1975年から1983年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 18:08 UTC 版)
「ジャーゴンファイル」の記事における「1975年から1983年」の解説
ジャーゴンファイル(以降は jargon-1 あるいは単にファイルと呼ぶ)は1975年にスタンフォード大学のラファエル・フィンケル(英語版)によって始められた。この時から1991年にスタンフォード大学のコンピューターが最終的に停止するまで、ファイルは「AIWORD.RF[UP,DOC]」という名前でそこにあった。一部の用語の起源はそれよりも相当古くからあるものである。例えば、frob や moby の一部の意味はマサチューセッツ工科大学の Tech Model Railroad Club まで遡ることができ、少なくとも1960年代の初頭まで遡ることができると信じられている。jargon-1 の改訂には版数がつけられておらず、まとめて「バージョン1」とみなされることもある。 1976年にマーク・クリスピンはスタンフォード大学のコンピューターでファイルに関する告知を見て、FTP でファイルをマサチューセッツ工科大学にコピーした。彼はファイルの内容が「AI用語」に限定されていないことに気づき、自分のディレクトリ内に「AI:MRC;SAIL JARGON」というファイル名で保存した。 ファイルは「JARGON >」に改名され、マーク・クリスピンとガイ・スティール・ジュニアによって様々な内容の充実が行われた。不幸にも、この活動の間、だれもがジャーゴン(専門用語)という用語をスラング(俗語)に訂正することに思い至らず、訂正しようとしたときには辞典はジャーゴンファイルという名で広く知れ渡っていた。おそらくはこの「専門用語」という言葉が辞典がまじめなものであるという誤った印象を与えるもととなった。 ラファエル・フィンケルはその後すぐに活動への関与からはずれ、ドン・ウッズがファイルのスタンフォード大学側連絡係となった。以降、ファイルはスタンフォード大学とマサチューセッツ工科大学に複製が置かれ、定期的に同期がとられた。 ファイルは1983年頃まで時々思い出したように拡張された。リチャード・ストールマンはこの頃の有名な寄稿者であり、マサチューセッツ工科大学やITS関連の多くの造語を付け加えた。 1981年の春にはチャールズ・スパージェンという名のハッカーによってファイルからかなりの部分がスチュワート・ブランドの「CoEvolution Quarterly」(第29号の26-35ページ)にフィル・ワドラーとガイ・スティール・ジュニアの挿絵とともに掲載された。ファイルが印刷物として出版されたのはこれが最初のようである。 後期のバージョンの jargon-1 が、大衆市場向けの解説を加えて拡充され、ガイ・スティール・ジュニアの編集によって、「The Hacker's Dictionary」という題で書籍として出版された。他の jargon-1 の編集者(ラファエル・フィンケル、ドン・ウッズ、マーク・クリスピン)もこの改訂に寄与しており、リチャード・ストールマンとジェフ・グッドフェローも寄与した。この本(現在は絶版である)をこれ以降は「Steele-1983」と呼び、前述の6人をこの本の共著者と呼ぶ。
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