オスカー・ララウリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/25 15:12 UTC 版)
オスカー・ララウリ | |
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基本情報 | |
フルネーム | オスカー・ルーベン・ララウリ |
国籍 | アルゼンチン |
出身地 | 同・サンタフェ州 |
生年月日 | 1954年8月19日(69歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1988-1989 |
所属チーム | ユーロブルン |
出走回数 | 21 (7回スタート) |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1988年ブラジルGP |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 1989年オーストラリアGP |
オスカー・ルーベン・ララウリ(Oscar Rubén Larrauri, 1954年8月19日[1] - )は、アルゼンチン出身のレーシングドライバーである。ウォルター・ブルンのチームと深い関係を持っていた。「オスカル・ララウリ」「オスカル・ラッラウリ」と表記されることもある。
経歴
初期
アルゼンチンでレース活動を開始し、1979年にアルゼンチンF3選手権に参戦した。
ヨーロッパ・フォーミュラ3
1980年にイタリアへ渡り、アストラ・レーシングよりヨーロッパF3に参戦を開始した。トリノ・コルセに移籍した1981年に同シリーズでの初優勝を挙げランキング5位、1982年には全14戦で12度の表彰台、優勝7回とキャリアハイのシーズンを過ごし、エマニュエル・ピロ、アラン・フェルテ、ジョン・ニールセン、フィリップ・アリオーなどに大差をつけてのシリーズチャンピオンを獲得した。同年はモナコグランプリ前座のF3カップでも3位表彰台に立っている[2]。
1983年にミナルディからヨーロッパF2に6レース出走し最高7位を記録したが、ポイントを獲得することはできなかった。
スポーツカー
1983年にF2参戦と並行してランチア・フェラーリで世界スポーツカー選手権(WSC)に参戦を開始し、1984年にブルン・モータースポーツに移籍した。以後1986年にはル・マン24時間レースで2位を獲得したほか、初優勝も挙げてドライバーズランキング6位を獲得した。
以後、ブルン・モータースポーツが解散する1991年まで、同チームから参戦を続けた。
日本のスポーツカーレースにも参戦し、1986年から91年まで全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権へレイトンハウスやジ・アルファ・レーシングwithブルン等のポルシェ・962Cを走らせた。
フォーミュラ1
1988年に、ブルン・モータースポーツがユーロレーシングと共同で「ユーロブルン」を設立してF1に参戦すると、ララウリはそのレギュラードライバーに起用された。
33歳と遅いF1デビューとなったララウリは8回予選通過に成功したが[3]、チームメイトとなった前年度国際F3000チャンピオンのステファノ・モデナに予選で1勝15敗と完敗しており、シーズン終了後にユーロブルンのシートを喪失する。しかし、翌1989年、1カーエントリーとなったユーロブルンのドライバーとなったグレガー・フォイテクが、シーズン途中で一度も予備予選を通過出来ないマシン戦闘力への不満からスポンサーマネーの支払いを打ち切りチームから離脱、ドイツのリアルへと移籍した。その穴埋めとして第12戦イタリアGPより再度ユーロブルンにララウリが呼ばれ、最終戦までの5戦に参戦した。結果はフォイテクと同じく全戦で予備予選落ちに終わり、F1参戦は同年限りとなった。
全日本GT選手権
1994年から1996年までは全日本GT選手権に参戦し、チームタイサンのフェラーリ・F40やポルシェ・911 GT2を走らせた。1994年の第5戦MINEサーキットではパートナーの太田哲也と共に優勝を果たした。
南米へ復帰
ヨーロッパでのレース活動は1995年のイタリア・スーパーツーリングカー選手権にアルファロメオ・155でフル参戦したのがラストシーズンとなり、最高位は6位でシリーズランキング10位であった。1997年から南米のレースに戻り、スーダメリカーナ・スーパーツーリズモにBMW・318isで参戦。3勝を挙げタイトルを獲得。1999年よりツーリズモ・アルヘンティナへも参戦。2000年のスーダメリカノ・デ・スーパーツーリズモでも8勝を挙げ再度タイトルを獲得した。2010年までアルゼンチンのツーリングカーレースなどに参戦を続け、2017年にフィアット・プント・アバルトカップに2レース限定復帰した。
レース戦績
FIA ヨーロッパ・フォーミュラ3選手権
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | Pos. | Pts |
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1980年 | アストラ・レーシング | マルティニ・MK31 | トヨタ・2T-G | NÜR 10 | ÖST 5 | ZOL 8 | MAG 11 | ZAN 12 | LAC 4 | MUG Ret | MNZ Ret | MIS Ret | KNU 7 | ZOL 5 | 11位 | 7 | ||||
フォルティ・コルセ | SIL Ret | JAR 10 | KAS 9 | |||||||||||||||||
1981年 | Scuderia Torino | マーチ・813 | VLL 4 | NÜR 1 | DON 3 | ÖST 2 | ZOL 3 | MAG 7 | LAC 3 | ZAN 7 | SIL 8 | CET 8 | MIS DNQ | KNU | JAR 5 | IMO 7 | MUG | 5位 | 32 | |
1982年 | ユーロ・レーシング | ユーロレーシング・101 | アルファロメオ | MUG 1 | NÜR 1 | DON 2 | ZOL 1 | MAG 2 | ÖST 2 | ZAN 1 | SIL | MNZ 1 | PER 1 | LAC 3 | KNU 1 | NOG 2 | JAR Ret | KAS Ret | 1位 | 87 |
ヨーロッパ・フォーミュラ2選手権
年 | チーム | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983年 | ミナルディ・チーム Srl | ミナルディ・M283 | BMW | SIL 7 | THR Ret | HOC DNS | NÜR | VLL | PAU | JAR | DON | MIS | PER | ZOL | MUG Ret | NC | 0 |
F1
年 | チーム | シャシー | エンジン | タイヤ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | Points |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1988年 | ユーロブルン | ER188 | フォード・DFZ V8 | G | BRA DNS | SMR DNQ | MON Ret | MEX 13 | CAN Ret | USA Ret | FRA Ret | GBR DNQ | GER 16 | HUN DNQ | BEL DNPQ | ITA DNPQ | POR DNPQ | ESP DNQ | JPN DNQ | AUS Ret | NC | 0 |
1989年 | ER189 | ジャッド・CV V8 | P | BRA | SMR | MON | MEX | USA | CAN | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA DNPQ | POR DNPQ | ESP DNPQ | JPN DNPQ | AUS DNPQ | NC | 0 |
全日本GT選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 順位 | ポイント |
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1994年 | TEAM TAISAN | フェラーリ・F40 | GT1 | FSW | SEN | FSW | SUG | MIN 1 | 12位 | 20 | |
1995年 | GT1 | SUZ Ret | FSW | SEN | FSW 18 | MIN 12 | 22位 | 6 | |||
ポルシェ・911 GT2 | SUG 6 | ||||||||||
1996年 | GT500 | SUZ | FSW 7 | SEN Ret | FSW DNQ | 20位 | 4 | ||||
フェラーリ・F40 | SUG 15 | MIN Ret |
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
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1983年 | スクーデリア・シルヴァマ・モーター | マッシモ・シガーラ マックス・コーエン・オリヴァー | ランチア・LC1 | Gr.C | 217 | NC | NC |
1984年 | ブルン・モータースポーツ | マッシモ・シガーラ ジョエル・グヒエ | ポルシェ・962C | C1 | 335 | 7位 | 7位 |
1985年 | マッシモ・シガーラ ガブリエル・タルキーニ | ポルシェ・956 | C1 | 323 | DNF | DNF | |
1986年 | ヘスス・パレハ ジョエル・グヒエ | ポルシェ・962 | C1 | 360 | 2位 | 2位 | |
1987年 | ヘスス・パレハ ウーヴェ・シェーファー | ポルシェ・956 | C1 | 40 | DNF | DNF | |
1989年 | レプソル・ブルン・モータースポーツ | ウォルター・ブルン ヘスス・パレハ | C1 | 242 | DNF | DNF | |
1990年 | ヘスス・パレハ ウォルター・ブルン | C1 | 353 | DNF | DNF | ||
1991年 | ヘスス・パレハ ウォルター・ブルン | ポルシェ・962C | C2 | 338 | 10位 | 10位 | |
1994年 | フェラーリ・クラブ・イタリア | ファビオ・マンチーニ ジョエル・グヒエ | フェラーリ・348 GTC-LM | LMGT2 | 23 | DNF | DNF |
南米ツーリングカー選手権
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
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1997年 | チーム・プロアーズ | BMW・318i | GAR 1 | KUR DNS | SAN 1 | AMF 5 | ROD Ret | GAR 4 | GAR 1 | TAM 6 | INT 8 | GAR 2 | 1位 | 107 | ||
1998年 | BMW・320i | GAR 1 | GAR 1 | RDR 15 | ADR 1 | LRD 1 | EMI 14 | KUR 8 | OBA 2 | AOA 1 | CAS 11 | AMF 9 | ENT 1 | 1位 | 114 |
関連項目
脚注
- ^ Oscar Larrauri, Argentina Racing Sports Cars.
- ^ XXIII Grand Prix de Monaco 1981 Driver Database
- ^ Oscar Rubén Larrauri Stats F1
タイトル | ||
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先代 マウロ・バルディ | ヨーロッパF3選手権 チャンピオン 1982年 | 次代 ピエルルイジ・マルティニ |
固有名詞の分類
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