女子日本代表監督
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1983年には女子日本代表監督に就任。1985年の第1回アジアカップ銀メダル、1986年のアジア競技大会で史上初の銀メダルに導いた。 1989年には天理大単独の日本代表を率いて第2回アジアカップ大会で銀メダルを獲得。 1991年から日本ホッケー協会理事兼任として日本女子代表監督に復帰。1994年まで務め、1993年6月の高円宮杯国際大会で、ソウル五輪金メダルのオーストラリア、バルセロナオリンピック金メダルのスペインを破る快挙を成し遂げる。 2004年、アテネ五輪で指揮を執った安田善治郎の後を受け女子日本代表の監督に復帰。2006年のW杯5位入賞、さらにアジア大会銀メダル、北京五輪出場に導いた。
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