その他の鉄道連絡航路とは? わかりやすく解説

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その他の鉄道連絡航路

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 13:54 UTC 版)

鉄道連絡船」の記事における「その他の鉄道連絡航路」の解説

稚泊航路 稚内桟橋駅 - 大泊港駅1923年 - 1945年北海道と樺太連絡冬季結氷時に航路維持する砕氷船用いたソ連樺太占領により事実上消滅鹿島参宮鉄道船舶浜駅 - 鹿島大社1927年 - 1931年鹿島参宮鉄道によって開設1929年には佐原航路開設1931年水郷汽船(現ラクスマリーナ)に売却琵琶湖航路 長浜駅 - 大津駅(現・びわ湖浜大津駅)(1882年 - 1889年日本初鉄道連絡船で、湖東線東海道本線開業までの暫定的なもの。太湖汽船運営利根川航路 栗橋駅 - 中田駅1885年 - 1886年)今の東北本線敷設した日本鉄道により、利根川橋梁完成するまで暫定的に開設飯田線代行船(通称大嵐駅 - 小和田駅1957年飯田線土砂災害代行輸送用の暫定航路青函連絡船乗組員電源開発巡視用艇を借りて運航富山県営渡船 越ノ潟駅 -新港東口駅 (1967年 - )富山新港建設による射水線分断により開設由良川航路 福知山駅 - 由良1901年 - 1904年福知山線建設した阪鶴鉄道により、一時的に開かれた航路若狭湾宮津航路 舞鶴港 - 宮津港1904年 - 1924年天橋立への連絡目的開設若狭湾小浜航路 舞鶴港 - 小浜港1906年 - 1913年阪鶴鉄道開設した航路1913年6月に丹越汽船譲渡宮津湾内航宮津 - 文殊 - 須津 - 岩滝 (1909年 - 1925年)阪鶴鉄道により開設宮津線開通により廃止舞鶴航路通称山陰連絡船」) 舞鶴駅 - 境駅1905年 - 1912年山陰本線開業までの暫定航路和歌山小松島徳島航路 和歌山港駅 - 小松島駅小松島港仮乗降場)(1913年 - )徳島小松島港側は1913年国鉄小松島線当初施設航路運行会社阿波国共同汽船からの借り入れ運行)が、大阪港との間を結ぶ航路接続する鉄道として開通していた。1956年和歌山側で南海和歌山港線の(旧)和歌山港駅(後の築港町駅)が開設され1970年には延伸開業した(新)和歌山港駅乗り継ぎ場を移転)、両側において鉄道接続するようになった1985年小松島線廃止され1999年には小松島港から徳島港徳島側の発着地変更した南海電気鉄道の子会社南海フェリーによって運航されており、南海電気鉄道との通し乗車券販売されている。船と鉄道連絡考慮して組まれダイヤ運航されている。 岡山高松航路 岡山港 - 高松駅1903年 - 1910年尾道多度津航路 尾道駅 - 多度津駅1903年 - 1910年いずれも、今の山陽本線敷設した山陽鉄道により、讃岐鉄道路線高松駅 - 多度津駅 - 琴平駅、今の予讃線土讃線一部)への接続を図るために開設。後に讃岐鉄道山陽鉄道合併し1906年国有化宇高連絡船開設後民間瀬戸内海汽船譲渡仁堀航路 仁方駅 - 堀江駅1946年 - 1982年宇高航路補助目的開設利用客がもともと少なく、更に呉・松山フェリー競争にならなくなったため廃止となった吉野川航路 中原駅 - 新町橋1916年 - 1935年高徳線一部などを建設した阿波電気軌道が、吉野川架橋資金捻出できなかったために開設され河川連絡航路。後に国有化鉄道架橋により廃止広島瓦斯電軌新宮島連絡船 新宮島駅 - 宮島桟橋1926年 - 1931年1926年現在の阿品東駅付近に新宮桟橋設置し直営新宮桟橋 - 宮島桟橋新宮航路運航開始した。当初宮島線地御前駅までしか開通しておらず連絡バス運行していたが、翌1926年新宮島駅まで延伸直接乗り継げようになった1931年宮島線電車宮島駅まで延伸すると、後述鉄道省宮島連絡船との連帯運輸をすることとなり連絡船廃止となった広島電鉄グループが再び直接宮島乗り入れるのは、既存宮島松大観光船出資し系列化する1958年のことである。 宮島航路 宮島口駅 - 宮島桟橋1903年 - )民間航路山陽鉄道買収され鉄道国有法による同社国有化国鉄所有になったもの。JR西日本宮島フェリーの手で現在も運航されている。 大島航路 大畠駅 - 小松港(1946年 - 1976年県営航路国鉄移管されたもの。屋代島周防大島)における国鉄バスとの連絡航路でもあった。大島大橋架橋によりバス転換された。 徳山門司航路 徳山港 - 門司港1897年 - 1901年山陽鉄道傘下山陽汽船により、今の山陽本線徳山駅まで開業してから下関駅への延伸工事中暫定的に開設関門航路 下関駅 - 門司港駅1898年 - 1964年本州九州間の連絡関門鉄道トンネル開業までは両者を結ぶ重要な交通機関だったが、トンネル開通後は地元民のための航路となった並行する民間航路利便性向上関門トンネル開通により乗客移って利用減少したため廃止関釜航路 下関駅 - 釜山桟橋駅1905年 - 1945年朝鮮連絡開設当初は、山陽鉄道傘下山陽汽船大韓帝国向けて運航する国際汽船であったが、同社国有化韓国併合国内国鉄航路に。軌間異なるため、内地朝鮮の間での車両航送行われなかったものの、弾丸列車計画絡みなどで、実施の案はあったとされる太平洋戦争結果領土喪失し消滅。 博釜航路 博多港 - 釜山桟橋駅1943年 - 1945年関釜航路補助航路として開設博多駅 - 博多港間はバス連絡関釜航路と同じ経緯廃止大村湾航路 早岐駅 - 舟津港(1897年 - 1898年長崎線(今の大村線長崎本線諫早駅以西開業まで、暫定的に設けられ航路長崎電気軌道長崎港連絡船通称電鉄丸」)(1925年 - 1943年1925年出島停留場 - 旭町水の浦・戸町で運航開始され1930年には鎮西汽船買収大波止停留場 - 古河町 - 立神航路承継したが、1943年長崎市に全航路売却し連絡船全廃した。1969年連絡船引き継いだ市営大波止航路廃止された。 鉄道連絡船多くは、鉄道路線延長太平洋戦争敗戦による領土喪失トンネル及び完成利用客減少などといった理由廃止されている。 なお現在、稚泊航路相当する稚内 - コルサコフ間には北海道サハリン航路が、関釜航路相当する下関 - 釜山間には関釜フェリーが、博釜航路相当する博多 - 釜山間にはカメリアラインJR九州高速船の「ビートル」、韓国未来高速の「コビー」が運航されている。 また青函フェリー宇高国道フェリー2012年10月17日運航以って運休)などのように国鉄 - JRによる航路廃止され後でも、同区間に車輸送地元の便を図った民間航路存在する区間数多く存在する。しかし、これら路線広大な車両待機所確保するために、港の位置鉄道の駅から離れていることが多く鉄道連絡船とは言いがたい。

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「その他の鉄道連絡航路」を含む「鉄道連絡船」の記事については、「鉄道連絡船」の概要を参照ください。

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