こにしりゅうさ 【小西隆佐】
小西隆佐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/07 10:20 UTC 版)
小西 隆佐(こにし りゅうさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の豪商。豊臣秀吉の家臣として堺奉行に抜擢された。熱心なキリシタンで、小西行長の父親。
- ^ "小西寿徳". 世界大百科事典. コトバンクより2022年1月25日閲覧。
- ^ "小西隆佐". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年1月25日閲覧。
- ^ 岡本真. “受洗以前の小西氏に関する一試論” (pdf). 2022年1月25日閲覧。
- ^ 宝賀寿男編『古代氏族系譜集成』(古代氏族研究会、1986年)[3]
- ^ a b 森本 2010, p.19
- ^ a b "小西隆佐". 日本大百科全書. コトバンクより2022年1月25日閲覧。
- ^ 幸田 1934, pp.177-178
- ^ "日比屋了珪". 朝日日本歴史人物事典. コトバンクより2022年1月25日閲覧。
- ^ 堺の豪商で代表的なキリシタン。名は日比屋了慶または比々屋了桂。霊名ディオゴだが、「リョウゴ」とよばれ、「了五了珪」と署名している[8]。
- ^ 宣教師の伝えるラテン語のアルファベット表記のため表音に異説あり。
小西隆佐(こにし りゅうさ)
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「センゴク」の記事における「小西隆佐(こにし りゅうさ)」の解説
通称は和泉守、洗礼名はジョウチン。小西行長の父親で豊臣家臣の堺商人。(史実では)堺奉行を務めており、今井宗久や津田宗及らからは「頭取」と呼ばれている。九州征伐の際は豊臣軍の兵站を担ったが、その後のバテレン追放令を機に秀吉とは距離を置いている。今井、津田、利休らと豊臣家から小田原征伐に備えての軍需品の確保を命じられていたが、北条家の上洛・和睦の意向を受けて協議。「(火蓋が切られることを)神に祈るべし」と言いつつも、密かに辯士衆を雇い、沼田にて流言飛語を飛び交わせ、北条方を煽ることにより「名胡桃城事件」を指嗾する。
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