その他の勢力・人物
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細川昭元(ほそかわ あきもと) 通称は六郎。斎藤龍興の立案した信長包囲陣に参画し、畿内で民衆に信長への檄文を読み上げるなどの活動を展開する。後に龍興とともに挙兵するが、援軍の本願寺も敗れたために降伏する。 細川政元(ほそかわ まさもと) 室町幕府の管領。伊勢盛時を関東に下向させる。戦国時代の嚆矢となった明応の政変を起こす。経済と民衆力へ先見の明を持った人物として描かれる。 太田道灌(おおた どうかん) 扇谷上杉家の家宰であったが、暗殺され横死。外見のモデルは、フリードリヒ・ニーチェ。 比叡山延暦寺座主(ひえいざんえんりゃくじざす) 斎藤龍興・浅井長政・下間頼蓮・朝倉景健・細川昭元が信長包囲陣の密談を行う際に、場所を提供する。以後も反織田勢力を匿うなどの行いが続いたために、業を煮やした信長によって比叡山を焼き討ちされる。 松永久秀(まつなが ひさひで) 通称は弾正少弼。織田軍に所属する武将であったが、信長が上杉謙信と対陣する間に謀反を起こす。後日爆死。 外見のモデルは、朱鎔基。 随風(ずいふう) 天台宗の僧侶。光秀や家康の元を訪れては禅問答を行っている。 古渓宗陳(こけいそうちん) 大徳寺の僧侶。織田信長の葬儀において導師も務めたほどの高僧で、京で梟首された神子田の前で「これじゃあ藤吉郎様も暴君に見られちまうじゃろが」と秀吉を心配する権兵衛に興味を持ち、後日、大徳寺に招く。対面において権兵衛は失敗を経て”物言う民と統べる君”両側の事情を知る機会を得て幸運だと諭し、出家を望む権兵衛に対して”良縁に導かれるがまま、再び牧伯(大名)に戻る”よう導いた。その後、信長の菩提寺建設の金銭悶着から三成ら奉行衆によって筑前配流処分を受けるが後日、棄の誕生に満悦な秀吉により処分を取り消された。 秀吉に対しては”民衆中から生まれながらもその才覚により民の衷心を知るより先に君主に昇りつめてしまった”と評し、「世間が天下人を疎んじ、天下人が世間を疎んじれば、天下は悪しき縁の流れに向かっていく」と秀吉の行く末に懸念を示した。 堀田道空(ほった どうくう) 津島の商人。信長に楽市楽座を申し伝えられる。外伝『桶狭間戦記』では堀田正龍として登場している。 今井宗久(いまい そうきゅう) 堺の商人。 加藤順政(かとう のぶまさ) 熱田の商人。 森田三郎(もりた さぶろう) 越前の廻船商。信長の命を受けた柴田勝家の交渉により、本願寺の北陸の海路を封鎖する。 千利休(せんのりきゅう) 宗易とも従に表記される。堺の豪商にして茶人。「茶聖」、「天下の茶頭」とも称されるが、信長に仕えていた際は、商人として描かれており、織田包囲網の切り崩しを図る織田軍に軍需品を補給していた。 第四部からは秀吉の御用商人および文化人として「内々のことは宗易、公儀のことは小一郎に」と言われるほどの側近に抜擢されており、秀吉の命を受け、改易処分となった権兵衛の現状を報告している。その頃から利休が創作した竹花入などの茶道具が流行となっており、莫大な利益を得ていたとされる(秀吉曰く竹花入に使う竹の仕入れ値はタダ)。しかし小田原包囲中の秀吉に百日紅を献上するなど、徐々に秀吉の不興を買っていく(百日紅=サルスベリ=猿滑る勿れという諫言)。さらに乱世が終わり、文化が隆盛してくると財界、文化の頭領たる利休が各大名から師として仰がれ、利休の一声で茶道具の価値が跳ね上がるなどその影響力の高さから秀吉に危険視されるに至り、秀吉の用意した茶入れ飾りの野菊を「児戯」として我慢ならず、払いのける一件(茶会事件)を機に決裂する。「銭の力で天下を治める豊臣家に対して”銭の価値を貶めるほどの威光を持ってしまった者”」とされた利休は、奉行衆により「大徳寺の利休像」を名目に蟄居を命じられる。天下一と称された自身の気持ちをわかる者が一人もいないように、天下人たる秀吉の気持ちをわかる者もいないからこそ、自身が秀吉の知己となろうとしたが「あの下衆だけは好きになれん」と心中を吐露する。後日、「天下一になってしまったが最後、古今東西ロクな死に方をしない」と秀吉の行く末を案じながら切腹した。 外見のモデルは、ハンフリー・ボガート。 小西隆佐(こにし りゅうさ) 通称は和泉守、洗礼名はジョウチン。小西行長の父親で豊臣家臣の堺商人。(史実では)堺奉行を務めており、今井宗久や津田宗及らからは「頭取」と呼ばれている。九州征伐の際は豊臣軍の兵站を担ったが、その後のバテレン追放令を機に秀吉とは距離を置いている。今井、津田、利休らと豊臣家から小田原征伐に備えての軍需品の確保を命じられていたが、北条家の上洛・和睦の意向を受けて協議。「(火蓋が切られることを)神に祈るべし」と言いつつも、密かに辯士衆を雇い、沼田にて流言飛語を飛び交わせ、北条方を煽ることにより「名胡桃城事件」を指嗾する。 勧修寺晴豊(かじゅうじ はれとよ) 公家。既得権益を守る為に最大勢力となった信長に三職推任を持ちかける。 外見のモデルは、ジョージ・クルーニー。 菊亭晴季(きくてい はるすえ) 公家。関白相論が後に朝家の綻びとなることを危惧し、秀吉に関白任官を持ちかけ、秀吉の任官に尽力。その後は羽柴家と朝廷の調整役に収まる。 清原枝賢(きよはら えだかた) 公家。朝廷屈指の知識人で、秀吉を下賤者と見下し嫌がらせのために公家ですら読解困難な職原鈔を写本して献上する。しかしそれを物ともしない秀吉の態度や朝廷の論争を収める手腕に天下人としての秀吉を認めるようになる。 国友藤太郎(くにとも とうたろう) 近江国友村の鉄砲鍛冶。自身も鉄砲の使い手であり、以前羽柴秀吉を狙撃した事もあった。最新式の鉄砲を開発した事を秀吉に目をつけられ、かつての怨恨を忘れて頭を下げられたため、秀吉に臣従し、新作の鉄砲を献上した。 津田照算(つだ しょうさん) 通称は杉ノ坊。依頼を受けては傭兵のように鉄砲衆を派遣する根来衆の一人。織田家の依頼を受けて対武田戦に投入される。津田妙算は従弟にあたるが、その才を警戒している。 志賀源次郎(しが げんじろう) 粗葉粕太郎と名乗っていた津田妙算とともに盗みを働いていた男。裏切って権兵衛に妙算を突き出し仙石家の家臣に取り立ててもらおうとするが、その内面を権兵衛に見破られ仕官できなかった。 均助(きんすけ) 羽柴秀吉の領内である近江国中井村の村長。大の戦好事家。外伝『桶狭間戦記』にも登場。モデルは織豊城郭研究者で、『センゴク』にもたびたび助言している中井均。
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