イスラム文化との関係とは? わかりやすく解説

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イスラム文化との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 00:09 UTC 版)

ルネサンス」の記事における「イスラム文化との関係」の解説

ギリシアはじめとする古典的な知の遺産は、そのほとんどが8世紀から9世紀にかけてアラビア語次々と翻訳され初期イスラム文化発達多大なる貢献もたらした。とくに830年アッバース朝第7代カリフ・マームーンによってバグダード設立された「知恵の館」において膨大な翻訳作業が行われ、知識継承急速に進んだ。しかし、そうした知識継承一段落ついたかと思う間もなく新たな翻訳時代がその幕を明けた古典的な文献イスラム哲学者科学者たちがそれに加えた注釈次々とラテン語翻訳されたことによって、西ヨーロッパの人たちはイスラム継承拡充し古典ラテン語で読むことができるようになった翻訳作業大半は、イスラム圏ヨーロッパ大陸を繋ぐ中継基地としての役割担っていた、イスラム支配下スペインにおいて行われ、この作業には、それぞれ出身地異にするイスラム教徒キリスト教徒ユダヤ教徒など、数多く翻訳者集団参加した社会と経済発達重要性痛感していた西洋社会初期イスラム社会同じように、とりわけ医学はじめとする科学的な知識を必要としていた。アリストテレス魂について哲学的考察加えた霊魂論』(これにはイスラム哲学者イブン・ルシュド注釈をつけている)、イブン・スィーナー著した『医学典範』哲学者であるとともに医師であったアル・ラーズィー著した『アル・マンスールの書』は、いずれも15世紀から16世紀にかけて翻訳された。これらの作品は、西欧学生たちにとって必読書であり、そうした事情500年という長い歳月わたって変わらなかった。ルネサンス期ヨーロッパ学者たちは、膨大な百科全書のようなギリシアイスラム文献取り組みこうした文献は、最終的には、多くヨーロッパの言語翻訳され印刷技術飛躍的な革新によってヨーロッパ全土普及したイスラム文化衰退一途をたどりはじめた時代相前後してギリシアイスラムの知の遺産継承した西洋ルネサンスによって旺盛な活力獲得しイスラム文化にとって代わって世界史表舞台登場したことは歴史の皮肉にほかならない

※この「イスラム文化との関係」の解説は、「ルネサンス」の解説の一部です。
「イスラム文化との関係」を含む「ルネサンス」の記事については、「ルネサンス」の概要を参照ください。

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