トムとターンベリー・エイルサコースとは? わかりやすく解説

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トムとターンベリー・エイルサコース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 02:57 UTC 版)

トム・ワトソン」の記事における「トムとターンベリー・エイルサコース」の解説

トムゴルフキャリアを語る上で欠かせないのが全英オープン開催コースであるターンベリー・エイルサ(Ailsa、アイルサとも発音するコースパー70であろう英国北西部位置しており、8ホール大西洋面し海岸線一部白波砕け岸壁であり、左に白亜灯台見て海沿いを進む9番ホールなどを有し障害物としての樹木植えず、砂丘もなく、全英オープン開催コースの中で最も風光明媚なリンクスコースのひとつである。 27歳臨んだ1977年7月6日水曜日)〜9日土曜日)の第106全英オープンターンベリー初開催された大会であり、ワトソンはアルフィー・ファイルズをキャディ従え最終日当時最強であった帝王ニクラスとの真昼の決闘を1打差で制して優勝した16カ国から集まった選手156人(予選通過96人と出場を持つ60人、含アマチュア9人)が午前7時から臨んだ予選1日目ワトソンニクラスは-2(68)で、首位ジョン・シュローダーと2打差の3位タイ好天2日目には、全英初出場のマーク・ヘイズがブルース・リツキーにコーチされたクロスハンドグリップパッティングをこの日から開始して18ホール23パット17番ホールではイーグルを奪うなどして63廻り全英オープン最小スコア43年ぶりに2打短縮したまた、1か月前に全米オープン制したヒューバート・グリーンピンまで153mの4番ホールで6番アイアン使用してホールインワン記録。この日、ワトソンニクラスはパープレイ(70)で廻り首位ロジャー・モルトビーと1打差の2位タイ本選ワトソンニクラスが同じ組でラウンドした。10オーバーまでの87人が進出した3日目には雷雨で約40分間中断があったが、ワトソンアウト33イン32ニクラスアウト31イン34、ともに1ボギー廻り第3ラウンド終了時点ワトソンニクラスが-7(203)で首位並んだ(この時点3位ベン・クレンショウに3打差)。全英初挑戦青木功54ホール終了時点予選落ち64人が進出した最終ラウンドワトソンニクラスの'2人だけの大会'の様相呈し大会終了時点では2位ニクラス3位グリーンとの差は10打差に広がり、いかにこの2人卓抜していたかがわかる。2人最終組で廻った最終日決闘詳細以下の通り(以下、ワトソン:W、ニクラス:N)。2番ホールでは、NバーディWボギーで、Nが一気に2打リード4番ホールでは、Nが11mのバーディパットを決めて-9となり、3打差。しかし、Wは5番ホールで15mのバーディパットが成功7番ホールではドライバー2度使って2オンしてバーディ、8番ホールで7mのバーディパットを沈めて両者-9で並ぶ。9番ホールで、Wがボギーで、Nが1打リード12番ホールでNがロングパットを決めてバーディをとり、Nが-10で2打リード13番ミドルホールでは、Wがバーディで1打差に迫る。15番ショートホールでは、Nは第1打を5番アイアンピンまで6mのところに運んだが、2パットパー一方、Wの4番アイアンでの第1打はグリーン左に3m外れたが、約20mの下りパターで打つと、球はスルスル転がりカップの右サイドから鮮やか転がり込んでバーディ両者が-10で並ぶ。17番ロングホール(457m)では、Wが3番アイアンピンまで8mに2オン、2パットバーディ一方、Nは4番アイアンでの第2打がショートしグリーン右手前のラフに捕まり3オン2mのバーディパットを決められず2パットパー、Wが1打リード。同組で廻った本選では35ホール目に初めてWがNをリードして、本大会で初め単独トーナメントリーダーとなった決闘クライマックス18番ホールは左ドッグレッグ逃げ切り図ったWは、ティーショットに1番アイアン使用し、左クロスバンカー越え完璧。これを見たNは、ドライバーで'all or nothing'の勝負挑んだが、力みすぎてボール曲げフェアウェイ右側ハリエニシダ生い茂る深いラフエッジつかまった。第2打は、Wが7番アイアンピタリピンそば40cmに運んでNにプレッシャーをかけると、Nも7番アイアンラフ刈り飛ばしつつボールピン右10m弱のグリーン上へと運ぶ奇跡リカバリー。Nはこのロングパットを1パット沈めてバーディをとり、逆にWへプレッシャーをかけたが、Wは落ち着いて1パットバーディ通算-12逃げ切った最終日スコアは、ワトソンアウト34イン3165ニクラスアウト33イン3366であり、最後の2ホール完璧なショット連発しワトソンが、ノーボギーで廻ったニクラス勝利した最終18番ワトソン追いつけず、全英オープン6度目2位終わったニクラスは「彼はわずか40cmのパット残していただけだから、私の最後バーディ無駄だったかもしれない」とコメントしたが、このバーディにより2位3位の差が210打差となったまた、ニクラスは「非常にいいラウンドだったが、もっと上手くプレイした人がいた。これがゴルフだ。来年ジ・オープン見てくれ」とコメントして翌年セント・アンドルーズでの大会で3度目最後全英オープン制覇有言実行した。 36歳臨んだ1986年の同コース開催の第115全英オープンでは、ワトソン四日間通算+1635タイコンコルド英国入りしたグレグ・ノーマンメジャー初優勝した。強い寒風小雨大会初日は、単独首位イアン・ウーズナムでさえパープレイであり、ノーマン74スタート。弱風の2日目に、ノーマンは3ボギーながらも8バーディ・1イーグル・6パー全英オープン最小スコアタイの63廻り2位に2打差の-3で単独首位浮上この年マスターズ復活優勝遂げたニクラスは+11ワトソンは+8で予選通過本選でのノーマンは、風雨3日目に再び74スコア落とし54ホール終了時点2位中嶋常幸に1打差に迫られたが、好天最終日69まとめて4日通算280イーブンパーで、2位に5打差をつけて優勝したオーストラリア人全英制覇1965年ピーター・トムソン以来21年ぶりの快挙であったまた、ノーマン1986年メジャー4大会すべてで54ホール終了時点首位に立ち、最終日最終組で廻っており、ノーマンスラム(サタデースラム)と呼ばれているが、優勝ジ・オープンのみ。 44歳臨んだ1994年の同コース開催の第123全英オープンには、ファイルズが病気キャディ引退していたので、ブルース・エドワーズがターンベリー初めキャディ随行したスイング改造して臨んだワトソンは、初日68で4位タイ2日目65首位3日目69首位と1打差の3位タイ最終日7番ホールバーディをとり単独首位立ったが、8・9ホール連続ダブルボギー叩いて優勝争いから後退最終日スコア74通算4アンダー11タイこの年ワトソンメジャー4大会すべてでトップ15入り果たしたが、マスターズ13位)、全米オープン(6位、オークモント)、全英オープンの3大会で最終日スコア74であったこの年2月6日ペブルビーチ・ナショナルプロアマの大会最終日ワトソン74打を叩き、ともにこの日74ジョニー・ミラーに1打差で優勝を攫われて以来呪われた1年であった1994年ターンベリー勝者ニック・プライスであり、最終日16番ホールバーディ17番ホールイーグル奪取して2位に1打差で勝利した53歳臨んだ2003年の同コース開催第1回全英シニアオープンこの年からシニアツアーの公式メジャー大会昇格)では、72ホール目にボギー叩いたワトソンと、ダブルボギーのカール・メイソンが17アンダー首位並びプレイオフ行い、2ホール目の決着ワトソン優勝したワトソンは、真昼の決闘時のスコアから5つ伸ばした56歳臨んだ2006年の同コース開催第4回全英シニアオープンでは、ワトソン23タイ72ホール終えて、6アンダー首位並んだローレン・ロバーツとエドゥアルド・ロメロがプレイオフ行い1ホール目にパーセーブしたロバーツ優勝。 そして真昼の決闘から32年後、59歳迎えた2009年7月16日19日の第138全英オープンもこの地で開催された(7204ヤード)。大会9か月前(2008年10月)にワトソン左股関節人工関節置換手術を受け、抜けよくなるようヘッドグラインダ削ったIdea Proという名のアイアンプロトタイプA2 Tour)とターンベリークラブハウス直前購入したシューズ臨み初日からショット・パットが冴えた4日間のティーショットのフェアウェイキープ率は69.6%で4位、ドライバーショットの平均飛距離295ヤードレギュラーツアー選手劣らず、さらに神がかり的なロングパットやパーセーブを連発した。好天初日ミゲル・アンヘル・ヒメネスアウト31イン33の6アンダー首位ワトソンアウト33イン32、5バーディ13パー廻って首位と1打差の2位タイ久保谷健一ベン・カーティス並んだ2日目強風プレイヤーたちを悩ませワトソン前半は4連続を含む5ボギー(2、4-7ホール)、2バーディ苦しんだが、後半16番ホールで約20m、18番ホールで約18mのバーディパットを決めるなどして3バーディ、この日は5バーディ・8パー・5ボギーのパープレイでしのぎ、5アンダー首位タイもう一人首位は、片山晋呉出場辞退による繰り上げ全英オープン初出場リンクス初挑戦PGAツアー3年目29歳スティーブ・マリーノであり、2日目17番ホールパー5・559ヤード)で6mのイーグルパットを決めるなど2日60台(67-68)で廻る活躍で、「リンクス知らない方がいい場合もある」とマリーノ予選終了後コメントしたが、本選では76-75と苦戦し38タイ終わった本選には4オーバーまでの73人が進出した第3ラウンドワトソンは、7番ホールで2オン2パットバーディ14番ホールで6mのパット沈めてパーセーブ、16番ホールで約12mのバーディパットを決めた後、17番ホールではハイブリッドクラブで2オンして、あわやイーグルかというバーディ18番ホールパー上がるなどして、この日3バーディ11パー・4ボギー71廻り54ホール終えて通算4アンダー単独首位となり、「バーディ・ボギーの数は計画通り進行している、明日はその計画完成できるかもしれない」とコメント。最も風の強かった第4ラウンドは、3日目69スコア出して2位浮上したマシュー・ゴギンと最終組で廻ったワトソンは1番ホールで第2打を左に曲げポットバンカー打ち込んでボギースタート、3番ホールも1.5mのパーパットを決められボギー7番ホールパー5)は2オン2パットバーディ、9番ホールボギー11番ホールでは8mのバーディパットが成功14番ホールボギー71ホール目(17番ホール)のバーディで1打リードして迎えた72ホール目までメジャー史上最年長優勝という計画実現目前であった優勝決めるパーパット(18番ホールの4打目)はショートし右手前に20cmほどそれて、痛恨ボギー50度目のメジャー挑戦12度目の全英挑戦23歳年下スチュワート・シンク最終日ワトソンから3打差の6位で発進し最終ホールで4.5mのバーディパットを決めるなど終盤上位陣でただ一人好調維持して69廻り、2アンダー4日間で278打)でワトソン並んだワトソンシンクは、4つホール5・617・18ホール)を使用するプレイオフ行ったシンクプレイオフではドライバー使用せず、プレイオフスタートの5番ホールパー4)で第2打をバンカー入れたが、約3mのパーパットを沈めて発進して、パー-パー-バーディ-バーディフィニッシュ一方59歳ワトソン72ホールにわたり大西洋海風を伴う難コース戦って疲労で脚が動かなくなったワトソン談)」状態で、気温下がった夕陽決闘ではミスショット連発しボギー-パー-ダブルボギー-ボギーで6打差での決着プレイオフ勝敗分けたのは17番ホールであり、シンクは2オン2パットバーディであったのに対しワトソンのドライバーショットはフェアウェイ左のラフに捕まり、1打では脱出できず、4オン3パットダブルボギー勝負あり。しかし、76ホール戦い抜きトム・ワトソン健在アピールするとともに世界中のゴルフファンに勇気感動与えたプレイオフ直後ワトソンは「この試合自分がいつどのクラブ打ったかなんて、2度思い出さないぞ」と笑ったが、ワトソン自身による分析では、72ホール目の18番ホールにおいて、グリーン奥のラフからグリーンまでは打ち上げ第3打をウェッジではなくパター打ってカップ2m以上オーバーしたり、第4打のパーパットがショートしたのは敗因ではなくフェアウェイからピンまで180ヤードの2打目フォローの風の中'アドレナリン'が出た状態で8番アイアン打ってグリーン奥のラフにこぼれたショット問題であり、2打目を9番アイアンで打つべきだった述懐している。このトーナメントでは、4日72ホール2番ハイブリッドロフト18度、ヘッド形状からPeanutという愛称親しまれたアダムスゴルフ社のIdea Proという名のモデル)を25使用した62歳で臨んだ2012年の同コース開催(7205ヤード)の第10回全英シニアオープンでは、ワトソン通算1アンダー10タイ優勝フレッド・カプルスであり、最終日単独2位からスタートして、6バーディ、3ボギー67廻って2位に2打差の通算9アンダーで初の'全英'タイトル

※この「トムとターンベリー・エイルサコース」の解説は、「トム・ワトソン」の解説の一部です。
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