女子日本代表での活動
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2006年に東京医療保健大学でバスケットボール部を立ち上げた際、大学でのコーチングにとどまらず、日本代表の仕事をしたいという思いで、当時U21女子日本代表ヘッドコーチだった梅嵜英毅に自身を売り込み、ビデオコーディネーターとして受け入れられる。当初は自費で海外の大会に帯同し、恩塚の現在の指導スタイルでもある試合映像の編集・分析を行った。2007年から正式に女子日本代表のアナリストとなり、2012年まで務めた。 2015年にユニバーシアード女子日本代表のアシスタントコーチを務めたのち、2016年リオデジャネイロオリンピックで再びアナリストとして女子日本代表に帯同。2017年から2021年の東京オリンピックまで、トム・ホーバスヘッドコーチのもとで女子日本代表のアシスタントコーチを務めた。 2021年9月、ホーバスの後任として女子日本代表ヘッドコーチに就任した。
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