よしの冊子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/14 01:27 UTC 版)
『よしの冊子』(よしのぞうし)とは、寛政の改革で知られる松平定信の家臣・水野為長が、世情を定信に伝えるために記録した18世紀の風聞書[1]。官界やそれらを取り巻く世間の内幕情報をまとめたもので、門外不出だったが、1820年ごろに発見された[2]。書かれている内容は噂話であるため必ずしも史実とは限らないが、当時の世相を知る貴重な資料として多くの著作に利用されている[1]。原本は無題だが[1]、一段落ごとに「そのようだ」という伝聞を意味する「よし(由)」とあったことから、「よしの冊子」と呼ばれるようになった[2]。
概要
内容は、個人の風聞・評判や人事が中心で、そのほか、定信邸内の事柄、都市や農村の情報、対外政策、思想まで多岐に渡る[1]。
田内親輔による抄本
賄賂が横行した田沼意次の時代が終わり、1787年に松平定信が30歳という若さで老中に抜擢されたが、経験の浅い定信は政府の内部事情に疎かったため、側近の水野為長が隠密を使って情報を集め、要旨をまとめて定信に渡していた[2]。その原本は、天明初年 - 寛政中期(18世紀後半)に書かれ、全部で169から200冊あったと言われるが、所在はわかっていない[3]。
1830年(文政13年)に田内親輔が定信の遺箱の中から為長筆の原本を発見し、藩友以外に見せないよう明記の上、後世に定信の施政を伝える資料として抄出した[3]。現存する写本はこの親輔の抄本を基にしており、桑名市立中央図書館、国立国会図書館、慶應義塾大学に所蔵されている[3]。
駒井乗邨『鶯宿雑記』に収載
松平定信の家臣、駒井乗邨が自らの号をもとに名付けた600巻に及ぶ叢書『鶯宿雑記』[4]には、大坂夏の陣に関する記録、常陸国のうつろ舟伝説などさまざまな風説・風聞・言説が収められているが、田内から託されて巻453から巻489に『よしの冊子』も収められた[4]。
国立国会図書館の『鶯宿雑記』ウェブ検索システムで『よしの冊子』も検索できる[5]。
脚注
- ^ a b c d 橋本佐保「「よしの冊子」における寛政改革の考察」『史苑』第70巻第2号、立教大学、2010年、133-172頁。
- ^ a b c 水谷 三公. “松平定信の隠密情報に見る江戸の役人社会”. www.athome-academy.jp. 2025年10月13日閲覧。
- ^ a b c 風聞書「よしの冊子」の史料学的研究―テキストマイニングによる分析 立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR)大学院生研究、2011年度研究成果報告書
- ^ a b 田口栄一「『鶯宿雑記』内容紹介と索引」『参考書誌研究』第36巻、国立国会図書館、1989年8月31日、22-58頁。
- ^ “『鶯宿雑記』ウェブ索引リサーチ・ナビ 「よしの冊子」”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ) (2023年2月9日). 2025年10月13日閲覧。
関連文献
- 『随筆百花苑 第八巻 風俗世相篇』(安藤菊二責任編集、編集委員:森銑三・野間光辰・中村幸彦・朝倉治彦)中央公論社、1980年。-「よしの冊子」の翻刻収録
- 『随筆百花苑 第九巻 風俗世相篇』(安藤菊二 責任編集、編集委員:森銑三・野間光辰・中村幸彦・朝倉治彦)中央公論社、1981年。-「よしの冊子」の翻刻収録
- 『江戸の役人事情―『よしの冊子』の世界』 水谷三公、筑摩書房(ちくま新書, 2000) ISBN 4-48-005851-6
- 『武士の評判記 : 『よしの冊子』にみる江戸役人の通信簿』山本博文、新人物往来社(新人物ブックス, 2011) ISBN 978-4-404-03981-1
外部リンク
- “『鶯宿雑記』ウェブ索引 リサーチ・ナビ”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ) (2023年2月9日). 2025年10月13日閲覧。
- よしの冊子のページへのリンク