1975年のガス突出事故とは? わかりやすく解説

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1975年のガス突出事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 08:50 UTC 版)

幌内炭鉱」の記事における「1975年のガス突出事故」の解説

1975年11月27日午前2時5分、地下1000mにある最深部の7片坑道にてガス突出事故があり、10分後の2時15分ガス爆発起きた同日9時55分に救助隊が片坑道まで降りたものの、火災崩落のために災害現場接近することが出来なかった。布引排気斜坑換気装置全開運転されたが、坑道は煙が充満しガス爆発断続的に続いており、救助活動不可であった行方不明者13であった二次災害の危険が高かったために救助班は撤退した家族了承得て11月30日17時51分より鎮火目的坑道への注水開始した12月1日までに2万4810トン注水実施され、7片坑道水没された。12月2日15時30分、注水後の調査のために調査隊が入坑したところ、地下860mの5片坑道付近火災継続しており、深部ではガス爆発継続していることが分かった12月3日より2回目注水開始12月10日までに、6片坑道水没させた。5片坑道については、坑道内での消火活動にて鎮火する方針であったが、それも危険であることが分かった12月12日から翌年1976年1月10日でかけて3回目注水実施、4片坑道地下790m)まで水没させた。崩落した坑道回避して別の坑道から消火活動行おうとしたが、火災坑道全体波及しており、2月27日から3月27日でかけて4回目注水実施し、2片坑道地下650m)まで水没させた。総注水量は408トンにもなった。1977年になって坑内残され遺体探索開始され6月1日から7月3日にかけて13全員遺体回収された。事故により主力坑道全て失ったが、その後水没した坑道整備して操業再開した1989年閉山

※この「1975年のガス突出事故」の解説は、「幌内炭鉱」の解説の一部です。
「1975年のガス突出事故」を含む「幌内炭鉱」の記事については、「幌内炭鉱」の概要を参照ください。

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