「たなばたさま」作詞者の経緯とは? わかりやすく解説

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「たなばたさま」作詞者の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 07:21 UTC 版)

権藤花代」の記事における「「たなばたさま」作詞者の経緯」の解説

文部省唱歌たなばたさま」は、太平洋戦争始まった昭和16年国民学校教科書うたのほん下」に収録された。国民学校令1941年3月1日勅令148号)第六条には、「国民学校教科書文部省ニ於テ著作権ヲ有スルモノタルベシ」とある。すべての曲に作者記載はない。教科書編纂委員については、文部省内に音楽関係者がいないため、一時的に編纂委員任命された。従来編纂委員は、ほとんど東京音楽学校教官限られていたが、この時からは、教育音楽協会小・中学校の教師中心とした団体)の指導的人物加わっている。編纂委員の中で芸大教官は、下総皖一橋本国彦後任 城多又兵衛)で、教育音楽協会関係者井上武士小松耕輔松島つねである。作詞関係が小林愛雄林柳波であった作曲関係の主任は、下総皖一で(『教育音楽1962年9月号「下総皖一氏をしのんで」)、教師伴奏については、下総皖一が一、三、四、六年を担当し橋本国彦が二、五年を担当した。ただし編纂委員作った旋律は、本人伴奏をつけたものもある(『教育音楽1961年3月号「教科書国定であった頃」)。井上武士は、国民学校令公布1941年3月以前1940年10月10日に、国民学校教育内容明らかにした『国民学校芸能科音楽精義』(国立国会図書館デジタルコレクション)を出版。この件については、『音楽教育研究理論と実践統一めざして浜野政雄監修309参照戦後暫定教科書経て1947年文部省発行最後教科書には、作者公表されている。権藤花代作詞の「はねつき」と「数え歌」は継続掲載となって作詞者明記された。ただし、「たなばたさま」は、「うみ」(林柳波作詞)などと同様、選考漏れて採用されなかったから作者公表されることはなかった。「数え歌」の歌詞は、花代自身文部省改訂申し出て部分的に改訂している。政府登録原簿焼けた(『著作権で損をするな』231頁)ために、旧作については、作者不明記されたものも多いが、花代の作が明らかとなったのは、終戦直後暫定教科書)から文部省連絡とっていたからである。『四年生音楽掲載の「数え歌」(古謡)には、琴を弾く女性写真大きく掲載され下総皖一が琴用に編曲した数え歌変奏曲」が鑑賞教材推奨されている(『学習指導要領昭和22年度)。 1946年からは、文部省内に音楽関係者入省した。学習指導要領試案)を作成し戦後音楽教育道筋示したのである。この責任ある立場にいたのが、諸井三郎、近森一重真篠将下総皖一浜野政雄といった人たちであった。それに対して教育の方法は国が定めるものではない」(『音楽教育明治百年史』264頁)、「われわれは、あらゆる統制から解放されなければならない」(『教育音楽1951年10月号)と主張し戦後になってから文部省対峙したのが、小松耕輔井上武士小出浩平率い日本教音楽協会であった1949年文部省著作併用して民間発行検定教科書発行されるようになった林柳波疎開先の小布施から帰京したのも1949年であった(『大正美人伝』文芸春秋 294頁)。「たなばたさま」が再び世に出たのは、1950年である。二葉発行おんがくの本 2』(教科書番号204)には作者記載は「詞 林波、曲 不明となっている。この教科書編著者松島つね教育音楽協会理事)は、「おうま」作曲者林柳波作詞)で、国民学校教科書編纂委員であったが、「たなばたさま」の作曲者について記憶がなかった。林柳波国民学校教科書編纂委員であった同年6月文部省の近森一重が「検定済みといえば、どれもりっぱなものだと思っていけません。(中略誤り思わしくない点は、原則として指示しない、つまり、訂正するように注意しないことになってます。」と述べている(『音楽手帖』「検定教科書を選ぶために」)。思想的片寄っている等の教科書不合格とするだけなのである林柳波補作したのは、1951年である。春陽堂出版あたらしおんがく 一ねん』は、歌詞の「ごしきのたんざく」の部分だけを「きれいないろがみと書き直した教科書番号109113)。林柳波は「きれい」という主観入れて補作試みたが、ゴ音の重要性に気が付かなかったようである。この教科書編集者は、教育音楽協会理事鳥居忠五郎中野義見らである。当時音楽教科書発行10社が参入していた(教科書図書館データベース)。 作曲家中田喜直は、自身曲について一部教科書会社が「出所あやしげ楽譜」を転載した、とした上で教科書会社猛省を促す」と記している。また「原作勝手に変える教科書会社」という見出し毎日新聞投稿したところ、多く作詞・作曲者から賛同得た状況を「悲劇」と語っている(『教育音楽』「音楽教科書著作権」)。 1953年教育芸術社は、作曲者である下総皖一山田耕筰校閲の『一ねんせいのおんがく』(教科書番号 131136)を発行歌詞は、国民学校掲載の「ごしきのたんざく」にもどり、作者は「うた ごんどうはなよ・きょく しもふさかんいち」と記されている。この教科書は、1960年まで8年発行されている(教科書図書館データベース)。発行期間が長いということは使用実績販売実績)が伴うと推測できるであろう。この時、「たなばたさま」の作詞者変わり問題社会的に浮上してしまった。林柳波が「たなばたさま」について語り始めた(『大正美人伝』285頁)のは1953年以降である。 1961年花代死亡年)に発行され少年少女歌唱曲全集日本唱歌集』(4)ポプラ社収録されている「たなばたさま」は、「権藤花代作詞下総皖一作曲」と記されている。この楽譜2013年著作権消滅楽譜である。編者の真篠蒋と浜野政雄は、文部省教科書調査官であり、巻末広告記載によれば監修下総皖一文部省視学官となっている。この『日本唱歌集』は明治以来唱歌集大成として文部省教科書調査官発行した316掲載大著である。下総皖一は、東京芸術大学音楽学部長を務め浜野政雄も後に同職に就いている。 にもかかわらず日本音楽著作権協会は、権藤花代下総皖一死亡後1967年、『日本音楽著作権協会管理唱歌作品集』に「たなばたさま」の作詞者名を「権藤花代林柳波」と連名記載した。この作品集非売品冊子)の奥付には「当協会資料として発行する」と記載があり、編集委員井上武士音楽著作権協会副議長)、勝承夫(同協会議長のち会長)、長谷川良夫平井康三郎薮田義雄となっている。筆頭編者井上武士は、唯一国民学校教科書編纂委員であった。が、自身編んだ日本唱歌全集』の中で国民学校音楽教科書は「各学年全部新作」という誤った認識をしている(音楽之友社 412頁)。実際旧国教科書から引き継がれた曲があり、日露戦争関連の曲、「冬景色」「おぼろ月夜」「われは海の子」等、有名な曲もある。また、井上武士は、1964年日本学校唱歌選集』(カワイ楽譜)を編んだ際、「たなばたさま」の作詞者林柳波記しているから井上武士林柳波説を主張したことだけは、間違いない井上武士は、林柳波同郷で「うみ」の作曲者でもあり、二人コンビによる校歌も多い。ちなみに、この『日本音楽著作権協会管理唱歌作品集』では「ほたるこい」「かくれんぼ」が林柳波作詞記載されているが、前掲教育芸術社発行教科書によると「ほたるこい」は、いしもりのぶお作詞であり、わらべ唄の「かくれんぼ」の作詞者は「わからない」と記されている。「ほたるこい」の詩は、国民学校国語教科書ヨミカタ 一』に掲載があり、国語編纂委員であった石森延男作詞であることは明白である。 文部省唱歌長い間、国が著作権をもっていた。佐野文一郎(文部省文化局著作権課長)記述によれば昭和40年代のはじめまでは文部省教科書管理課申し出れば無償利用できた(『新著法問答』改訂版224頁)。日本音楽著作権協会文部省唱歌管理をするようになった際、文部省唱歌著作権管理する立場になかった者が著作権にかかわる資料作成してしまったのである。したがってこのような文部省下総皖一無視の「たなばたさま」作詞者記載資料根拠求めることはできない国定教科書採録された文部省唱歌だけは、国の責任において発表した歌である。

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