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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 14:55 UTC 版)

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人間との関わりの歴史

古代エジプトのネコの像(ルーヴル美術館所蔵)

ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』によると、中世ヨーロッパでもネコは精霊と同一視され、中国でも、獣偏に苗(正字体では「」)と書くように、穂の精霊とされていたという。ただし、の時代には「猫」の字はまだなく、人里近くで目にする猫程度の体格の四足獣全般を指す「」の字がネコに対しても当てられている。

中近東

新石器時代中近東地域から農耕が広まり始め、穀物が保管されるようになるにつれて、ネズミが爆発的に増加した。このため、穀物庫の番人役としてネコが村の中で重宝されるようになったといわれる。

古代エジプト

古代エジプトでは、ネコがライオンの代わりとして崇拝され、バステト女神として神格化もされていた。そのため、敵側がネコの顔を自らの盾に描いてエジプト兵を追い払ったとも伝えられる。

エジプト第1王朝の時代に毒蛇を殺しファラオを救ったことから猫は大切にされている。その功績から猫頭の女神マフート英語版は、毒蛇やサソリから守る守護神となった。古代エジプトでは、神聖な動物であり、国外へ連れ出すのは禁止していた(フェニキアなどで少数が密輸されたが、ヨーロッパやアジアへの普及はローマ帝国によるエジプト侵略まで待つことになる)[1][2]シケリアのディオドロスは、猫を殺すことを禁じていることを記しており、紀元前60年から56年の間に猫を殺したローマ人がリンチされている[3]。またディオドロスは、猫や鷹が海外にいるときは買い戻してでもエジプト国内に連れ戻していたと記述している[4]

紀元前5世紀歴史家ヘロドトスは、飼い猫が亡くなると、眉毛を剃って喪に服すと記述している[5]。紀元前1350年頃のトトメス王子英語版の愛猫をミイラにして弔ったのが始まりで、愛猫のミイラ葬が行われるようになった[6]

イスラム世界

イスラム教を信仰する社会や国々では、預言者ムハンマドに愛されていた動物として、好意的に受け入れられてきている。神聖な存在とされる。

西洋

人間とネコの関わりを示す、現在知られている世界最古の痕跡としては、キプロス島シロウロカンボス遺跡英語版にて約9,500年前(考古学でいう紀元前8千年紀中盤、地質学でいう完新世初期〈プレボリエール期;en〉)のから人骨とともに埋葬遺体として発見された1匹のネコの骨がある[7]新石器時代もしくは石器時代後期から人類が既にネコをペットとして手なずけていたことを示唆している。このネコの骨は人骨が埋葬されていた場所からおよそ40cm離れた場所に埋葬されており、遺体の保存状況、位置関係などから、高位の人物が飼い猫を一緒に埋葬したものと考えられる。発掘されたネコが年齢およそ8ヶ月であることから、その人物が死亡した際、一緒に殺されて埋められたとも推測できる。さらには、キプロスの同遺跡においてネコが何らかの宗教的重要性を持つ存在であった可能性も示唆されている。遺体からは屠殺された形跡が見られないため、埋められていたネコはおそらく人間と同様に扱われていたと考えられるという。ただし、同時代の同地域の遺跡からは、人間がネコ科の動物を食用にしていた跡も発見されているという[8]

ルネサンスの時代には、猫はしばしば魔女使い魔と考えられ、祭りの間に生きたまま焼かれたり(猫焼き)、高い建物から投げ捨てられたりすることがあった(カッテンストゥッツ[9])。

アジア

日本

竹内栖鳳 『班猫(はんびょう)』 1924年(大正13年)

縄文時代には家畜としての縄文犬が存在したが、家畜としてのネコ(イエネコ)は確認されていない。考古学的には、2008年に長崎県壱岐市勝本町カラカミ遺跡より紀元前1世紀のネコの大腿骨など十数点の資料が出土したことから、日本列島においてネコが初めて現れるのは弥生時代とされている[10]。当時の壱岐ヤマネコがいた形跡がないことや現在のイエネコの骨格と酷似しているため断定された。なお、弥生時代には稲作農耕の伝来に伴い大陸から家畜が導入され、ブタニワトリなどが出現した。続く古墳時代のネコにまつわる遺物としては、2007年に兵庫県姫路市見野古墳群からネコの足跡が付いた須恵器が出土している[10]

『日本釋名』では、ネズミを好むの意でネコの名となったとされ、『本草和名』では、古名を「禰古末(ネコマ)」とすることから、「鼠子(ねこ=ネズミ)待ち」の略であるとも推定される。他の説として「ネコ」は眠りを好むことから「寝子」、またに似ていることから「如虎(にょこ)」が語源という解釈もある(『言海』)。このように、蓄えられた穀物や、織物用のを喰うネズミを駆除する益獣として古代から農家に親しまれていたと思しく、などとともに、豊穣や富のシンボルとして扱われていた。

ただ、古代にネコが日本に定着していたという物証は乏しい。『古事記』や『日本書紀』などにもネコの記述は無く、文献に登場するのは、『日本霊異記』に、705年慶雲2年)に豊前国福岡県東部)の膳臣広国(かしわでのおみ ひろくに)が死後にネコへ転生し、息子に飼われたとあるのが最初である[11][12]

奈良時代頃に、経典などをネズミの害から守るためのネコが中国から輸入された。愛玩動物としての記述が見られるのは、『枕草子』や『源氏物語』(「若菜上」)、『更級日記』『明月記』にも登場する平安時代からである。宇多天皇日記である『寛平御記』(889年寛平元年〉)2月6日条には、宇多天皇が父の光孝天皇より譲られた黒猫を飼っていた、という記述がある[11][12]#日本初の飼育記録)。また、現代の日本に残っている文物で、最も古い猫の絵は『信貴山縁起絵巻』に描かれた猫である[13]

鎌倉時代には金沢文庫が、南宋から輸入したネコによって典籍をネズミから守っていたと伝えられている。『今昔物語』には「加賀国の蛇と蜈蚣(むかで)と争ふ島にいける人 蛇を助けて島に住みし話」における「猫の島」の話や[14]藤原清廉の逸話として「猫怖じの五位(猫怖じの大夫)」がみられる[15]。平安時代には位階を授けられたネコもおり、『枕草子』第六段「上にさぶらふ御猫」によると、一条天皇定子は非常な愛猫家で、愛猫に「命婦のおとど」と名付け位階を与えていた。ある日、このネコが翁丸というイヌに追いかけられ天皇の懐に逃げ込み、怒った天皇は翁丸に折檻を加えさせた上で島流しにするが、翁丸はボロボロになった姿で再び朝廷に舞い戻ってきて、人々はそのけなげさに涙し、天皇も深く感動したという話である。ネコに位階を与えたのは、従五位下以上でなければ昇殿が許されないためであるとされ、「命婦のおとど」の「命婦」には「五位以上の女官」という意味がある。

日本に伝来してから長きにわたってネコは貴重な愛玩動物扱いであり、鼠害防止の益獣としての使用は限定され、ネコはつないで飼育する動物であったともいわれており、絵巻物などには魔除けの同様に紐・綱などでつながれて逃げないように飼育されているネコの様子が多数描かれている[16]。そのため、鼠害対策として慶長7年(1602年)には、洛中の猫の綱を解き放つことを命じる高札が出されたことが、西洞院時慶の日記『時慶記』に記録されている。禁制はかなりの効果があり、鼠害が激減したと言われ、御伽草子の『猫のさうし』は、これに困った鼠が和尚に相談する内容となっているが[17][18]、同時に猫が帰ってこなくなったり、野犬に噛み殺されたりする事例も増えたという[19]

一方、日本猫は元々は愛玩用ではなく鼠狩りの益獣として輸入されたため、家で飼われるより外で暮らすことが多かったとの見解もあり[20]室町時代幸若舞には京都で猫が自由に外を徘徊している模様が記述されている[21]。しかしながら江戸時代初期までネコがなかなか繁殖せず、貴重な動物として扱われていたのは後述の通りである。

安土桃山時代九州南部の大名島津義弘は、文禄元年(1592年)からの文禄の役慶長2年(1597年)からの慶長の役に猫の瞳孔で時間を知るために、7匹の猫を伴って朝鮮に渡ったとされ、生還した2匹の猫を猫神として祀る神社鹿児島県仙巌園にある[22][23]

豊臣秀吉は猫を可愛がっており、文禄2年(1593年)10月頃に大坂城の奥にいて秀吉がことのほか可愛がっていた猫が行方不明となった。そこで浅野長政に頼んで色々に行方を尋ねさせたことがある[24]

稀代の猫好きとして知られる浮世絵師歌川国芳による1図 『其のまま地口 猫飼好五十三疋』。詳しくは「歌川国芳#国芳画廊」の画像-10を参照。

江戸時代では、本物のネコが貴重で少なかったために、ネズミを駆除するための呪具として猫絵を描いて養蚕農家に売り歩く者もいた[25]新田氏宗家で交代寄合旗本であった岩松家では岩松義寄から岩松俊純までの4代にわたって、ネズミ避けのため直筆の猫絵を下付したことで「猫絵の殿様」として知られていた[26]。養蚕地方ではネズミ捕りに長けたネコは、馬の5倍の値が付くほどであったと伝えられ(『甲子夜話』)、寛政年間に勢州で鼠害が猛威を奮った際にも、ネコが大変に高値になったとの記録が残っている(水野為長よしの冊子』)[17]。江戸時代には飼い猫のために「猫の取り」という商売があったことを、山東京伝滝沢馬琴も書き残している[27]

猫絵に描かれたネコが古寺で大ネズミに襲われた主人の命を救う『猫寺』は、ネコの効用を説く猫絵師などが深く関わって流布した説話であると考えられている。しかしネコが繁殖によって数を増やし、一般の庶民・農家にも広まっていくと同時に、ネコの穀物霊としての特質は失われていった。ネコが人々を病から救う薬師(くすし)になったと語る『猫薬師』に霊性が残るのみである。

中国

中国語の音では、「猫」は「耄(mào/ボウ/老)」、「蝶」は「耋(dié/テツ/80歳)」で「耄耋」に通じるため、「富貴」を表す牡丹と共に、「牡丹にとまる蝶を見つめる・または蝶と遊ぶ猫」という画題が長寿富貴を願う吉祥画『耄耋富貴図』として成立した[28]北宋徽宗による『耄耋図巻』の模写図などが現存しており、この画題は朝鮮半島を経て日本にも渡り、土佐光起鈴木春信宋紫石椿椿山、蔵三[注釈 1]などが描いた作品が知られている[28]

文学では10世紀徐鉉が著した『稽神録』には、王建の寵臣の唐道襲が飼い猫が雨と遊んでいる様を眺めていたら猫の身体が伸びていき、遂に龍となって雷雨の空に飛び去っていったという「唐道襲」や、の商人が可愛がっていた猫の死を悲しみ、死体を傍に置いていたが腐ってきたので仕方なく河に捨てたが、水に浸かった猫が生き返ったので、商人が河に飛び込んで猫を救おうとしたものの溺死してしまい、猫は川岸に上がってきたので役人がこれを捕らえ、珍事を上司に報告しようとしたところ、猫は捕らえていた縄を切って壁を破り逃げ去った後だったという「鬻醯者」の話などが編まれている。

11世紀、身近な日常に題をとったという北宋中期の詩人梅尭臣は、五白(ウーパイ)と名付けた愛猫を亡くした悲しみを綴った詩『祭猫』(猫の葬式)を残した。

猫の飼育状況や意識

世界で飼育されているネコの数に関しては、イギリスアメリカ合衆国ではイヌとネコの飼育頭数はほぼ同じであり、アメリカでは30%以上、ヨーロッパでは24%以上の家庭でネコが飼育されており、この数字はなおも増加傾向にある[29]

猫を好きであるが、猫アレルギーを持つ人もいる。スイスのバイオベンチャー企業であるハイポペット社が、猫が持つ「Fel d 1」というアレルゲンの働きを抑えて、飼い主の症状を軽減させるワクチンを開発中である[30]

1982年昭和57年)に実施された世論調査では、約半数がネコが嫌いであるとの結果が得られた日本では[31]2012年平成24年)の調査で10.2%の家庭で、970万頭ほどのネコが飼育されている[32]

ネコ好きな人間がいる一方、東京都では24.1%の市民が猫が嫌いであるという統計が得られている。[33]その主な理由として野良猫の、糞尿発情期の鳴き声、庭への侵入およびペットや器物への被害などがある。東京都では猫による何らかの被害・迷惑を受けたことがあると回答した人は約8割に及んでいる[34]。また、発情期のネコの鳴き声は人間の幼児が泣く声と非常に似ているため不快に感じる人もいる[35]

日本でのネコブーム

1986年には、映画『子猫物語』や漫画『ホワッツマイケル』、バンダイの玩具「猫ニャンぼー」などのヒットにより、「猫商品」が日経ヒット商品番付に登場した[36]

2010年代に入り、日本では和歌山電鉄貴志駅の名物三毛猫たま駅長が火付け役となり、空前の猫ブームが巻き起こった。たま駅長の経済効果だけで年間11億円にも上った[37]2012年から2016年の4年間で飼い猫の頭数が30万匹増え987万匹となり、いずれ飼いの頭数を抜くことが予想され、猫の餌代や特集本や猫グッズの売上など、経済効果関西大学名誉教授の宮本勝浩によると2015年(平成27年)で2兆3162億円と試算された。この風潮を安倍晋三が唱えたアベノミクスになぞらえ「ネコノミクス」との造語が マスメディアを中心に使われ始めた。2月22日の「猫の日」には全国で様々なイベントが好評を博した[38]。猫に関するSNSサイトなどの急増もブームを後押しした[39]

こうした需要を受けて、賃貸住宅でも「ペット飼育可」の物件が目立つようになった。東京都内では、ネコ飼育限定のアパートメントを貸し出す事業者もある。完全室内飼いを条件とする代わりに多頭飼育も認め、入居が順番待ちとなっている[40]

2017年からはネコに関する検定試験であるねこ検定が実施されている。


注釈

  1. ^ ボストン美術館所蔵の『四季山水屏風』に「蔵三」印などで知られる不詳の画家。

出典

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