日本女子代表監督
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世界バレーとロンドン五輪で銅メダル獲得 2008年12月、全日本女子代表チームの監督に内定(18人の応募者の中から、達川実との2人に絞られ、プレミアリーグ監督会の推薦を受けた眞鍋が選ばれた)。体制発足当初から、指導担当の分野を細分化し、川北元ら4人のコーチに任せる方式を採用し、継続した。また、前監督時代から受け継いで渡辺啓太をアナリストに起用した。 2010年11月の世界選手権(世界バレー)では、試合中iPadを手にしながら選手に指示し、自らが掲げる「IDバレー」でチームを采配。日本は3 銅メダルを獲得した(同大会で32年ぶりとなるメダル獲得)。 チーム方針として、スパイクの「決定率」よりもミスや被ブロックの少ない「効果率」を重視し、まず「サーブ」「サーブレシーブ」「ディグ(レシーブ)」「失点を少なくする」の4点だけは世界一になろうと選手にずっと言い続けていった。 世界最終予選をギリギリ通過し計2選手を入れ替えて(岩坂と平井が脱落)臨んだ2012年のロンドン五輪には、相手のデータ分析をかく乱するため、選手12人中10人の背番号を変更した。日本は3 銅メダルを獲得した(五輪で28年ぶりとなるメダル獲得)。 JVAは五輪後改めて次の全日本監督を公募で決める予定だったが、女子は撤回。眞鍋への続投要請決定が9月29日に判明、10月3日に代表監督再任が正式決定した。眞鍋は「リオデジャネイロオリンピックで金メダルを目指す」と意気込みを語った。 新戦術「MB1」から「Hybrid 6(ハイブリッド6)」 2013年1月、トルコを訪れた際、現地リーグでプレーする木村沙織に、全日本の次期キャプテンを打診し何度も訴えた(木村は決意していた今年度での引退を撤回し3月に受諾)。 同年11月のグラチャンバレー開催直前には、2年前(W杯後)から温存していたという従来にはない新戦術「MB1」(MBを1人に減らしてWSを4人体制にするもの)を試す考えを示した。アジア選手権後の9月下旬からチームで練習してきたという。初戦のロシア戦では、そのMB(大竹里歩)の対角にWSの迫田さおりを起用した。なお、今後のMB起用の展望としては「MB0」も含め、大会後に検証することを示した。 2014年8月19日、ワールドグランプリのファイナル東京大会前日の会見にて、今大会で初披露した新戦術名を「Hybrid 6(ハイブリッド6)」と発表。「MB1」をさらに進化させ、コート上の6人が複数の役割を担うのを期待して命名したことを解説した。(リベロは別として)セッター以外の5人のスパイカーに関して、従来のWS3人とMB2人という枠組みを撤廃。レセプションなどパスも担当するレフトの「パスヒッター」2人、それ以外の「ポイントゲッター」3人に区分して、攻撃力を分散させつつ全体の向上を目指した。同大会では初のメダル(2 銀メダル)を獲得した。9月-10月の世界選手権は7位タイに終わった。セッター対角には長岡や迫田や江畑らを起用してレセプション(サーブレシーブ)を免除し、攻撃力を重視した(従来の山口はMBで新鍋はレフトWSで起用)。 2015年には、世界で「男子化の波が速いスピードできている」とし、ディフェンス強化を課題の一つに挙げた。ワールドカップではリベロを座安琴希(サーブを受ける時=レセプションとディグ)と佐藤澪(サーブ権のある時=ディグ)で、分担起用した。なお、レセプション(新戦術導入前はセッター対角の山口や新鍋も一部を担当していた)は、2016年時点では、守備範囲が明確ではない中で基本的にリベロと片方のレフトWSの2人体制で対応してきたという。 リオ五輪出場決定 2016年5月のリオデジャネイロ五輪世界最終予選では従来と同様に、最後の最後で落選したメンバーをチームに帯同させた。全勝通過を口にしてプレッシャーで苦戦した4年前を教訓に、今回はとにかく出場権獲得を目標として大会に臨んだ。韓国に敗れた翌4日目のタイ戦では第2セットで、先発だった荒木を含めてロンドン五輪の生き残り4人を全員まとめてスタートから投入(リベロを除く他の2人は石井優希とセッター宮下遥)。結果は、フルセット6-12からの大逆転勝利となった。6日目終了時点でセット率によって(最終的にはアジア最上位で通過)、ロンドンから続けて五輪出場を決めた。 このメンバーを含め19人から五輪本戦に臨む12人を選ぶと明言し、6月のワールドグランプリでは当落線上の選手も試した。結果的には、全員が最終予選に出た選手(引き続き「ディフェンス力」重視で座安が当選し丸山・古賀は落選)となった。スタッフとも何十回も議論を重ねた選考で、最も重視したポイントは目に見えない力も踏まえて「チームワーク」とも眞鍋は語った。8月の本戦では「前回よりもいい色のメダル獲得」を目指したが、準々決勝でアメリカに敗れた。 2016年10月、バレーボール全日本女子の次期監督の候補の一人として推薦されたが辞退し。、退任した(後任は中田久美)。
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