1975年のガス突出事故
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「幌内炭鉱」の記事における「1975年のガス突出事故」の解説
1975年11月27日午前2時5分、地下1000mにある最深部の7片坑道にてガス突出事故があり、10分後の2時15分にガス爆発が起きた。同日9時55分に救助隊が片坑道まで降りたものの、火災や崩落のために災害現場に接近することが出来なかった。布引排気斜坑の換気装置は全開で運転されたが、坑道は煙が充満しガス爆発も断続的に続いており、救助活動は不可能であった。行方不明者は13名であった。二次災害の危険が高かったために救助班は撤退した。家族の了承を得て11月30日17時51分より鎮火目的で坑道への注水を開始した。12月1日までに2万4810トンの注水が実施され、7片水平坑道を水没された。12月2日15時30分、注水後の調査のために調査隊が入坑したところ、地下860mの5片坑道付近で火災が継続しており、深部ではガス爆発が継続していることが分かった。12月3日より2回目の注水が開始。12月10日までに、6片坑道を水没させた。5片坑道については、坑道内での消火活動にて鎮火する方針であったが、それも危険であることが分かった。12月12日から翌年の1976年1月10日までかけて3回目の注水を実施、4片坑道(地下790m)まで水没させた。崩落した坑道を回避して別の坑道から消火活動を行おうとしたが、火災は坑道全体に波及しており、2月27日から3月27日までかけて4回目の注水を実施し、2片坑道(地下650m)まで水没させた。総注水量は408万トンにもなった。1977年になって坑内に残された遺体の探索が開始され、6月1日から7月3日にかけて13人全員の遺体が回収された。事故により主力坑道の全てを失ったが、その後水没した坑道を整備して操業を再開した。1989年閉山。
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