ペイトン・マニングの時代
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「デンバー・ブロンコス」の記事における「ペイトン・マニングの時代」の解説
2012年、コルツから解雇されたペイトン・マニングを獲得し昨年の先発QBティム・ティーボウをドラフト7巡指名権と共にニューヨーク・ジェッツのドラフト4巡、6巡と交換でトレードした。マニングは、この年カムバック賞に選ばれる活躍を見せた。 2013年、前年と同様に13勝3敗でAFCの第1シードを獲得した。プレーオフでは、サンディエゴ・チャージャーズとニューイングランド・ペイトリオッツを破り、AFCチャンピオンに輝いた。1997年、1998年の連覇以来のスーパーボウル出場となったが、シーホークスに8-43で完敗した。 2014年シーズンの開幕前に、1984年よりチームオーナーを務めていたパット・ボーレン(英語版)がアルツハイマー病との闘病のため、チーム執行権を手放すことが発表された。結果として、ジョー・エリス(英語版)とジョン・エルウェイがチームの執行権を握った。この年は、12勝4敗でAFC第2シードを獲得した。しかし、ディヴィジョナル・プレーオフでインディアナポリス・コルツに敗北し、直近4年間で3度目のディヴィジョナル・プレーオフ敗退となった。 2015年からはゲイリー・キュービアックがHCとなり、 第50回スーパーボウルを制覇。この試合でQBを務めたマニングは、翌月に引退を発表した。
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ペイトン・マニングの時代
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「インディアナポリス・コルツ」の記事における「ペイトン・マニングの時代」の解説
1998年も3勝13敗の地区最下位に終わったが1999年、チームは13勝3敗と飛躍的に成績を改善させて地区優勝を果たした。1999年以降チームは2001年を除き毎年プレーオフ出場を果たす強豪となった。2002年からはタンパベイ・バッカニアーズのヘッドコーチだったトニー・ダンジーがヘッドコーチに就任、弱点だった守備が改善されていった。 2003年にはAFC南地区のタイトルを獲得し、プレーオフではデンバー・ブロンコスに41-10、カンザスシティ・チーフスに38-31と勝利したがAFCチャンピオンシップゲームでニューイングランド・ペイトリオッツに14-24で敗れた(この試合では審判が機能していなかったという批判がなされた。試合全体を通じて7回しかペナルティが宣告されず、そのうちの6回はスナップ前にコールされたものだった。この試合でペイトリオッツCBタイ・ローが行った接触プレイは翌年には禁止されタイ・ロー・ルールとも呼ばれる)。 2004年シーズン、開幕戦でペイトリオッツに敗れたが4連勝、バイウィーク後に連敗したがシーズン終盤に8連勝を果たしAFC南地区のタイトルを手にした。第16週のホームでのプレーオフ出場がかかったサンディエゴ・チャージャーズ戦時点でQBのペイトン・マニングはシーズン48TDパスというダン・マリーノの記録にあと一歩と迫っていた。16-31とリードされた場面でドミニク・ローズが88ヤードのキックオフリターンTDをあげて8点差に追い上げ、残り時間4分47秒、4ダウン4 で自陣25ヤードラインからの局面でパントではなくギャンブルを選択し成功、最後はWRのブランドン・ストークリーへのシーズン49回目のTDパスが成功し、ダン・マリーノの記録を破った。2ポイントコンバージョンも成功し31-31の同点となり試合は延長にもつれこんだ。コルツはマイク・バンダージャットのFGで34-31の勝利を収めプレーオフ出場が決まった。ワイルドカード・プレーオフではホームで49-24と勝利する。この試合、マニングは33回中27回のパス成功で4TD、インターセプトは1回のみ、457ヤード獲得という驚異的な記録を残したが翌週のディビジョナル・プレーオフでペイトリオッツの前に3-20と敗れた。レギュラーシーズンでトップクラスの得点力を誇ったコルツオフェンスは相手ディフェンスにことごとく阻まれてシーズン唯一タッチダウンをあげられない試合となった。ディフェンスもペイトリオッツのボールコントロールオフェンスを止めることができず、7分を超えるドライブを3回許し、この3回で合計17点を奪われる結果に終わった。 2005年シーズンでは開幕13連勝を果たしたが第15週のサンディエゴ・チャージャーズ戦に敗れしかも多くの選手が怪我をしてしまった。翌週のシアトル・シーホークスにも敗れた。プレーオフではピッツバーグ・スティーラーズと対戦したが最後の最後までオフェンスラインがスティーラーズのLB陣のブリッツに対応しきれずマニングが思ったようなプレイをすることができなかった。しかし後半残り1分21秒相手RBジェローム・ベティスがボールをファンブル、それをコルツCBニック・ハーパーがリカバーし再度攻撃の機会が与えられた。残りわずかの時間でオフェンスはFG圏内までボールを進めたがKマイク・ヴァンダージャットが46ヤードのFGを失敗しシーズンが終わった。 2006年シーズン、2年連続の9連勝もあり地区優勝を果たした(AFC第3シード)。シーズン初めから故障者に悩まされ、特にディフェンスの先発選手4人がシーズン序盤でシーズン絶望になるなど、ディフェンスはがたがたになり、第14週のジャクソンビル・ジャガーズ戦ではランだけで375ヤードを許すという有様であった。しかしポストシーズンでFSボブ・サンダースが戻るなどコルツディフェンスは息を吹き返し、ワイルドカードプレーオフではカンザスシティ・チーフスのRBラリー・ジョンソンのランを終始押さえ23-8で勝利、ディビジョナル・プレーオフではボルチモア・レイブンズのランなどを全般的に押さえ15-6で勝利した。 AFCチャンピオンシップでは2年連続敗れているペイトリオッツと対戦した。試合は前半一時3-21にまで点差を広げられたもののFGで3点を返しハーフタイムを6-21で折り返した。後半の最初のドライブでマニングのQBスニークによるTDで締めくくると、次のペイトリオッツの攻撃を3回で止めた。続くオフェンスではダン・クレッコへのTDパス、2ポイントコンバージョンが成功し同点となった。その後タッチダウンを奪われ21-28となった。第4Q残り13分24秒、コルツRBドミニク・ローズがエンドゾーン手前でファンブルしたがそれをCジェフ・サタデーがリカバー、TDをあげた。オフェンスラインマンが2回(ペイトリオッツのRTローガン・マンキンズとコルツのCジェフ・サタデー)タッチダウンをあげる試合はプレーオフ史上初のことであった。その後ペイトリオッツ、コルツともにFGで追加点を重ね31-34で後半2分17秒からコルツのオフェンスとなった。残り1分でのRBジョセフ・アダイのTDランで38-34と逆転し、最後ペイトリオッツの攻撃ではトム・ブレイディのパスをCBマーリン・ジャクソンがインターセプト、コルツが勝利した。最大18点差での逆転はチャンピオンシップ史上最大の逆転劇となった。第41回スーパーボウルでは最初のキックオフリターンでデビン・ヘスターにTDを決められたり、アダム・ビナティエリのFG失敗などがあったが、第4Qにケルビン・ヘイデンが相手QBレックス・グロスマンのパスをインターセプトするなど、ベアーズに29-17で逆転勝利し、36年ぶり2回目の優勝を達成した。 スーパーボウル優勝後も連続してプレーオフに出場していたが2年連続プレーオフ初戦で敗れ、2008年シーズン終了と共にトニー・ダンジーヘッドコーチは辞任した。 2009年、ジム・コールドウェルがヘッドコーチに就任し、オフェンスコーディネーターも退団したためコルツの栄光もここまでと予想したアナリストも多かったがチームは第16週にニューヨーク・ジェッツに敗れるまで開幕14連勝を果たした。この試合第3Q途中からチームはマニングなどの主力選手をベンチに下げた後に逆転負けを喫したがジム・アーセイオーナー、コールドウェルヘッドコーチはスーパーボウル制覇こそが大事でありシーズン16戦全勝にはこだわっていないことを改めて強調した。その後、14勝2敗でレギュラーシーズンを終え、AFC第1シードでプレーオフに進出。順調に勝ち上がりAFCチャンピオンシップゲームにおいてニューヨーク・ジェッツを30-17で下し第44回スーパーボウルへの進出を果たした。しかし、スーパーボウルではNFC代表のニューオーリンズ・セインツに31-17で敗れ、3年ぶりのスーパーボウル制覇は成し得なかった。 2010年、最終週に地区優勝を決めて、9年連続のプレーオフ出場となり、ダラス・カウボーイズが1975年から1983年に作ったNFL記録に並んだ。しかし2011年1月8日、ワイルドカードプレーオフでニューヨーク・ジェッツに敗れた。 2011年シーズンは227試合に連続先発出場していたペイトン・マニングが開幕から欠場、急遽ケリー・コリンズを獲得したが、コリンズも故障しシーズン絶望となり、カーティス・ペインターが先発QBとして起用されたが連敗を止められず、ダン・オーロフスキーが先発QBとなった。オーロフスキーが先発に昇格して3戦目でシーズン初勝利、翌週のヒューストン・テキサンズ戦でも連勝した。2012年のNFLドラフト全体1位指名権が獲得できるため、シーズン終盤ファンの中にはチームの敗戦を望む声も見られた。最終戦に敗れ2勝14敗、シーズン終了後、ジム・ボリアン副社長、クリス・ポリアンGM、ジム・コールドウェルヘッドコーチが解任され、ボルチモア・レイブンズのディフェンスコーディネーター、チャック・パガーノを新ヘッドコーチとして迎えた。3月にチームはペイトン・マニングを解雇、その後ダラス・クラーク、ジョセフ・アダイ、ゲイリー・プラケットらを解雇した。
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