かつて存在したもの
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京都市電:四条西洞院 - 四条堀川など京都市敷設路線=標準軌 京都電気鉄道敷設路線(N電)= 狭軌(1,067 mm軌間・三六軌間) 最も多いときには上記の他に烏丸通・丸太町通・七条通に合計4箇所存在したが、徐々に標準軌に統合され、戦後まで残ったのは上記四条通の区間のみ。1961年(昭和36年)8月1日、狭軌路線廃止。残った標準軌線(四条線)も1972年廃止された。 西鉄福岡市内線:三角駅 - 博多築港駅吉塚線・循環線 = 標準軌 築港線 = 狭軌(1,067 mm軌間・三六軌間) 築港線が吉塚線・循環線と重複する区間が該当。貨物輸送をおこなう築港線のために三線軌条となっていた。1944年(昭和19年)12月3日に吉塚線の三角駅 - 吉塚駅前駅間が廃止となり、1,435 mmのレールを撤去。残った区間も1961年(昭和36年)2月11日に築港線の運行を休止、1963年(昭和38年)9月1日に築港線全線が廃止され、吉塚線・循環線は1,435 mmのみとなった。 京阪石山坂本線・東海道本線・江若鉄道:膳所駅 - 浜大津駅(片側線のみ)京阪電気鉄道車両 = 標準軌 その他の車両 = 狭軌(1,067 mm軌間・三六軌間) 上記3社の共用(重複)区間。国鉄は貨物のみの運行だった(戦後、米軍の輸送を行った時期あり)。江若鉄道は1947年(昭和22年)から1965年(昭和40年)まで旅客列車を運行した。1969年(昭和44年)11月1日狭軌車両の運行廃止。廃止後も1976年(昭和51年)まで三本目の線路は残されていた。 九州水力電気(のちの西鉄福岡市内線):今川橋駅 - 姪ノ浜駅電車車両 = 標準軌 貨物列車 = 狭軌(914 mm軌間) 914 mm軌間の上記区間を1922年(大正11年)7月26日に1,435 mmに改軌・電化した際に、姪ノ浜駅以西の区間( - 加布里駅)との間で貨車を直通させるために三線としたもの。1928年(昭和3年)6月1日に姪ノ浜以西が廃止となり、914 mmの線路は撤去された。 大阪電気軌道(現・近畿日本鉄道)吉野線:(旧)橿原神宮前駅 - 久米寺駅久米寺駅は現・橿原神宮前駅付近。 大阪電気軌道畝傍線(現・近鉄橿原線)車両 = 標準軌 大阪電気軌道吉野線車両 = 狭軌(1,067 mm軌間・三六軌間) もともと狭軌だった吉野線に、上本町方面からの車両を大阪鉄道(現・近鉄南大阪線)との接続駅だった久米寺まで乗り入れるためのもの。1930年(昭和5年)に三線軌条となったが、1939年に畝傍線・吉野線の線路を移設して新たに大阪鉄道との結節点に現在の橿原神宮前駅を設置し、畝傍線が直接乗り入れる形に変更したため姿を消した。 大井川鐵道・千頭森林鉄道 :千頭駅 - 沢間駅大井川鐵道 =1067mm軌間・三六軌間 千頭森林鉄道 =762mm軌間・二六軌間 日本の旅客供用した三線軌条では唯一の三六軌間と二六軌間。1936年に大井川鐵道側が改軌したために生じた。1968年に二六軌間の千頭森林鉄道が廃止されて消滅。 阪神電気鉄道 武庫川線:武庫大橋駅 - 洲先駅阪神電気鉄道車両 = 標準軌 国鉄車両 =(1,067 mm軌間・三六軌間) 太平洋戦争中に洲先にあった川西航空機の工場への軍需輸送として、国鉄西ノ宮駅から引かれた貨物線につながる形で貨物列車が乗り入れた。戦争終結とともに軍需輸送は終了したが、戦後は駐留軍関連の貨物列車として1953年(昭和28年)ごろまで貨物列車の運行があった模様。洲先駅の終端部(使用停止区間)には、1983年(昭和58年)に武庫川団地前駅への延伸工事が始まるまで3本目の線路が残されていた。 川崎市電・京浜急行電鉄大師線:日本鋼管前駅 - 塩浜駅 - 小島新田駅 - 川崎大師駅川崎市・京浜急行線車両 = 標準軌 その他の車両=狭軌(1,067 mm軌間・三六軌間) 国鉄浜川崎駅からの川崎の工業地帯への貨物列車を運行するために、1946年(昭和21年)9月に浜川崎駅から日本鋼管の専用線を経由して東京急行電鉄(当時)大師線の桜本駅 - 入江崎駅間から大師線の下り線へ入り、ここから小島新田駅までの間を三線軌条として貨物列車を運転したのが始まりであり、その後三線軌条区間は川崎大師駅まで延長された。1948年(昭和23年)8月からは、日本鋼管構内の専用線に代えて浜川崎駅から川崎市電の日本鋼管前 - 浜町三丁目間から市電上り線に入り、桜本駅から大師線に入るルートに変更になった。 川崎市電区間である日本鋼管前駅 - 塩浜駅間は、その後、改良工事が行われて複線区間が上下線とも三線軌条となり、1954年(昭和29年)4月からは終日貨物列車の運行が開始され、浜川崎駅から各専用線への貨物列車が運転されるようになった。 国鉄の塩浜操車場(現・川崎貨物駅)建設のため、1964年(昭和39年)に京急の小島新田駅 - 塩浜駅と川崎市電の池上新田駅 - 塩浜駅が休止され、日本鋼管前駅 - 池上新田駅間は上り線を東海道本線貨物支線の一部に転用して単線化され、これらの区間の三線軌条は廃止された。 以後は大師線の三線軌条区間は分岐駅を川崎貨物駅に変更して、京急(味の素)のみに三線軌条が残存した。1997年(平成9年)の貨物列車の運行廃止まで大師線の終電 - 初電の深夜に川崎貨物駅 - 小島新田駅 - 味の素工場へ貨物列車が運行されていた。貨物廃止後は標準軌化。 箱根登山鉄道 鉄道線:小田原駅 - 入生田駅箱根登山鉄道線車両=標準軌 小田急線車両 = 狭軌(1,067 mm軌間・三六軌間) かつて小田原駅から箱根湯本駅間は1950年(昭和25年)8月1日に小田急線の電車が乗り入れを開始した後も箱根登山鉄道車両は頻繁に走っていた。2000年(平成12年)12月2日に朝と夕方以降のみの運転に縮小され、2006年(平成18年)3月18日この区間の運転は廃止された。 名古屋市電下之一色線:下之一色駅 - 中郷駅名古屋市電車両 = 狭軌(1,067 mm軌間・三六軌間) 名古屋市営地下鉄車両 = 標準軌 名古屋市営地下鉄東山線の開業に先立ち、車両(100形)のテストを行うために1956年(昭和31年)に一時的に実施されたもの。地下鉄車両用の第三軌条も敷設されており、これは日本の三線軌条区間の中で唯一のものである。試験終了後に地下鉄用の施設は撤去された。 熊本市交通局(熊本市電)坪井線・熊本電気鉄道(熊本電鉄)上熊本倉庫線:上熊本駅前(坪井線)電停 - 本妙寺通電停(上り線のみ)元々は(現)熊本電鉄菊池線上熊本駅から熊本電鉄藤崎線の起点駅・藤崎宮前駅を結んでいた熊本電鉄熊本市内線(狭軌、1,067 mm軌間・三六軌間)だったが1959年6月に同線を熊本市交通局(熊本市電)に譲渡、同年10月に熊本市電坪井線を熊本市電幹線と直通乗り入れするため標準軌に改軌。同日熊本電鉄は自社線や国鉄鹿児島本線等の貨物輸送で上熊本駅から本妙寺通電停方面の「熊本倉庫」へ上り線約230メートル区間を熊本電鉄上熊本倉庫線(狭軌)として開設。1966年7月、熊本電鉄上熊本倉庫線廃止まで運用していた。 東日本旅客鉄道 山形線・山形新幹線:蔵王駅 - 山形駅(下り線のみ)新幹線直通を含む旅客車両 = 標準軌 在来線貨物車両 = 狭軌(1,067 mm軌間・三六軌間) 山形新幹線開業時から下り線を三線軌条化し貨物輸送を行っていた。1998年(平成10年)9月29日で貨物列車の発着は終了し、狭軌は数年のうちに撤去されて標準軌のみとなった。 また営業運行ではないが、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)4月に京成電鉄本線の京成上野駅 - 日暮里駅間の地下線が国(運輸省)に接収され、国鉄日暮里駅構内の側線につながる三線軌条を敷設した上で、空襲から守るために国電車両や寝台車を疎開させた事がある。ただし戦時中の京成上野地下線の状況については様々な文献による記述がある。詳しくは京成上野駅を参照。 なお、後の1959年(昭和34年)に京成電鉄と新京成電鉄が1,372 mm(馬車軌間)から1,435 mm(標準軌)に改軌した工事期間中、駅や車両基地の構内に四線軌条に似たものが敷設されていたが、この2種類の軌間は差が小さすぎるために通常の三線あるいは四線軌条は物理的に成立困難である。外側のレールは標準軌で、内側のレールは馬車軌間より狭く、馬車軌間の車両が入線した際の脱線防止用ガードレールとして作用していた。この他、同社の津田沼第二工場とその出入庫ルートには、1,372 mm軌間と1,435 mm軌間の軌道中心を大きくずらした四線軌条(4本のレールに左端から1 - 4番の番号を付けると、1番と3番の間が1,372 mm軌間、2番と4番の間が1,435 mm軌間、というような敷設法)が存在した。 国鉄時代の東静岡駅(現在の静岡貨物駅で旅客駅の東静岡駅とは別の駅)にも存在した。保線機材やレールを積み込む施設に採用され、国鉄分割民営化後も暫く存置されていた。
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1922年創設のベルギー・ルクセンブルク経済同盟。のちにベネルクス、ユーロ圏へと拡大していく。
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中部アフリカ関税経済同盟 - CEMACに引き継がれている。 ザールラント - 1925年、フランスの関税同盟に組み込まれる。 ドイツ関税同盟 レバノン・シリア間の関税同盟 欧州石炭鉄鋼共同体 欧州経済共同体
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「ひらがな・カタカナ地名」の記事における「かつて存在したもの」の解説
以下は、市町村合併によって廃止した市町村名。合併後も市内の地名として存続している所がある。括弧内に本来の漢字表記を示す。
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