スティーラーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 23:04 UTC 版)
スティーラーズ
- スティーラーズ (2008年の映画) - エイドリアン・ヴィクトリア監督による2008年のイギリス映画。原題:The Crew。
- スティーラーズ (2013年の映画) - ウェイン・クラマー監督、アダム・ミナロヴィッチ脚本による2013年のアメリカ映画。
- スティーラーズ (2021年の映画) - 『オリバー・ツイスト』を原作とする2021年のイギリス映画。
- ピッツバーグ・スティーラーズ - アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグを本拠地とするNFLのチーム。
- 浦項スティーラース - Kリーグに所属するプロサッカークラブ。
- コベルコ神戸スティーラーズ - JAPAN RUGBY LEAGUE ONEのチーム。
- CLUB STEELERS - 日本の社会人アメリカンフットボールリーグ・Xリーグに所属するチーム。
- モンクローバ・スティーラーズ(アセレロス・デ・モンクローバ) - メキシコ合衆国コアウイラ州モンクローバを本拠地とするリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのプロ野球チーム。
スティーラーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:02 UTC 版)
「ロッド・ウッドソン」の記事における「スティーラーズ」の解説
1987年、95日間のホールドアウトを行った。これは、長年ホールドアウト期間のスティーラーズ記録であったが、2018年、レベオン・ベルに更新された。 契約合意に至るまでは、110メートルハードル走のワールドクラスの選手であった彼は、ヨーロッパの陸上競技大会に出場した。1987年当時、110メートルハードルで世界歴代4位の成績を持っていた彼は、全米オリンピックフェスティバルで銅メダル、国際陸上競技連盟主催のヨーロッパの大会でもいくつかメダルを獲得した。彼はソウルオリンピックのアメリカ代表も狙える陸上選手でもあった。 10月28日、スティーラーズと70万ドルのサインボーナスを含む4年180万ドルで契約を結んだ。11月8日のカンザスシティ・チーフス戦にキックオフリターナーとしてNFLデビューした。11月22日、第12週のシンシナティ・ベンガルズ戦でブーマー・アサイアソンのパスをプロ初のインターセプト、48ヤードをリターンしてタッチダウンをあげた。この年、先発出場はなかったものの8試合に出場し、20タックル、キックオフリターン13回で平均22.3ヤード、パントリターン16回で平均8.4ヤードを獲得した。 1988年、ドウェイン・ウッドラフと共に先発CBとして起用された。この年もリターナーとして起用され、第6週のフェニックス・カージナルス戦では92ヤードのキックオフリターンタッチダウンをあげた。第12週のクリーブランド・ブラウンズ戦ではバーニー・コーザーをサックし、プロ初サックを記録した。この年全16試合に先発出場し88タックル、4インターセプトをあげるとともに、キックオフリターンで平均22.9ヤード、パントリターンで平均8.5ヤードを獲得した。 1989年1月3日、5勝11敗と過去20年で最低の成績の成績に終わったスティーラーズは、守備コーディネーターのトニー・ダンジーが辞任、4人のアシスタントコーチも解雇された。1989年11月19日のサンディエゴ・チャージャーズ戦で84ヤードのキックオフリターンタッチダウンをあげた。この年15試合に先発出場、80タックル、3インターセプト、キックオフリターンで平均27.2ヤード、パントリターンで平均7.1ヤードを獲得した。チームは9勝7敗でAFC中地区3位でワイルドカードでプレーオフに出場した。プレーオフ初出場となった彼は、ヒューストン・オイラーズとのワイルドカードプレーオフで4回のキックオフリターンで74ヤードを獲得、チームは26-23で勝利した。翌週のデンバー・ブロンコス戦は23-24で敗れた。 1989年からは6年連続でプロボウル・オールプロに選出されるなどリーグを代表するCBとなった。 1990年、ロッド・ラスト守備コーディネーターがニューイングランド・ペイトリオッツのヘッドコーチに就任するため退団、LBコーチのデイブ・ブラジルが守備コーディネーターとなった。この年、D・J・ジョンソンと共に先発CBを務めた。9月16日のオイラーズ戦ではグレッグ・モンゴメリーのパントを52ヤードリターンしてタッチダウンをあげた。同年12月6日、3年300万ドルで契約延長、チーム史上最高給の選手となった。この年全16試合に先発出場し、66タックル、5インターセプトをあげてオールプロファーストチームに選ばれた。キックオフリターンでは平均21.8ヤード、パントリターンで平均10.4ヤードを獲得している。 1991年、D・J・ジョンソンとともに先発CBを務めた。第13週のオイラーズ戦は怪我のためインアクティブとなった。11月28日のダラス・カウボーイズ戦でスティーブ・バーラインをサック、プロ初サックをあげた。12月27日、7勝9敗に終わった後、チャック・ノールヘッドコーチは23年間のヘッドコーチ歴に終止符を打った。 1992年1月21日、シンシナティ・ベンガルズの守備コーディネーターであったビル・カウアーがヘッドコーチに就任した。そして1月31日にニューオーリンズ・セインツのディフェンシブバックコーチ、ドム・ケイパーズが守備コーディネーターに就任した。5月19日、無制限フリーエージェントとなる訴訟を起こした9選手の1人であることが報道された。他の選手は、スティーブ・バーライン(カウボーイズ)、ボビー・エイビア(セインツ)、D・J・ドージャー(ライオンズ)、スコット・ミッチェル、ジェフ・ダレンバック(共にドルフィンズ)、セス・ジョイナー、クライド・シモンズ(共にイーグルス)、ケビン・ロス(チーフス)であった。この年もD・J・ジョンソンと共に先発CBで起用された。開幕戦のオイラーズ戦ではウォーレン・ムーンから2インターセプトをあげた。10月25日のカンザスシティ・チーフス戦では80ヤードのパントリターンタッチダウンをあげた。11月1日のオイラーズ戦ではコーナーバックブリッツで、ウォーレン・ムーンをヒット、ムーンは脳震盪を起こして交代した。11月15日のデトロイト・ライオンズ戦では、残り3分33秒に敵陣3ヤード地点でエリック・クレイマーにファンブルを誘発し、ターンオーバーを奪った。第14週のシカゴ・ベアーズ戦ではジム・ハーボーに対して自己最高の2サックをあげた。この年CBとしては異例の6サック、100タックル、4インターセプトを記録した。 1993年は30パスディフェンス、2ファンブルフォース、2サックを記録し、最優秀守備選手に選ばれ、翌1994年にはNFL75周年記念チームに選出された。現役選手の選出は5人のみであった。1995年はシーズン開幕戦のデトロイト・ライオンズ戦で右足ACL断裂という重傷を負ってしまったが、驚異的な回復力をみせ19週後の翌1996年1月28日、第30回スーパーボウルには間に合った。相手チームのダラス・カウボーイズのマイケル・アービンは自分は同じ怪我をしたが復帰までに1年半かかったと語り、驚きを隠せないコメントをしている。1996年はリターナーをやめCBに専念し、7度目のプロボウル・オールプロに選出された。
※この「スティーラーズ」の解説は、「ロッド・ウッドソン」の解説の一部です。
「スティーラーズ」を含む「ロッド・ウッドソン」の記事については、「ロッド・ウッドソン」の概要を参照ください。
- スティーラーズのページへのリンク