれていた。現にチームのコメントでも、マゼピンの起用は彼の資金が決め手の一つになったことも事実上認めていた。だが、2022年も彼の参戦が予定されていたのだが、2022年2月下旬に勃発したロシアのウクライナ侵攻により、ハースは当時のチームのタイトルスポンサーのウラルカリとの契約見直しを迫られ、最終的にウラルカリとの契約を解消。これに伴いマゼピンはシーズン前テストに参加していたにも関わらず、同年のシートを失った。他にも、ベネズエラ政府のバックアップ及びPDVSAからバックアップを受けていたマルドナドは2016年も参戦予定であったが、ベネズエラの石油価格の下落による経済・政治情勢が不安定なことによりPDVSAがシート料を払うことができずチームとの契約が破談し、そのままシートを失った例もある。 逆に大怪我が原因でF1を去ったロバート・クビサは、かつての実力は評価されていたものの、それだけではシートを得ることができず、持参金を確保したことで資金難のウィリアムズのシートを得ることに成功した。 実際にペイドライバーとして扱われながらも好走を見せたドライバーも少なからずおり、以下は活躍したペイドライバーの一例。 アンドレア・デ・チェザリス フィリップモリス(マールボロ)の重役の息子だったため、同社の強力なスポンサードを受けて参戦していた。「クラッシュ・キング」「サーキットの通り魔」などの不名誉な異名もとったが、1982年には当時の最年少のポールポジション獲得記録を樹立するなど、時折結果を残し、1991年には新参チーム・ジョーダン・グランプリのコンストラクターズランキング5位に貢献した。最終的にはキャリア15年で延べ12チームに在籍し長きに渡ってドライブしていた。 ペドロ・ディニス 父親のブラジル有数の実業家・アビーリオ・ディニスの支援を受け、パルマラットやブラジルの多数の食品関連会社のスポンサードを受けていた。当初は「国際F3000で目立った実績を残していないが、F1に出場させるために所属チームごとF1デビュー」「ドライビングコーチが同伴」などスポンサーマネーの豊富さと実力不足を露呈していたが、移籍してオリビエ・パニスやデイモン・ヒル、ミカ・サロ、ジャン・アレジといった実力あるドライバーと組むうちに自身も実力を付け、時には彼らチームメイトよりも予選で上位に入るなど注目を集めた。キャリア終盤にはただのペイドライバーから「十分な実力を備え、おまけに莫大な資金源も抱えるドライバー」へと評価も変わっていった。 セルジオ・ペレス カルロス・スリムの関連会社から多額の支援を受けており、2012年に所属したザウバーでは一度の2位表彰台と二度の3位表彰台を獲得した反面、入賞回数に関してはチームメイト(小林可夢偉)に負ける(ペレスは表彰台3回も含めた入賞7回、対して小林は表彰台1回も含めた入賞9回)などシーズン全体で見れば好成績とは言えず、2013年に当時トップチームであったマクラーレンと契約を結んだことに関してはペイドライバー的な起用だとを揶揄された。しかし、2013年の1年限りでマクラーレンのシートを喪失するが、その後、移籍したフォース・インディアでは、複数の表彰台に加え、2016年と2017年には、当時の優勝経験のないチームの中で唯一獲得ポイントで3桁に到達するドライビングを見せた。また、2020年には第16戦サクヒールGPで自身初優勝を得た結果、メキシコ人ドライバーとしてはペドロ・ロドリゲス以来、50年振りの優勝を記録。この頃になると高い評価を得るようになり、2020年いっぱいで契約していたレーシング・ポイントのシートを失う状況であったが、様々な要因から、時のトップチームのレッドブルの2021年のシート候補になった際には、かつてとは違い同チームのシート獲得を支持されるほどの評価となっており、最終的には2021年のレッドブルのシートを獲得。2022年にはメキシコ人ドライバーとしてはじめてのF1でのポールポジションを獲得し同年のモナコGPを制覇するなど、現在では彼をペイドライバーと呼ぶ声は無くなり、ペイドライバーと呼ばれていたドライバーとしては最も成功したドライバーと言える。 パストール・マルドナド 前述のようにベネズエラ政府のバックアップ及びPDVSAから40億円近い資金を持ち込んだことで知られている。ただし、マルドナドは前年にGP2のタイトルを獲得しており、仮に資金がなかったとしてもシートに見合う実績はあった。事故によるリタイアが多く、ジャンプスタートを犯してしまうなどミスも目立ったが、時折予選で上位を獲得したり決勝でも上位を走ることがあり注目を集め、2012年スペインGPでは明確なペイドライバーとしては数少ないポールポジション獲得・優勝を果たすなど、記録だけで言えば「史上最速のペイドライバー」である。前述したように、ベネズエラの石油価格の下落による経済・政治情勢が不安定なことによる影響を被り、F1を去ることとなった。 ランス・ストロール カナダ有数の実業家の父親・ローレンス・ストロールが82億円の資金をウィリアムズに提供し当時の持参金の最高額を更新しシートを獲得。だが、マルドナドのような直下のカテゴリにあたるGP2などの経験や実績がなく、かつてウィリアムズに在籍していたジャック・ヴィルヌーヴからは実力を酷評され、F1参戦を果たした2017年序盤は事故によるリタイアが目立ったため、その影響でメディアからもその実力を疑問視された。ただ、2016年のヨーロッパF3のタイトルを得るなど、F2より下に当たるカテゴリーでのタイトル獲得やフォーミュラカーというジャンルの経験は積んでおり、直下のカテゴリ(F2・GP2)を経験せずF1へジャンプアップする例や正ドライバーとしての起用を確定すべく多額の持参金を用意する例は過去にも存在する。また、F1デビュー自体もテストドライバーとしてF1に関わっているときに正ドライバーとして起用されたため、他のドライバーと比べても異色なキャリアを築いているわけではない。父親の資金をフル活用したという印象や2019年には父親がかつてのフォース・インディアを買収しレーシング・ポイントとして再スタートする際、レーシング・ポイントに移籍したことから「ペイドライバー」の代表例として見られることも多い。その一方でデビューチームのウィリアムズの2年間では、2017年アゼルバイジャンGPでの3位表彰台獲得やチームが不振に陥った2018年に2度の自力入賞を果たした。レーシング・ポイント移籍後は2020年トルコGPでウェットコンディションではあるがキャリア初のポールポジション獲得など、時折速さを見せており、初期のころの評価を払拭している。
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