アラビア数学
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アラビア数学(アラビアすうがく、Arabic mathematics)とは、8世紀から15世紀のイスラム世界において、主にアラビア語を用いて行われた数学全般のことである。近年ではイスラム数学 (Islamic mathematics) と称される場合もある[1]。名称は慣例によるものであって、必ずしも明確に対象を表しておらず、アラブ地域外でも行われ、担い手にはアラブ人でない者もイスラム教徒でない者もいた。
- ^ 例えば、カッツ著、上野健爾他訳『数学の歴史』共立出版 ISBN 432001765X では「イスラム数学」である。
- 1 アラビア数学とは
- 2 アラビア数学の概要
イスラム数学(西暦800〜1500年頃)
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「数学史」の記事における「イスラム数学(西暦800〜1500年頃)」の解説
詳細は「アラビア数学」を参照 イスラム帝国は、中東、中央アジア、北アフリカ、イベリア半島、および8世紀のインドの一部にわたって成立し、数学に重要な貢献を果たした。ほとんどのイスラムの数学書はアラビア語で書かれたが、すべてをアラブ人が書いたのではない。ヘレニズムにおけるギリシア語と同様に、アラビア語は当時のイスラム世界中のアラブ人以外の学者はアラビア語を使用した。重要なイスラム数学者にはペルシア人もいる。 フワーリズミーは、9世紀バグダードのペルシア人数学者で天文学者であり、インド・アラビア数字および方程式の解法に関する重要な本を著した。彼の著作で西暦825年頃に書かれた『インドの数の計算法』は、アラブ人数学者アル=キンディーと共に作成され、インド数学とインド・アラビア数字を西洋に広める助けとなった。「アルゴリズム」の語は、彼の名のラテン語化、「Algoritmi」に由来し、「代数学 (algebra) は彼の著作の名称『ヒサーブ・アル=ジャブル・ワル=ムカーバラ』(約分と消約の計算の書)に由来する。フワーリズミーは、古代の代数的手法の保存とこの分野への独自の貢献より、「代数の父」と呼ばれている。代数学の更なる発展は、アル=カラジ (Al-Karaji) (西暦953〜1029年)の論文『アル・ファフリー』で、未知数の整数冪乗と整数根を包含する方法論を拡張した。10世紀に、アブル・ウワファはディオファントスの著作をアラビア語に翻訳し、正接関数を進展させた。 数学的帰納法を用いている最初の数学的証明は、西暦1000年頃のアル=カラジの著作に現れ、二項定理、パスカルの三角形、積分立方数合計の証明に使われた。 数学歴史家のF. Woepckeは、アル=カラジを「最初に代数的な微分積分学の理論を導入した者」として賞賛した。イブン・アル=ハイサムは、二重平方数の和の公式を推論した最初の数学者であり、帰納法を使用して、任意の整数の冪乗の和に対する一般公式を決定する方法を開発し、それが積分法の発展の基礎となった。 ウマル・ハイヤームは12世紀の詩人、数学者で、『ユークリッドにおける困難に関する議論』でユークリッド原論の不備、特に平行線公理について述べ、その結果、解析幾何学および非ユークリッド幾何学の基礎を築いた。また、三次関数の一般的な幾何学的な解法を考案した。彼はまた、暦法の改正に非常に大きな影響を与えた。13世紀のペルシア人数学者、ナスィールッディーン・トゥースィーは、球面三角法を進展させた。彼はまた、エウクレイデスの平行線公理に関する有力な書を著した。15世紀にアル=カーシーは、円周率を小数点16桁まで計算した。カーシーはまた、n乗根を計算するアルゴリズムを持ち、それは数世紀後のパオロ・ルフィニおよびホーナーによる手法の特殊な例であった。他の特筆すべきイスラム数学者には、イブン・ヤフヤ・アル=マグリービー・アル=サマウアル (Ibn Yahyā al-Maghribī al-Samaw'al) 、サービト・イブン=クッラ、アブ・カミル (Abū Kāmil Shujā ibn Aslam) 、アブー・サフル・アル=クーヒーがいる。 この時代のイスラム数学者の成果には、代数学とアルゴリズムの発展(フワーリズミー参照)、球面三角法の発展、アラビア数字への小数点の追加、正弦を除く現在の三角関数のすべての発見、キンディーによる暗号解読と頻度分析の導入、アル=カラジによる微分積分学の導入と数学的帰納法による証明、イブン・アル=ハイサムによる解析幾何学と初期の無限小一般公式と積分法の発展、ウマル・ハイヤームによる代数幾何学の開始、ナスィールッディーン・トゥースィーによるユークリッド幾何学の平行線公理への最初の反証、非ユークリッド幾何学の最初の試み、その他代数学、算術、微分積分学、暗号理論、幾何学、数論、および三角法における多大な進歩があった。 オスマン帝国(15世紀〜)の時代に、イスラム数学は停滞した。これは、ローマ人がヘレニズムを征服したときの数学の停滞と類似している。 ジョン・J・オコナーとエドモンド・F・ロバートソンは『マックチューター数学史アーカイブ』で述べた: 最近の研究によって、現代の人間がアラビア・イスラーム数学から受けた恩恵について新たな姿が見えてきた。これまでは16、17、18世紀のヨーロッパの数学者によるとされてきた鮮やかな新概念が、実はそれよりさらに4世紀ほど前のアラビア・イスラームの数学者によって生み出されていたことが判明した。今日研究されている数学のスタイルは多くの点で、ギリシア人の数学よりも、アラビア・イスラームの数学にずっと近いのである。 — J. J. O'Connor and E. F. Robertson、Arabic mathematics : forgotten brilliance? JOC/EFR November 1999 - "The MacTutor History of Mathematics archive"
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