かつて存在したものとは? わかりやすく解説

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かつて存在したもの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 18:26 UTC 版)

三線軌条」の記事における「かつて存在したもの」の解説

京都市電四条西洞院 - 四条堀川など京都市敷設路線=標準軌 京都電気鉄道敷設路線N電)= 狭軌1,067 mm軌間三六軌間) 最も多いときには上記の他に烏丸通丸太町通七条通合計4箇所存在したが、徐々に標準軌統合され戦後まで残ったのは上記四条通区間のみ。1961年昭和36年8月1日狭軌路線廃止残った標準軌線(四条線)も1972年廃止された。 西鉄福岡市内線三角駅 - 博多築港駅吉塚線循環線 = 標準軌 築港線 = 狭軌1,067 mm軌間三六軌間築港線吉塚線循環線重複する区間該当貨物輸送をおこなう築港線のために三線軌条となっていた。1944年昭和19年12月3日吉塚線三角駅 - 吉塚駅前駅間が廃止となり、1,435 mmレール撤去残った区間1961年昭和36年2月11日築港線運行休止1963年昭和38年9月1日築港線全線廃止され吉塚線循環線は1,435 mmのみとなった京阪石山坂本線東海道本線江若鉄道膳所駅 - 浜大津駅片側線のみ)京阪電気鉄道車両 = 標準軌 その他の車両 = 狭軌1,067 mm軌間三六軌間上記3社の共用重複区間国鉄貨物のみの運行だった(戦後米軍輸送行った時期あり)。江若鉄道1947年昭和22年)から1965年昭和40年)まで旅客列車運行した1969年昭和44年11月1日狭軌車両運行廃止廃止後も1976年昭和51年)まで三本目の線路残されていた。 九州水力電気(のちの西鉄福岡市内線):今川橋駅 - 姪ノ浜駅電車車両 = 標準軌 貨物列車 = 狭軌914 mm軌間914 mm軌間の上区間1922年大正11年7月26日に1,435 mm改軌電化した際に、姪ノ浜駅以西区間( - 加布里駅)との間で貨車直通させるために三線したもの1928年昭和3年6月1日に姪ノ浜以西廃止となり、914 mm線路撤去された。 大阪電気軌道(現・近畿日本鉄道吉野線:(旧)橿原神宮前駅 - 久米寺駅久米寺駅は現・橿原神宮前駅付近大阪電気軌道畝傍線(現・近鉄橿原線車両 = 標準軌 大阪電気軌道吉野線車両 = 狭軌1,067 mm軌間三六軌間) もともと狭軌だった吉野線に、上本町方面からの車両大阪鉄道(現・近鉄南大阪線)との接続駅だった久米寺まで乗り入れるためのもの。1930年昭和5年)に三線軌条となったが、1939年畝傍線・吉野線線路移設して新たに大阪鉄道との結節点現在の橿原神宮前駅設置し畝傍線が直接乗り入れる形に変更したため姿を消した大井川鐵道千頭森林鉄道千頭駅 - 沢間駅大井川鐵道 =1067mm軌間三六軌間 千頭森林鉄道 =762mm軌間・二六軌間 日本旅客供用した三線軌条では唯一の三六軌間と二六軌間1936年大井川鐵道側が改軌したため生じた1968年に二六軌間千頭森林鉄道廃止され消滅阪神電気鉄道 武庫川線武庫大橋駅 - 洲先駅阪神電気鉄道車両 = 標準軌 国鉄車両 =(1,067 mm軌間三六軌間太平洋戦争中洲先にあった川西航空機工場への軍需輸送として、国鉄西ノ宮駅から引かれ貨物線につながる形で貨物列車乗り入れた戦争終結とともに軍需輸送終了したが、戦後駐留軍関連貨物列車として1953年昭和28年)ごろまで貨物列車運行があった模様洲先駅終端部(使用停止区間)には、1983年昭和58年)に武庫川団地前駅への延伸工事が始まるまで3本目の線路残されていた。 川崎市電京浜急行電鉄大師線日本鋼管前駅 - 塩浜駅 - 小島新田駅 - 川崎大師駅川崎市京浜急行線車両 = 標準軌 その他の車両=狭軌1,067 mm軌間三六軌間国鉄浜川崎駅からの川崎工業地帯への貨物列車運行するために、1946年昭和21年9月浜川崎駅から日本鋼管専用線経由して東京急行電鉄当時大師線桜本駅 - 入江崎駅間から大師線下り線入りここから小島新田駅までの間を三線軌条として貨物列車運転したのが始まりであり、その後三線軌条区間川崎大師駅まで延長された。1948年昭和23年8月からは、日本鋼管構内専用線代えて浜川崎駅から川崎市電日本鋼管前 - 浜町三丁目間から市電上り線入り桜本駅から大師線に入るルート変更になった川崎市電区間ある日本鋼前駅 - 塩浜駅間は、その後改良工事が行われて複線区間上下線とも三線軌条となり、1954年昭和29年4月からは終日貨物列車運行開始され浜川崎駅から各専用線への貨物列車運転されるようになった国鉄塩浜操車場現・川貨物駅建設のため、1964年昭和39年)に京急小島新田駅 - 塩浜駅川崎市電池上新田駅 - 塩浜駅休止され日本鋼管前駅 - 池上新田駅間は上り線東海道本線貨物支線一部転用して単線化され、これらの区間三線軌条廃止された。 以後大師線三線軌条区間分岐駅を川崎貨物駅変更して京急味の素)のみに三線軌条残存した。1997年平成9年)の貨物列車運行廃止まで大師線終電 - 初電深夜川崎貨物駅 - 小島新田駅 - 味の素工場貨物列車運行されていた。貨物廃止後は標準軌化箱根登山鉄道 鉄道線小田原駅 - 入生田駅箱根登山鉄道線車両=標準軌 小田急車両 = 狭軌1,067 mm軌間三六軌間) かつて小田原駅から箱根湯本駅間は1950年昭和25年8月1日小田急線の電車乗り入れ開始した後も箱根登山鉄道車両頻繁に走っていた。2000年平成12年12月2日に朝と夕方以降のみの運転に縮小され2006年平成18年3月18日この区間の運転は廃止された。 名古屋市電下之一色線:下之一色駅 - 中郷駅名古屋市電車両 = 狭軌1,067 mm軌間三六軌間名古屋市営地下鉄車両 = 標準軌 名古屋市営地下鉄東山線開業先立ち車両100形)のテストを行うために1956年昭和31年)に一時的に実施されたもの。地下鉄車両用の第三軌条敷設されており、これは日本三線軌条区間の中で唯一ののである試験終了後地下鉄用施設撤去された。 熊本市交通局熊本市電坪井線・熊本電気鉄道熊本電鉄上熊本倉庫線:上熊本駅前坪井線)電停 - 本妙寺通電停(上り線のみ)元々は(現)熊本電鉄菊池線上熊本駅から熊本電鉄藤崎線起点駅・藤崎宮前駅結んでいた熊本電鉄熊本市内線狭軌1,067 mm軌間三六軌間)だったが1959年6月に同線を熊本市交通局熊本市電)に譲渡同年10月熊本市電坪井線熊本市電幹線直通乗り入れするため標準軌改軌同日熊本電鉄自社線や国鉄鹿児島本線等の貨物輸送上熊本駅から本妙寺通電方面の「熊本倉庫」へ上り線230メートル区間熊本電鉄上熊本倉庫線(狭軌)として開設1966年7月熊本電鉄上熊本倉庫廃止まで運用していた。 東日本旅客鉄道 山形線山形新幹線蔵王駅 - 山形駅下り線のみ)新幹線直通を含む旅客車両 = 標準軌 在来線貨物車両 = 狭軌1,067 mm軌間三六軌間山形新幹線開業時から下り線三線軌条化し貨物輸送行っていた。1998年平成10年9月29日貨物列車発着終了し狭軌数年のうちに撤去され標準軌のみとなった。 また営業運行ではないが、太平洋戦争中1945年昭和20年4月京成電鉄本線京成上野駅 - 日暮里駅間の地下線が国(運輸省)に接収され国鉄日暮里駅構内側線につながる三線軌条敷設した上で空襲から守るために国電車両寝台車疎開させた事がある。ただし戦時中京成上野地下線状況については様々な文献による記述がある。詳しく京成上野駅参照。 なお、後の1959年昭和34年)に京成電鉄新京成電鉄が1,372 mm馬車軌間)から1,435 mm標準軌)に改軌した工事間中、駅や車両基地構内四線軌条似たもの敷設されていたが、この2種類軌間は差が小さすぎるために通常の三線あるいは四線軌条物理的に成立困難である。外側レール標準軌で、内側レール馬車軌間より狭く馬車軌間車両入線した際の脱線防止ガードレールとして作用していた。この他同社津田沼第二工場とその出入ルートには、1,372 mm軌間と1,435 mm軌間軌道中心大きくずらした四線軌条(4本のレール左端から1 - 4番番号付けると、1番と3番の間が1,372 mm軌間2番4番の間が1,435 mm軌間、というような敷設法)が存在した国鉄時代東静岡駅現在の静岡貨物駅旅客駅東静岡駅とは別の駅)にも存在した保線機材レール積み込む施設採用され国鉄分割民営化後暫く存置されていた。

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かつて存在したもの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 02:10 UTC 版)

経済通貨同盟」の記事における「かつて存在したもの」の解説

1922年創設のベルギー・ルクセンブルク経済同盟。のちにベネルクスユーロ圏へと拡大していく。

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かつて存在したもの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 00:38 UTC 版)

関税同盟」の記事における「かつて存在したもの」の解説

中部アフリカ関税経済同盟 - CEMAC引き継がれている。 ザールラント - 1925年フランス関税同盟組み込まれるドイツ関税同盟 レバノン・シリア間の関税同盟 欧州石炭鉄鋼共同体 欧州経済共同体

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かつて存在したもの

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:11 UTC 版)

ひらがな・カタカナ地名」の記事における「かつて存在したもの」の解説

以下は、市町村合併によって廃止した市町村名合併後市内の地名として存続している所がある。括弧内に本来の漢字表記を示す。

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