祁答院良重とは? わかりやすく解説

祁答院良重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 10:22 UTC 版)

祁答院 良重(けどういん よししげ、大永6年(1526年) - 永禄9年1月15日1566年2月5日))は、戦国時代武将。虎居城城主。通称は又二郎、河内守祁答院氏13代当主。父は祁答院重武、子に長男重経(田中と号した)、次男重種(養子とも)、三男重加と、娘が一人あった。なお、没年については永禄2年(1559年)没説もある。


  1. ^ ちなみに、この城攻めは祁答院・島津氏共に攻防で種子島火縄銃)を使用し、日本で初めて実戦で鉄砲を使用した戦いとされる。また、島津義久島津義弘島津歳久の三兄弟が初陣した合戦でもある。
  2. ^ 島津実久の娘(義虎の姉)。 武家家伝「祁答院氏」では島津義虎の娘としているが、嫡男・重経は天文7年生まれで、生母は虎姫と『本藩人物誌』および、『新薩摩学 中世薩摩の雄 渋谷氏』(南方新社 2011年)に所収された祁答院氏系図にはある。義虎は天文5年生まれであるので、虎姫を義虎の娘とするには無理がある。
  3. ^ 島津貴久の侵攻により所領を奪われ、永禄2年(1559)に殺害されたともいう説もあり。


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