ジュール・ビアンキとは? わかりやすく解説

ジュール・ビアンキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 06:41 UTC 版)

ジュール・ビアンキ
Jules Bianchi
基本情報
国籍 フランス
生年月日 (1989-08-03) 1989年8月3日
ジュール・ルシアン・アンドレ・ビアンキ
Jules Lucien André Bianchi
出身地 フランス ニース
死没日 (2015-07-17) 2015年7月17日(25歳没)
死没地 フランス ニース
親族 マウロ・ビアンキ(祖父)
ルシアン・ビアンキ(伯祖父)
基本情報
略称表記 BIA
F1での経歴
活動時期 2013-2014
所属チーム '13-'14 マルシャ
車番 17[1]
出走回数 34
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 2
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 2013年オーストラリアGP
最終戦 2014年日本GP
テンプレートを表示

ジュール・ルシアン・アンドレ・ビアンキJules Lucien André Bianchi, 1989年8月3日 - 2015年7月17日[2])は、フランスアルプ=マリティーム県ニース出身のレーシングドライバー

経歴

初期の経歴

レーシング・カート

祖父は3度のGTチャンピオンであるマウロ・ビアンキ。また、マウロの兄(伯祖父)のルシアン・ビアンキは、1959年から1968年までF1で活躍していたドライバーで、耐久レースにおいても1968年のル・マン24時間レースに優勝したというレーサー一家である。

3歳からレーシングカートに乗り、5歳からカートレースを始め、2005年にはフォーミュラAアジア・パシフィックチャンピオン、2006年にはフランスチャンピオンとなる。

フォーミュラ・ルノー

2007年からフランス・フォーミュラ・ルノー2.0とフォーミュラ・ルノー・ユーロカップに参戦し、フランス・フォーミュラ・ルノー2.0では初年度にチャンピオンを獲得した。

ARTグランプリダラーラF308を駆るビアンキ。(2009年ホッケンハイム

フォーミュラ3

2007年の終盤から、フォーミュラ3・ユーロシリーズARTグランプリから参戦する。この頃に就いたマネージャーはARTグランプリの監督であるニコラス・トッドFIA会長ジャン・トッドの息子)だった。

2008年もARTグランプリからフォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦。選手権3位で終えた。また、マスターズF3にも参戦し優勝した。

2009年もARTグランプリよりフォーミュラ3・ユーロシリーズに参戦。バルテリ・ボッタスエステバン・グティエレスエイドリアン・タンベイとチャンピオン争いをし、この年最多の9勝を上げて見事チャンピオンに輝いた。フォーミュラ・ルノー3.5モナコラウンドのみ参戦したがリタイアとなった。

GP2時代、ロータスARTより参戦するビアンキ。(2011年モンツァ

GP2

2010年はARTグランプリよりGP2に参戦。しかし、F1と併催されたハンガリーGPのレース1のオープニングラップでDAMSホーピン・タンとクラッシュ[3]脊髄を損傷し、レース2の欠場を余儀なくされた[3]。しかし、次のベルギーGPでは無事復帰した。最終的には優勝はなかったものの選手権を3位で終えた。

2011年も名称が変わったLotus ARTからGP2に参戦。1勝を上げるが前年と同様に選手権は3位となった。

フォーミュラ・ルノー3.5

2012年は再びF1とバッティングしないフォーミュラ・ルノー・3.5に参戦[4]ロビン・フラインスと最終ラウンドまでチャンピオンを争ったが、選手権2位に終わった。

F1

 
(上)ヘレステストにて。フォース・インディアVJM06を駆るビアンキ。
(下)マレーシアGPにてマルシャMR02を駆るビアンキ。(写真は共に2013年

2009年末に発足したフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)の初期の所属ドライバーとなった[5]。2011年にはフェラーリのテストドライバーとして契約した[6]

2012年にはフォース・インディアとリザーブドライバーとして契約し[7]2012年シーズン中のフリー走行1回目(FP1)に9回出走した。

2013年

2013年シーズンは、ニコ・ヒュルケンベルグの移籍で空いたフォース・インディアのシートをエイドリアン・スーティルと競ったがシートは獲得できなかった。しかし、マルシャと契約していたルイス・ラジアにスポンサー料の支払いが期限内に行われないトラブルが発生したため、代わってシートを獲得した[8]。チームメイトは同じくルーキードライバーのマックス・チルトン

開幕戦オーストラリアGPでは、予選・決勝ともにライバルチームの1つであるケータハム勢に完勝し15位で完走。このレース終盤に記録したベストタイムは全体の11番手でセバスチャン・ベッテルらと相違ないタイムであり、チーム・マシンのパフォーマンスを考えるとかなりの好タイムであった。次戦のマレーシアGPにおいて記録した13位をケータハム勢が上回れなかった為、チームのコンストラクターズランキング10位(11チーム中)獲得に貢献した。

2014年バーレーンGPにてマルシャ・MR03を駆るビアンキ。

2014年

2013年10月、シーズン終了を待たずして2014年シーズンもマルシャF1チームに残留する事が発表された[9]第6戦モナコGPにて、ギアボックス交換を伴い21番グリッドからのスタートとなったが、粘り強い走りを見せ8位で完走する。5秒ストップペナルティをセーフティカーが入っている最中に行ったとしてレース終了後実際のタイムにさらに5秒加算されたため、9位のロマン・グロージャンと順位が入れ替わり、9位で初入賞という形となった。また、このレースはマルシャチームにとっては、前身のヴァージン・レーシング時代を含めF1における初入賞であった。結果的にこの2ポイントによって、マルシャはザウバーを抜いてコンストラクターズランキング9位(11チーム中)を獲得した。

事故による昏睡と死去

2014年10月5日鈴鹿サーキットで開催された第15戦日本GP決勝レースにおいて、台風18号に伴うにより、44周目のダンロップ・コーナーを旋回中だったビアンキのマシンにハイドロプレーニング現象が発生。マシンのコントロールを失ったビアンキはアウト側に速度を保ったままコースアウトした。同じ場所では、1周前にほぼ同様のケースによってエイドリアン・スーティルザウバー)がコースアウトしタイヤバリアにクラッシュしており[10]、このザウバーのマシンの撤去作業を行っていた、6.8 tのホイールローダークレーン車)の後方にコントロール不能状態に陥ったビアンキのマシンが潜り込むような形で追突した。FIA安全委員会の調査によれば、衝突時の速度は126km/hであり、衝撃は254G(自動車が48 m / ビル15階相当の高さから地面に落下した衝撃と同程度)に達していたという[11]

重い脳外傷を負ったビアンキは意識を失い[12]救急車四日市市三重県立総合医療センターへ搬送され、緊急手術が行われた[13]手術は成功し、ビアンキは人工昏睡状態に置かれた上で同病院で治療が継続され、のちに自発呼吸の回復とバイタルサインの安定が認められた事から母国への移送ができると判断され、11月19日ニース大学付属病院に転院した[14]

9か月後の2015年7月13日、ビアンキの親族がSNSで「現在は楽観できない状況になりつつある」と発信。それから4日後の2015年7月17日夜、ビアンキは意識が戻らないままニース大病院で死去した[2]。25歳没。F1における走行セッション中に起きたドライバーの死亡事故は、1994年サンマリノグランプリでのアイルトン・セナローランド・ラッツェンバーガー以来、21年ぶりのことであった。

死後

2015年7月20日FIA会長のジャン・トッドはビアンキのカーナンバーであった『17』を永久欠番にすると発表した[15]。また、ビアンキの事故は翌年からのバーチャル・セーフティーカー(VSC)システムの導入のきっかけとなった[16]。またこのビアンキの事故と、同年にインディーカーで発生したジャスティン・ウィルソンの死亡事故[17]をきっかけに、これまでにも様々な事故で議論されていた頭部保護デバイスの導入が本格的に議論されることとなり、2018年シーズンからHalo(ヘイロー)と呼ばれる頭部保護デバイスが導入されることとなった。

ビアンキの死後最初のレースとなった2015年ハンガリーGPでは、7月26日の決勝レース前に全ドライバーが円陣を組み、1分間の黙祷を捧げた。また、各マシンに「#JB17」というステッカーが貼られた。

人物

  • 2018年にF1デビューを果たしたシャルル・ルクレールと幼馴染だった。ルクレールと同様にニコラス・トッド率いる「オール・ロード・マネージメント(ARM)」のメンバーに加わった。ルクレールはビアンキの死後、彼も所属したフェラーリ・ドライバー・アカデミーに加入した。後に2019年にフェラーリ入りが決定、ビアンキが果たせなかった夢を実現させた[18]。この年でF1初優勝も達成した。またこのフェラーリ入りが発表される直前の2018年ベルギーGPでは、スタート直後にルクレールは多重クラッシュに巻き込まれ、他車のフロントウィング翼端板(エンドプレート)がマシンのHaloをかすめるという事故が起きた。FIAによる事故調査の最終報告書は、Haloが無かった場合、この部品がルクレールのヘルメットのバイザー部分に直撃していたと結論付けており、ビアンキの事故をきっかけに導入されることとなったHaloによって無傷で生還した[19]
  • 同郷の後輩ドライバーで、2017年にF1デビューを飾るピエール・ガスリーとも仲が良かった。
  • 2013年ドイツGPはエンジントラブルでリタイアし車から離れたがマーシャルも車から離れてしまい、車を止めた場所が上り坂だったため車が独りでに動き出し、ゆっくりとバックでコースを横切った。車のギアがニュートラルになっていた為に動き出してしまったが、ルール上車から離れる際にはギアを抜きニュートラルにすることが求められているため、ビアンキに非はない。幸い他車との事故にはならなかったが、この件が原因でセーフティーカーが入りレースに影響が出た。
  • 永久欠番となったカーナンバー「17」は第一希望であった「7」、第二希望であった「27」、第三希望であった「77」がいずれもキミ・ライコネンニコ・ヒュルケンベルグバルテリ・ボッタスに選択されたことによる第四希望であった(希望するカーナンバーが重複した際は前年のランキング順となるため、ビアンキは優先順位が低かった)。
  • 2014年のイギリスGP後に実施されたシルバーストンテストで、イギリスGPの事故で負傷したキミ・ライコネンの代役としてビアンキがフェラーリのテストを担当した。ビアンキの死後、元フェラーリのチーム代表であるステファノ・ドメニカリは、ライコネンがチームを離脱する際には、後任にビアンキを乗せることが約束されていたと語っている[20]。なおライコネンは2018年末でフェラーリを離脱したが、そのライコネンの後任でフェラーリのシートを獲得したのはルクレールであった。
  • ビアンキが在籍していたマルシャは、深刻な資金難によりビアンキの事故から2戦後のアメリカGPより、レースの欠場を余儀なくされた。しかしザウバー、ケータハムがこの年ポイントを獲得できずにシーズンを終えたため、マルシャはビアンキがモナコGPで獲得した2ポイントによってコンストラクターズ9位となった。この結果、マルシャに賞金が入り資金が調達できたため、2015年開幕戦にマノー・マルシャとしてF1に復帰。マノー・レーシングと名称が変わってはいるがチームは2016年までF1に参戦していた。マルシャと同じ時期に参戦困難となり、賞金も得られなかったケータハムF1チームは復活できず解散となっており、「ビアンキの9位」が命運を分けている。
  • 2015年に向けては、フェラーリからパワーユニット供給を受けているザウバーと交渉し契約にサイン済であったとコリン・コレスオーストリアのTV局に話している[21]。詳しくは『ザウバードライバー多重契約騒動』の項参照。

レース戦績

略歴

シリーズ チーム No. レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
2007 フランス・フォーミュラ・ルノー2.0英語版 SG・フォーミュラ英語版 6 13 5 5 10 11 172 1位
ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0英語版 43 6 0 1 1 0 4 22位
2008 フォーミュラ3・ユーロシリーズ ARTグランプリ 24 20 2 2 2 7 47 3位
マカオグランプリ 14 1 0 0 0 0 N/A 9位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 4 1 1 0 0 1 N/A 1位
2009 フォーミュラ3・ユーロシリーズ 1 20 9 6 7 12 114 1位
イギリス・フォーミュラ3選手権 91 4 0 2 2 3 0 NC
マカオグランプリ 3 1 0 0 0 0 N/A 10位
フォーミュラ・ルノー3.5・シリーズ SG・フォーミュラ 26 1 0 0 0 0 0 NC
2009-10 GP2アジアシリーズ ARTグランプリ 7 6 0 1 2 1 8 12位
2010 GP2シリーズ 1 20 0 3 1 4 52 3位
2011 ロータス・ART 5 18 1 1 0 6 53 3位
GP2アジアシリーズ 5 4 1 0 1 2 18 2位
フォーミュラ1 スクーデリア・フェラーリ - テストドライバー
2012 フォーミュラ・ルノー3.5・シリーズ テック1・レーシング英語版 8 17 3 5 7 8 185 2位
フォーミュラ1 サハラ・フォース・インディアF1チーム - リザーブドライバー
2013 マルシャF1チーム 22 19 0 0 0 0 0 19位
2014 17 15 0 0 0 0 2 17位
  •  : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。

フランス・フォーミュラ・ルノー2.0

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 DC ポイント
2007年
英語版
SG・フォーミュラ
英語版
NOG
1

2
NOG
2

3
LED
1

1
LED
2

1
DIJ
1

4
DIJ
2

1
VDV
1

2
VDV
2

2
MAG
1

3
MAG
1

1
MAG
2

5
CAT
1

1
CAT
2

3
1位 172

ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 DC ポイント
2007年
英語版
SG・フォーミュラ
英語版
ZOL
1
ZOL
2
NÜR
1

NC
NÜR
2

Ret
HUN
1

Ret
HUN
2

30
DON
1
DON
2
MAG
1
MAG
2
EST
1
EST
2
CAT
1

Ret
CAT
2

9
21位 4

フォーミュラ3・ユーロシリーズ

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2008年
英語版
ARTグランプリ ダラーラ・F308/049 メルセデス HOC
1

Ret
HOC
2

13
MUG
1

3
MUG
2

4
PAU
1

Ret
PAU
2

26
NOR
1

Ret
NOR
2

9
ZAN
1

3
ZAN
2

9
NÜR
1

2
NÜR
2

3
BRH
1

22
BRH
2

18
CAT
1

Ret
CAT
2

3
BUG
1

1
BUG
2

17
HOC
1

7
HOC
2

1
3位 47
2009年
英語版
ダラーラ・F308 HOC
1

5
HOC
2

3
MUG
1

1
MUG
2

14
PAU
1

1
PAU
2

3
NOR
1

1
NOR
2

1
ZAN
1

1
ZAN
2

6
NÜR
1

1
NÜR
2

5
BRH
1

Ret
BRH
2

Ret
CAT
1

1
CAT
2

5
DIJ
1

2
DIJ
2

1
HOC
1

1
HOC
2

7
1位 114

フォーミュラ・ルノー3.5・シリーズ

チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 DC ポイント
2009年
英語版
KMP・グループ/SG・フォーミュラ
英語版
CAT
1
CAT
2
SPA
1
SPA
2
MON
1

Ret
HUN
1
HUN
2
SIL
1
SIL
2
BUG
1
BUG
2
ALG
1
ALG
2
NÜR
1
NÜR
2
ALC
1
ALC
2
NC 0
2012年
英語版
テック1・レーシング
英語版
ALC
1

DSQ
ALC
2

13
MON
1

2
SPA
1

2
SPA
2

17
NÜR
1

1
NÜR
2

12
MSC
1

2
MSC
2

7
SIL
1

1
SIL
2

3
HUN
1

3
HUN
2

9
LEC
1

4
LEC
2

1
CAT
1

7
CAT
2

Ret
2位 185

GP2シリーズ

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2010年 ARTグランプリ CAT
FEA

Ret
CAT
SPR

12
MON
FEA

4
MON
SPR

3
IST
FEA

Ret
IST
SPR

13
VAL
FEA

2
VAL
SPR

Ret
SIL
FEA

2
SIL
SPR

5
HOC
FEA

5
HOC
SPR

4
HUN
FEA

Ret
HUN
SPR

DNS
SPA
FEA

14
SPA
SPR

Ret
MNZ
FEA

2
MNZ
SPR

4
YMC
FEA

18
YMC
SPR

7
3位 52
2011年 ロータス・ART IST
FEA

3
IST
SPR

7
CAT
FEA

7
CAT
SPR

Ret
MON
FEA

Ret
MON
SPR

19
VAL
FEA

Ret
VAL
SPR

7
SIL
FEA

1
SIL
SPR

5
NÜR
FEA

4
NÜR
SPR

2
HUN
FEA

7
HUN
SPR

6
SPA
FEA

2
SPA
SPR

2
MNZ
FEA

8
MNZ
SPR

3
3位 53

GP2アジアシリーズ

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 DC ポイント
2009-10年 ARTグランプリ YMC
FEA
YMC
SPR
YMC
FEA

3
YMC
SPR

7
BHR
FEA

10
BHR
SPR

NC
BHR
FEA

10
BHR
SPR

Ret
12位 8
2011年 ロータス・ART YMC
FEA

1
YMC
SPR

8
IMO
FEA

3
IMO
SPR

Ret
2位 18

フォーミュラ1

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 WDC ポイント
2012年 フォース・インディア VJM05 メルセデス FO 108Z 2.4 V8 AUS MAL CHN
TD
BHR ESP
TD
MON CAN EUR
TD
GBR
TD
GER
TD
HUN
TD
BEL ITA
TD
SIN JPN KOR
TD
IND ABU
TD
USA BRA - -
2013年 マルシャ MR02 コスワース CA2013 2.4 V8 AUS
15
MAL
13
CHN
15
BHR
19
ESP
18
MON
Ret
CAN
17
GBR
16
GER
Ret
HUN
16
BEL
18
ITA
19
SIN
18
KOR
16
JPN
Ret
IND
18
ABU
20
USA
18
BRA
17
19位 0
2014年 MR03 フェラーリ 059/3 1.6 V8 t AUS
NC
MAL
Ret
BHR
16
CHN
17
ESP
18
MON
9
CAN
Ret
AUT
15
GBR
14
GER
15
HUN
15
BEL
18
ITA
18
SIN
16
JPN
20
RUS USA BRA ABU 17位 2

脚注

  1. ^ ビアンキの車番「17」が永久欠番に、FIAが発表”. auto sport Web (2015年7月21日). 2024年5月17日閲覧。
  2. ^ a b 仏人ドライバーのビアンキが死去、家族が発表”. AFP🔵BB News (2015年7月18日). 2025年7月17日閲覧。
  3. ^ a b “ジュール・ビアンキ、GP2でのクラッシュで負傷”. F1-Gate.com. (2010年8月1日). http://f1-gate.com/ferrari/f1_8650.html 2010年12月14日閲覧。 
  4. ^ “ジュール・ビアンキ、テック1からフォーミュラ・ルノー3.5に参戦”. F1-Gate.com. (2012年2月9日). http://f1-gate.com/bianchi/f1_14270.html 2013年3月2日閲覧。 
  5. ^ “フェラーリ、若手育成プログラム“フェラーリ・ドライバー・アカデミー”設立”. F1-Gate.com. (2009年12月19日). http://f1-gate.com/ferrari/f1_5899.html 2013年3月2日閲覧。 
  6. ^ “フェラーリ、ジュール・ビアンキを2011年のテストドライバーに起用”. F1-Gate.com. (2010年11月11日). http://f1-gate.com/ferrari/f1_9939.html 2013年3月2日閲覧。 
  7. ^ “ジュール・ビアンキ、フォース・インディアのリザーブドライバーに就任”. F1-Gate.com. (2013年1月28日). http://f1-gate.com/bianchi/f1_14121.html 2013年3月2日閲覧。 
  8. ^ “マルシャ、ルイス・ラジアに代えてジュール・ビアンキの起用を発表”. F1-Gate.com. (2013年3月2日). http://f1-gate.com/marussia/f1_18397.html 2013年3月2日閲覧。 
  9. ^ “マルシャ、来季のビアンキ残留を発表”. ESPN F1. (2013年10月3日). http://ja.espnf1.com/marussia/motorsport/story/127537.html 2013年10月3日閲覧。 
  10. ^ エイドリアン・スーティル「ビアンキはクレーンに突っ込んだ」 - F1Gate 2014.10.5
  11. ^ ジュール・ビアンキ、事故時の衝撃は254G - F1Gate 2015.07.23
  12. ^ “ジュール・ビアンキの死から4年・・・F1の安全性の強化”. F1-Gate.com. (2019年7月18日). https://f1-gate.com/bianchi/f1_50714.html 2020年2月20日閲覧。 
  13. ^ ジュール・ビアンキの家族が声明発表:すべてのサポートに感謝している、Marussia F1 Team 2014年10月08日02:06
  14. ^ ESPN-ビアンキ、ニースの病院に到着 2014年11月20日
  15. ^ “ビアンキ選手のカーナンバー「17」が永久欠番に、FIA発表”. AFPBB News. (2015年7月21日). https://www.afpbb.com/articles/-/3055056 
  16. ^ 2015年F1規則:VSCなどセーフティーカー規定が変更 AUTO SPORT Web 2014年12月4日、2017年11月2日閲覧。
  17. ^ ウィルソンの事故は、クラッシュした他車の破片がウィルソンの頭部を直撃するというものであった
  18. ^ ルクレール、跳馬昇格を喜ぶ一方で強い決意を表明「亡き父やビアンキを失望させない、これまで以上に努力する」 FORMULA1-DATA 2018年9月11日。
  19. ^ Jonathan Noble (2018年12月6日). “Exclusive: Halo saved Leclerc from visor strike in Spa crash”. motorsport.com. 2018年12月7日閲覧。
  20. ^ “ジュール・ビアンキ、将来はフェラーリ加入を約束されていた”. F1-Gate.com. (2015年7月20日). http://f1-gate.com/bianchi/f1_27878.html 2015年12月18日閲覧。 
  21. ^ コレス「ビアンキもザウバーと契約していた」 - ESPNF1 2015.04.15

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