事故による現役引退・引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:48 UTC 版)
「嘉風雅継」の記事における「事故による現役引退・引退後」の解説
2019年6月、故郷の大分県佐伯市での合宿中、同市のPR企画に参加した際に渓流で右膝を痛めて緊急手術を受ける。東前頭11枚目で迎えた直後の7月場所は全休となり、9月場所では西十両7枚目となり12年ぶりの十両陥落となった。9月場所でも初日に「右膝前十字靱帯損傷、右腓骨神経麻痺」などの診断名で「現在リハビリ中であるが、今後の追加治療や治療期間に関しては現時点では未定」として休場届を提出。このまま出場がなく全休で終わった場合には11月場所では幕下に転落することが確実な情勢となり、進退が取り沙汰されていた。嘉風本人は9月場所4日目(9月11日)に師匠の尾車に電話で「現役を引退したい」と伝え、これを受けて5日目の9月12日に日本相撲協会に引退届が提出され、同日の理事会において嘉風の年寄「中村」襲名が承認された。師匠の尾車は嘉風が「土俵で散りたかった。親方の前で引退を報告したかった」と無念の思いを吐露していたことを明らかにしている。2020年10月、責任は市にあるとして5億円弱の賠償を求めて提訴、11月に初公判が開かれた。 2020年10月3日に自身の引退相撲が予定されたが、同年3月27日に2019新型コロナウイルス感染拡大を受けて延期を検討する意向を公表した。 同年9月1日、アスリートのセカンドキャリアを支援するために発足した一般社団法人APOLLO PROJECT設立の記者会見にリモートで参加した。同団体が2021年1月から展開する「アスリート向け教育事業(A-MAP)」に1期生として参加し、人材育成講義を受講する予定であるという。 2度目の引退相撲の延期の後、2022年2月5日に開催する予定が示された。11月場所10日目、引退相撲での取り組み相手について非公表としつつも「オファーしている相手がOKしてくれたら。交渉成立しなかったら息子と相撲を取ろうと思っています」と語った。交渉した相手は元稀勢の里の二所ノ関親方で、「その体でけがをしたらどうするんだ」と言われて断られ、息子との最後の一番も悩んだ末に断念することを自身のInstagramで表明した。 2月5日、両国国技館で引退相撲が開催された。断髪式にはケツメイシの大蔵ら約250人が参加。14代武隈、13代二所ノ関、22代押尾川、はさみを入れ、師匠の尾車が止めばさみを入れた。断髪後に「自分から打ち勝っていける自発的に頑張る力士を育てたい。みなさんがワクワクする力士を育てることが恩返しだと思います」と第2の人生への意気込みを語った。 2月7日、それまで部屋付きとして所属していた尾車部屋が閉鎖されたことに伴い、力士8人、呼出1人と共に同じ一門の二所ノ関部屋へ移籍した。
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