社会と経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 14:52 UTC 版)
「フランソワ・デュヴァリエ」の記事における「社会と経済」の解説
守旧派となったムラートにとってかわる新たなエリート層を自らの手でつくりあげるために、デュヴァリエは脅迫や弾圧をいとわず、そうした手段で得た富をデュヴァリエは部下と分けあった。企業からリベートや賄賂をうけとり、収奪をおこなう政府は腐敗がひとつのかたちをとったものであり、それは独裁者とデュヴァリエに忠誠を誓うものを富ませ、かつてのエリートたちに服従か死かを迫るだけの力をつけるにはじゅうぶんだった。 高度な教育を受けたハイチ人たちは、ニューヨークやマイアミ、フランス語の通じるモントリオール、パリ、アフリカ諸国へと列をなして逃げだし、もはや医者や教師はハイチから姿を消してしまっていた。こうした専門的な技能を身につけた知識人たちの中には国連の要職につき、コートジボワールやコンゴといった新たに独立した国々の発展をたすける仕事についたものもいた。だが当のハイチはいまだにこの頭脳流出から立ち直っていない。 デュヴァリエは農民から土地を取りあげ自らが組織した民兵たちに割り当てたが、それはそもそも表向きには彼らに給与というものが存在しなかったからであり、ふだんは恐喝などの犯罪で生活を成り立たせているような状況だった 。そして土地を奪われた農民も、その日暮らしができるだけのわずかな給金をえるため首都に流れ込み、同じような人々で巨大化したスラム街で仕事を探さねばならなかった。こうしてハイチでは栄養失調や飢餓が日常的なものになっていった。 しかしそれでもデュヴァリエはハイチで多数をしめる農村の黒人たちから絶大な支持をえていた。長年のあいだ支配階級にあったムラートに自分たちの声をぶつけてくれた闘士こそが大統領その人だという事実は彼らにとって変わらなかったのだ。独裁時代の14年間で富裕な中産階級の黒人たちが誕生しており、事実それはデュヴァリエが彼らの地位を引き上げた証左にほかならなかった。いまのトゥサン・ルーベルチュール空港もデュヴァリエが開発を進めたのである。
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