事故による昏睡〜死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 03:15 UTC 版)
「ジュール・ビアンキ」の記事における「事故による昏睡〜死去」の解説
2014年10月5日、鈴鹿サーキットで開催された第15戦日本GP決勝レースにおいて、折からの台風18号に伴う雨により、44周目のダンロップ・コーナーを旋回中だったビアンキのマシンにハイドロプレーニング現象が発生。マシンのコントロールを失ったビアンキはアウト側に高速のままコースアウトした。同じ場所では1周前にほぼ同様のケースによりエイドリアン・スーティル(ザウバー)がコースアウトしタイヤバリアにクラッシュしており、このザウバーのマシンの撤去作業をしていた6.8トンのホイールローダー(クレーン車)の後方にコントロール不能状態に陥っていたビアンキが潜り込むような形で追突してしまった。のちのデータ解析により、この激突時の衝撃は254G(自動車が48m/ビル15階相当の高さから地面へ落ちた衝撃と同じ)、時速は126km/h出ていたとFIA安全委員会が公表した。 重い脳外傷を負ったビアンキは意識を失い、救急車で四日市市の三重県立総合医療センターへ搬送され、緊急手術が行われた。手術は成功し、ビアンキは人工昏睡状態におかれ同病院で治療が継続され、のちに自発呼吸の回復とバイタルサインの安定が認められた事から母国への移送ができると判断。11月19日にフランス・ニースのニース大学付属病院に転院した。 しかし、9ヵ月後の2015年7月13日にSNSでビアンキの親族が「現在楽観できない状況になりつつある」と発信。そして、その4日後の2015年7月17日夜、ビアンキは意識が戻らないままニース大病院で死去。25歳没。F1走行セッション中のドライバーの死亡事故は1994年サンマリノグランプリでのアイルトン・セナ、ローランド・ラッツェンバーガー以来21年ぶりの事であった。
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