イスラム文化圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 10:17 UTC 版)
当初はムハンマドに始まるアラブ人の世襲のカリフの権勢が及ぶ範囲を王朝と定義でき、その最初にして8世紀までに強大な勢力を築いた王朝はイスラム帝国(サラセン帝国)と呼ばれている。しかし、ペルシア人も台頭してムスリム内では対立が激化し、10世紀にはカリフが乱立するなどして権威が失墜した。その後はスルタン、シャー、ハンなどの君主号で有力者がそれぞれに王朝を建てて世襲した。アラビアのほか、ペルシャ、シリア、などは古代ギリシア語による地方名のエクソニムであったが、君主は対外的には帝政を敷いていたため、しばしば歴史家によって権勢の及ぶ範囲を国家に相当する領土範囲と認め、サーサーン朝、セレウコス朝、ファーティマ朝、アッバース朝などの王朝名で国名に代替した経緯がある。現代でも、例えばサウジアラビアは「サウード家のアラビア地域の王国」を意味している。もっとも、いくつかある諸権勢を1つに束ねられるさらに大きな大権が登場したときには、西欧の定義に倣ってこれを「帝王」と認め帝国を定義している。これによりオスマン朝はオスマン帝国とも呼ばれる。
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