日本女子代表監督とは? わかりやすく解説

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日本女子代表監督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:13 UTC 版)

眞鍋政義」の記事における「日本女子代表監督」の解説

世界バレーロンドン五輪銅メダル獲得 2008年12月全日本女子代表チーム監督内定18人の応募者の中から、達川実との2人絞られプレミアリーグ監督会の推薦受けた眞鍋選ばれた)。体制発足当初から、指導担当分野細分化し、川北元ら4人のコーチ任せ方式採用し継続したまた、監督時代から受け継いで渡辺啓太アナリスト起用した2010年11月世界選手権世界バレー)では、試合中iPadを手にしながら選手指示し、自らが掲げる「IDバレー」でチーム采配日本は3 銅メダル獲得した同大会で32年ぶりとなるメダル獲得)。 チーム方針として、スパイクの「決定率」よりもミスや被ブロック少ない「効果率」を重視し、まず「サーブ」「サーブレシーブ」「ディグレシーブ)」「失点少なくする」の4点だけは世界一になろうと選手にずっと言い続けていった。 世界最終予選ギリギリ通過し計2選手入れ替えて岩坂平井脱落臨んだ2012年ロンドン五輪には、相手データ分析かく乱するため、選手12人中10人の背番号変更した日本は3 銅メダル獲得した五輪28年ぶりとなるメダル獲得)。 JVA五輪後改め次の全日本監督公募決め予定だったが、女子撤回眞鍋への続投要請決定9月29日判明10月3日代表監督再任正式決定した。眞鍋は「リオデジャネイロオリンピック金メダル目指す」と意気込み語った。 新戦術「MB1」から「Hybrid 6(ハイブリッド6)」 2013年1月トルコ訪れた際、現地リーグプレーする木村沙織に、全日本次期キャプテン打診し何度も訴えた木村決意していた今年度での引退撤回し3月受諾)。 同年11月グラチャンバレー開催直前には、2年(W杯後)から温存していたという従来にはない新戦術「MB1」(MB1人減らしてWS4人体制にするもの)を試す考え示したアジア選手権後の9月下旬からチーム練習してきたという。初戦ロシア戦では、そのMB大竹里歩)の対角WS迫田さおり起用した。なお、今後MB起用展望としては「MB0」も含め大会後検証することを示した2014年8月19日ワールドグランプリファイナル東京大会前日会見にて、今大会で初披露した新戦術名を「Hybrid 6(ハイブリッド6)」と発表。「MB1」をさらに進化させ、コート上の6人が複数役割を担うのを期待して命名したことを解説した。(リベロは別として)セッター以外の5人のスパイカーに関して従来のWS3人とMB2人という枠組み撤廃レセプションなどパス担当するレフトの「パスヒッター2人それ以外の「ポイントゲッター」3人に区分して攻撃力分散させつつ全体の向上を目指した。同大会では初のメダル(2 銀メダル)を獲得した9月-10月世界選手権は7位タイ終わったセッター対角には長岡迫田江畑らを起用してレセプションサーブレシーブ)を免除し攻撃力重視した従来山口MBで新鍋はレフトWS起用)。 2015年には、世界で男子化の波が速いスピードできている」とし、ディフェンス強化課題一つ挙げたワールドカップではリベロ座安琴希サーブを受ける時=レセプションディグ)と佐藤澪サーブのある時=ディグ)で、分担起用した。なお、レセプション(新戦術導入前セッター対角山口や新鍋も一部担当していた)は、2016年時点では、守備範囲が明確ではない中で基本的にリベロ片方レフトWS2人体制対応してきたという。 リオ五輪出場決定 2016年5月リオデジャネイロ五輪世界最終予選では従来同様に最後の最後落選したメンバーチーム帯同させた。全勝通過を口にしてプレッシャー苦戦した4年前を教訓に、今回はとにかく出場獲得目標として大会臨んだ韓国敗れた4日目タイ戦では第2セットで、先発だった荒木含めてロンドン五輪生き残り4人を全員まとめてスタートから投入リベロを除く他の2人石井優希セッター宮下遥)。結果は、フルセット6-12からの大逆転勝利となった6日目終了時点セット率によって(最終的にアジア最上位通過)、ロンドンから続けて五輪出場決めた。 このメンバー含め19人から五輪本戦に臨む12人を選ぶ明言し6月ワールドグランプリでは当落線上選手試した結果的には、全員最終予選出た選手引き続きディフェンス力」重視座安当選し丸山古賀落選となったスタッフとも何十回も議論重ねた選考で、最も重視したポイント目に見えない力も踏まえてチームワーク」とも眞鍋語った8月本戦では「前回よりもいい色のメダル獲得」を目指したが、準々決勝アメリカ敗れた2016年10月バレーボール全日本女子次期監督候補一人として推薦されたが辞退し。、退任した後任中田久美)。

※この「日本女子代表監督」の解説は、「眞鍋政義」の解説の一部です。
「日本女子代表監督」を含む「眞鍋政義」の記事については、「眞鍋政義」の概要を参照ください。

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