トムとターンベリー・エイルサコース
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「トム・ワトソン」の記事における「トムとターンベリー・エイルサコース」の解説
トムのゴルフキャリアを語る上で欠かせないのが全英オープンの開催コースであるターンベリー・エイルサ(Ailsa、アイルサとも発音する)コース(パー70)であろう。英国北西部に位置しており、8ホールが大西洋に面し、海岸線の一部は白波が砕ける岸壁であり、左に白亜の灯台を見て海沿いを進む9番ホールなどを有し、障害物としての樹木を植えず、砂丘もなく、全英オープン開催コースの中で最も風光明媚なリンクスコースのひとつである。 27歳で臨んだ1977年7月6日(水曜日)〜9日(土曜日)の第106回全英オープンはターンベリーで初開催された大会であり、ワトソンはアルフィー・ファイルズをキャディに従え、最終日に当時最強であった帝王ニクラスとの真昼の決闘を1打差で制して優勝した。16カ国から集まった選手156人(予選通過の96人と出場権を持つ60人、含アマチュア9人)が午前7時から臨んだ予選1日目、ワトソンとニクラスは-2(68)で、首位ジョン・シュローダーと2打差の3位タイ。好天の2日目には、全英初出場のマーク・ヘイズがブルース・リツキーにコーチされたクロスハンドグリップのパッティングをこの日から開始して18ホールを23パット、17番ホールではイーグルを奪うなどして63で廻り、全英オープン最小スコアを43年ぶりに2打短縮した。また、1か月前に全米オープンを制したヒューバート・グリーンはピンまで153mの4番ホールで6番アイアンを使用してホールインワンを記録。この日、ワトソンとニクラスはパープレイ(70)で廻り、首位ロジャー・モルトビーと1打差の2位タイ。本選はワトソンとニクラスが同じ組でラウンドした。10オーバーまでの87人が進出した3日目には雷雨で約40分間の中断があったが、ワトソンはアウト33イン32、ニクラスはアウト31イン34、ともに1ボギーで廻り、第3ラウンド終了時点でワトソンとニクラスが-7(203)で首位に並んだ(この時点で3位ベン・クレンショウに3打差)。全英初挑戦の青木功は54ホール終了時点で予選落ち。64人が進出した最終ラウンドはワトソンとニクラスの'2人だけの大会'の様相を呈し、大会終了時点では2位ニクラスと3位グリーンとの差は10打差に広がり、いかにこの2人が卓抜していたかがわかる。2人が最終組で廻った最終日の決闘の詳細は以下の通り(以下、ワトソン:W、ニクラス:N)。2番ホールでは、Nバーディ、Wボギーで、Nが一気に2打リード。4番ホールでは、Nが11mのバーディパットを決めて-9となり、3打差。しかし、Wは5番ホールで15mのバーディパットが成功、7番ホールではドライバーを2度使って2オンしてバーディ、8番ホールで7mのバーディパットを沈めて、両者-9で並ぶ。9番ホールで、Wがボギーで、Nが1打リード。12番ホールでNがロングパットを決めてバーディをとり、Nが-10で2打リード。13番ミドルホールでは、Wがバーディで1打差に迫る。15番ショートホールでは、Nは第1打を5番アイアンでピンまで6mのところに運んだが、2パットでパー。一方、Wの4番アイアンでの第1打はグリーン左に3m外れたが、約20mの下りをパターで打つと、球はスルスルと転がり、カップの右サイドから鮮やか転がり込んでバーディ、両者が-10で並ぶ。17番ロングホール(457m)では、Wが3番アイアンでピンまで8mに2オン、2パットでバーディ。一方、Nは4番アイアンでの第2打がショートしてグリーン右手前のラフに捕まり3オン、2mのバーディパットを決められず2パットでパー、Wが1打リード。同組で廻った本選では35ホール目に初めてWがNをリードして、本大会で初めて単独トーナメントリーダーとなった。決闘のクライマックスの18番ホールは左ドッグレッグ。逃げ切りを図ったWは、ティーショットに1番アイアンを使用し、左クロスバンカー越えで完璧。これを見たNは、ドライバーで'all or nothing'の勝負を挑んだが、力みすぎてボールを曲げ、フェアウェイ右側のハリエニシダが生い茂る深いラフのエッジにつかまった。第2打は、Wが7番アイアンでピタリとピンそば40cmに運んでNにプレッシャーをかけると、Nも7番アイアンでラフの草を刈り飛ばしつつボールをピン右10m弱のグリーン上へと運ぶ奇跡のリカバリー。Nはこのロングパットを1パットで沈めてバーディをとり、逆にWへプレッシャーをかけたが、Wは落ち着いて1パットでバーディ、通算-12で逃げ切った。最終日のスコアは、ワトソンはアウト34イン31の65、ニクラスはアウト33イン33の66であり、最後の2ホールで完璧なショットを連発したワトソンが、ノーボギーで廻ったニクラスに勝利した。最終18番でワトソンに追いつけず、全英オープン6度目の2位に終わったニクラスは「彼はわずか40cmのパットを残していただけだから、私の最後のバーディは無駄だったかもしれない」とコメントしたが、このバーディにより2位と3位の差が2桁の10打差となった。また、ニクラスは「非常にいいラウンドだったが、もっと上手くプレイした人がいた。これがゴルフだ。来年のジ・オープンを見てくれ」とコメントして、翌年のセント・アンドルーズでの大会で、3度目で最後の全英オープン制覇を有言実行した。 36歳で臨んだ1986年の同コース開催の第115回全英オープンでは、ワトソンは四日間通算+16で35位タイ。コンコルドで英国入りしたグレグ・ノーマンがメジャー初優勝した。強い寒風と小雨の大会初日は、単独首位のイアン・ウーズナムでさえパープレイであり、ノーマンは74打スタート。弱風の2日目に、ノーマンは3ボギーながらも8バーディ・1イーグル・6パーで全英オープン最小スコアタイの63で廻り、2位に2打差の-3で単独首位浮上。この年のマスターズで復活優勝を遂げたニクラスは+11、ワトソンは+8で予選通過。本選でのノーマンは、風雨の3日目に再び74でスコアを落とし、54ホール終了時点で2位の中嶋常幸に1打差に迫られたが、好天の最終日は69でまとめて、4日間通算280のイーブンパーで、2位に5打差をつけて優勝した。オーストラリア人の全英制覇は1965年のピーター・トムソン以来、21年ぶりの快挙であった。また、ノーマンは1986年のメジャー4大会すべてで54ホール終了時点で首位に立ち、最終日に最終組で廻っており、ノーマンスラム(サタデースラム)と呼ばれているが、優勝はジ・オープンのみ。 44歳で臨んだ1994年の同コース開催の第123回全英オープンには、ファイルズが病気でキャディを引退していたので、ブルース・エドワーズがターンベリーに初めてキャディで随行した。スイング改造して臨んだワトソンは、初日68で4位タイ、2日目は65で首位、3日目は69で首位と1打差の3位タイ。最終日は7番ホールでバーディをとり単独首位に立ったが、8・9番ホールで連続ダブルボギーを叩いて優勝争いから後退、最終日のスコアは74、通算4アンダーで11位タイ。この年ワトソンはメジャーの4大会すべてでトップ15位入りを果たしたが、マスターズ(13位)、全米オープン(6位、オークモント)、全英オープンの3大会で最終日のスコアは74であった。この年2月6日ペブルビーチ・ナショナルプロアマの大会最終日にワトソンは74打を叩き、ともにこの日74のジョニー・ミラーに1打差で優勝を攫われて以来、呪われた1年であった。1994年のターンベリーの勝者はニック・プライスであり、最終日16番ホールでバーディ、17番ホールでイーグルを奪取して、2位に1打差で勝利した。 53歳で臨んだ2003年の同コース開催の第1回全英シニアオープン(この年からシニアツアーの公式メジャー大会に昇格)では、72ホール目にボギーを叩いたワトソンと、ダブルボギーのカール・メイソンが17アンダーで首位に並び、プレイオフを行い、2ホール目の決着でワトソンが優勝した。ワトソンは、真昼の決闘の時のスコアから5つ伸ばした。 56歳で臨んだ2006年の同コース開催の第4回全英シニアオープンでは、ワトソンは23位タイ。72ホールを終えて、6アンダーで首位に並んだローレン・ロバーツとエドゥアルド・ロメロがプレイオフを行い、1ホール目にパーセーブしたロバーツが優勝。 そして真昼の決闘から32年後、59歳で迎えた2009年7月16日〜19日の第138回全英オープンもこの地で開催された(7204ヤード)。大会の9か月前(2008年10月)にワトソンは左股関節の人工関節置換手術を受け、芝の抜けがよくなるようヘッドをグラインダで削ったIdea Proという名のアイアン(プロトタイプはA2 Tour)とターンベリーのクラブハウスで直前に購入したシューズで臨み、初日からショット・パットが冴えた。4日間のティーショットのフェアウェイキープ率は69.6%で4位、ドライバーショットの平均飛距離は295ヤードでレギュラーツアーの選手に劣らず、さらに神がかり的なロングパットやパーセーブを連発した。好天の初日はミゲル・アンヘル・ヒメネスがアウト31イン33の6アンダーで首位、ワトソンはアウト33イン32、5バーディ・13パーで廻って、首位と1打差の2位タイに久保谷健一、ベン・カーティスと並んだ。2日目は強風や雨がプレイヤーたちを悩ませ、ワトソンも前半は4連続を含む5ボギー(2、4-7番ホール)、2バーディで苦しんだが、後半は16番ホールで約20m、18番ホールで約18mのバーディパットを決めるなどして3バーディ、この日は5バーディ・8パー・5ボギーのパープレイでしのぎ、5アンダーで首位タイ。もう一人の首位は、片山晋呉の出場辞退による繰り上げで全英オープン初出場、リンクス初挑戦、PGAツアー3年目の29歳スティーブ・マリーノであり、2日目に17番ホール(パー5・559ヤード)で6mのイーグルパットを決めるなど2日間60台(67-68)で廻る活躍で、「リンクスを知らない方がいい場合もある」とマリーノは予選終了後にコメントしたが、本選では76-75と苦戦し、38位タイに終わった。本選には4オーバーまでの73人が進出した。第3ラウンドのワトソンは、7番ホールで2オン2パットでバーディ、14番ホールで6mのパットを沈めてパーセーブ、16番ホールで約12mのバーディパットを決めた後、17番ホールではハイブリッドクラブで2オンして、あわやイーグルかというバーディ、18番ホールはパーで上がるなどして、この日3バーディ・11パー・4ボギーの71で廻り、54ホール終えて通算4アンダーで単独首位となり、「バーディ・ボギーの数は計画通りに進行している、明日はその計画を完成できるかもしれない」とコメント。最も風の強かった第4ラウンドは、3日目に69のスコアを出して2位に浮上したマシュー・ゴギンと最終組で廻った。ワトソンは1番ホールで第2打を左に曲げポットバンカーに打ち込んでボギースタート、3番ホールも1.5mのパーパットを決められずボギー、7番ホール(パー5)は2オン2パットでバーディ、9番ホールはボギー、11番ホールでは8mのバーディパットが成功、14番ホールはボギー、71ホール目(17番ホール)のバーディで1打リードして迎えた72ホール目までメジャー史上最年長優勝という計画実現は目前であった。優勝を決めるパーパット(18番ホールの4打目)はショートして右手前に20cmほどそれて、痛恨のボギー。50度目のメジャー挑戦・12度目の全英挑戦、23歳年下のスチュワート・シンクが最終日ワトソンから3打差の6位で発進し、最終ホールで4.5mのバーディパットを決めるなど終盤は上位陣でただ一人好調を維持して69で廻り、2アンダー(4日間で278打)でワトソンと並んだ。ワトソンとシンクは、4つのホール(5・6・17・18番ホール)を使用するプレイオフを行った。シンクはプレイオフではドライバーを使用せず、プレイオフスタートの5番ホール(パー4)で第2打をバンカーに入れたが、約3mのパーパットを沈めて発進して、パー-パー-バーディ-バーディでフィニッシュ。一方の59歳ワトソンは72ホールにわたり大西洋の海風を伴う難コースと戦って「疲労で脚が動かなくなった(ワトソン談)」状態で、気温も下がった夕陽の決闘ではミスショットを連発し、ボギー-パー-ダブルボギー-ボギーで6打差での決着。プレイオフの勝敗を分けたのは17番ホールであり、シンクは2オン2パットでバーディであったのに対し、ワトソンのドライバーショットはフェアウェイ左のラフに捕まり、1打では脱出できず、4オン3パットのダブルボギーで勝負あり。しかし、76ホールを戦い抜き、トム・ワトソン健在をアピールするとともに世界中のゴルフファンに勇気と感動を与えた。プレイオフ直後にワトソンは「この試合で自分がいつどのクラブで打ったかなんて、2度と思い出さないぞ」と笑ったが、ワトソン自身による分析では、72ホール目の18番ホールにおいて、グリーン奥のラフからグリーンまでは打ち上げの第3打をウェッジではなくパターで打ってカップを2m以上オーバーしたり、第4打のパーパットがショートしたのは敗因ではなく、フェアウェイからピンまで180ヤードの2打目をフォローの風の中'アドレナリン'が出た状態で8番アイアンで打ってグリーン奥のラフにこぼれたショットが問題であり、2打目を9番アイアンで打つべきだったと述懐している。このトーナメントでは、4日間72ホールで2番ハイブリッド(ロフト18度、ヘッドの形状からPeanutという愛称で親しまれたアダムスゴルフ社のIdea Proという名のモデル)を25回使用した。 62歳で臨んだ2012年の同コース開催(7205ヤード)の第10回全英シニアオープンでは、ワトソンは通算1アンダーで10位タイ。優勝はフレッド・カプルスであり、最終日に単独2位からスタートして、6バーディ、3ボギーの67で廻って、2位に2打差の通算9アンダーで初の'全英'タイトル。
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