トップリーグ発足後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 00:38 UTC 版)
「コベルコ神戸スティーラーズ」の記事における「トップリーグ発足後」の解説
トップリーグ初年度となった2003-2004シーズンでは最終節に逆転し、初代リーグチャンピオンとなった。しかし、トップリーグ上位8チームによるトップ8トーナメント・マイクロソフトカップではNECグリーンロケッツに敗れる不覚を味わい、初代カップチャンピオンとの2冠を逃した。 2007-2008シーズンは関西地区(旧関西社会人リーグ)唯一のトップリーグ所属チームであった。 2014-2015シーズンは2003-2004シーズン以来のリーグ戦1位になったが、トップリーグプレーオフ準決勝でヤマハ発動機に敗れた。 2021年7月16日、新リーグJAPAN RUGBY LEAGUE ONEの1部リーグに振り分けされることになった。
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トップリーグ発足後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 09:14 UTC 版)
「花園近鉄ライナーズ」の記事における「トップリーグ発足後」の解説
2003年度に開幕したジャパンラグビートップリーグに参加し、同時に「近鉄ライナーズ」のチーム名が定められた。2003年度のリーグ戦では3勝8敗で12チーム中10位に終わり入れ替え戦に回ったが、九州電力に47-24で勝利して降格を免れた。 しかし、翌2004年度は2勝9敗で12チーム中11位に終わり、大会規定によりトップウェストAリーグへの自動降格が決定した。チームはこれまで企業の福利厚生を目的とした部活の一環として経営してきたが、2005年度からは企業のシンボルスポーツとしての独立組織に一新させる方針で、運営予算も増額された。また責任者としてOBの今里良三(元日本代表、元近鉄監督、元日本代表監督)を抜擢した。 2005年度はトップウェストAリーグを7戦全勝で優勝し、チャレンジマッチ(トップイースト、トップウェスト、トップキュウシュウの3地域の代表による順位決定戦)に進出。翌2006年度からトップリーグが14チームに拡大されるため、3チーム中2位までに入れば自動昇格による復帰を果たすことができたが、日本IBMビッグブルーに 0-39、コカ・コーラウエストジャパンに 12-15 と連敗し、入れ替え戦でもトップリーグで全敗した福岡サニックスブルースに20-46で敗れ、復帰を果たせなかった。 2006年度はトップウェストAリーグを2連覇して、チャレンジマッチに再挑戦。自動昇格をかけた三菱重工相模原との最終戦に 31-32 の僅差で敗れ自動昇格を逃した。さらに、その後に行われたIBMとの入れ替え戦でも終盤間際に同点 (29-29) に追いつかれた。この場合、大会規定でトップリーグのチームが残留するため、近鉄は2年連続してトップリーグへの復帰を果たせなかった。 2007年度のトップウェストAでは上位3強プレーオフ制度があり、3位以内に入ればチャレンジマッチ出場をかけたプレーオフに出場できる。トップリーグから降格してきたワールドファイティングブルと、ホンダヒートに敗れたものの、辛うじて3位でプレーオフ進出を決めた。プレーオフではホンダ、ワールドを撃破して、トップウェスト3連覇を果たし、チャレンジマッチ1の出場権を得た。チャレンジマッチではマツダブルーズーマーズと横河電機に快勝して1位でトップリーグ復帰を決めた。また33年ぶりに日本選手権に出場し、1回戦で慶應義塾大学を破ったが、続くトヨタ自動車戦は大接戦の末 (43-53) 敗れた。 2008年度はピーター・スローンをヘッドコーチに招聘し、トップリーグ昇格チームながら開幕2連勝、上位チームには勝てなかったが善戦しボーナスポイントを獲得した。下位チームには確実に勝ち、2試合を残して自動降格を回避した。また最終節を待たずに10位以上が決定し入替戦も回避して残留を確定した。最終順位は14チーム中9位であったが、復帰1年目としては好成績であった。 2009年度は更なるステップアップを目指し、大西将太郎・高忠伸・伊藤太進・田中正純など関西出身の実力者を補強。さらにレオン・マクドナルドというビッグネームの補強もあったが、負傷者とコンビネーション不足などが影響し、11位となり入替戦に回った。しかし入替戦では横河に勝ちトップリーグ残留を決めた。 2010年度はリコ・ギアが加入。また、コンビネーションも向上し、しばらく勝てなかった神戸製鋼やトヨタ自動車を破るという金星を挙げた。最終順位はトップリーグ最高タイの9位であった。なお、ピーター・スローンヘッドコーチの契約満了に伴い前田隆介コーチが2011年度より監督に就任することになった。 2011年度は開幕3連勝などの快進撃で、チームとしてはトップリーグで最高位の5位に食い込んだ。翌2012年度は中位チームとの対戦で取りこぼしが多く7位で終了した。 2016年3月には前田隆介監督の退任に伴い坪井章が監督に就任した。しかし2017年度は最終順位で16位(最下位)となり、トップチャレンジリーグに自動降格となった。 2018年度は、ヘッドコーチに前15人制女子日本代表監督である有水剛志が就任。トップチャレンジリーグの1stステージは全勝で通過したが、2ndステージで失速し3位となった。入れ替え戦に出場したが、日野レッドドルフィンズに敗れ、1シーズンでの昇格はならなかった。 2019年度、バックスコーチにショーン・ヘッジャーを迎えアタックを一新。トップリーグカップのプール戦を4勝1敗で終えるも、神戸製鋼戦での敗戦が響き、決勝トーナメント進出を逃した。 2021年7月16日、新リーグJAPAN RUGBY LEAGUE ONEの2部リーグに振り分けされることになった。同日、近鉄ライナーズは2022年1月に開幕する新リーグでチーム名称に花園ラグビー場を入れた「花園近鉄ライナーズ」に名称変更すると発表した。
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