よしの冊子とは? わかりやすく解説

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よしの冊子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/17 01:40 UTC 版)

よしの冊子』(よしのぞうし)とは、寛政の改革で知られる松平定信の家臣・水野為長が、世情を定信に伝えるために記録した18世紀の風聞書[1]。官界やそれらを取り巻く世間の内幕情報をまとめたもので、門外不出だったが、1820年ごろに発見された[2]。書かれている内容は噂話であるため必ずしも史実とは限らないが、当時の世相を知る貴重な資料として多くの著作に利用されている[1]。原本は無題だが[1]、一段落ごとに「そのようだ」という伝聞を意味する「よし(由)」とあったことから、「よしの冊子」と呼ばれるようになった[2]

概要

賄賂が横行した田沼意次の時代が終わり、1787年に松平定信が30歳という若さで老中に抜擢されたが、経験の浅い定信は政府の内部事情に疎かったため、側近の水野為長が隠密を使って情報を集め、要旨をまとめて定信に渡していた[2]。その原本は、天明初年 - 寛政中期(18世紀後半)に書かれ、全部で169から200冊あったと言われるが、所在はわかっていない[3]1830年文政13年)に田内親輔が定信の遺箱の中から為長筆の原本を発見し、藩友以外に見せないよう明記の上、後世に定信の施政を伝える資料として抄出した[3]。現存する写本はこの親輔の抄本を基にしており、桑名市立中央図書館国立国会図書館慶應義塾大学に所蔵されている[3]

内容は、個人の風聞・評判や人事が中心で、そのほか、定信邸内の事柄、都市や農村の情報、対外政策、思想まで多岐に渡る[1]

脚注

  1. ^ a b c d 橋本佐保「「よしの冊子」における寛政改革の考察」『史苑』第70巻第2号、立教大学、2010年、 133-172頁、 doi:10.14992/00001656ISSN 03869318
  2. ^ a b c 松平定信の隠密情報に見る江戸の役人社会水野三公、こだわりアカデミー、2001年
  3. ^ a b c 風聞書「よしの冊子」の史料学的研究―テキストマイニングによる分析 立教大学学術推進特別重点資金(立教SFR)大学院生研究、2011年度研究成果報告書

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