1930年代 - 1992年
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「シネマコンプレックス」の記事における「1930年代 - 1992年」の解説
日本におけるシネマコンプレックスの発祥 日本では1930年代に大劇場時代が到来すると、その地下や高層スペースにもう1つの劇場を設置する映画館が現れはじめた。例えば、日本劇場の地下にニュース映画専門館として1935年12月30日に開館した第一地下劇場などがそれである。これらは当時新興勢力であった東宝の経営手法であったが、良いものは真似をするという姿勢で松竹にも取り入れられていった。だが、一般的には「1つの映画館(施設)に、スクリーンは1つ」であった。 1950年代になると映画館の全盛期が到来し、映画館の新設や建て替えが多数発生した。これに伴い、「1つの施設内に、複数のスクリーンを持つ」劇場が徐々に増えてきた。また、1000席程度のスクリーンの中に壁を入れて左右に仕切ったり、1階席と2階席との間に床を入れて上下に仕切ったりすることで、複数のスクリーンに分割するケースも見られた。 これらの運営システムは、個々の建物として存在する従来の映画館と変わりがない。入替制は導入しておらず、それぞれのスクリーンには独立した館名が付けられ、配給チェーンとスクリーンが固定化されており、「複数の映画館が1つの建物の中にある」状態だった。 1984年3月30日に「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打ってキネカ大森が開館する。設立した株式会社西友文化事業部によれば、欧米の映画館の動向を調査した結果、動員で上映館を入れ替えられたりインターロック上映をすることが出来たりする複合映画館の形態に行き着いたとしている。同館は流通系店舗のテナントであること、入替制を採用していることなど現在のシネマコンプレックスに近い。一方で、スクリーン数が3と少ないこと、ロードショー、名画座、アート系と言うように各スクリーンの特色を定めていることなどが、現在のシネマコンプレックスとは異なる。また、現在は上映作品の傾向からミニシアターと認識されることが多い。 この時期から同館と同様に郊外のショッピングセンターに、複数のスクリーンを持つ映画館をテナントとして迎え入れるところが現れはじめた。また、シネマコンプレックスという言葉も使われはじめるようになる。 複数スクリーンを持つ映画館の例施設名称開館日所在地スクリーン数備考名宝会館 1955年12月23日(改装日) 愛知県名古屋市 4(改装後) 1935年11月3日開館の名古屋宝塚劇場を何度かにわたり、分割、増築して複数スクリーン化。1972年5月に再改装し、以降3スクリーン。 横浜東宝会館 1956年3月27日 神奈川県横浜市 4 「映画のデパート」と称す。1980年に改装し、以降5スクリーン。 渋谷東急文化会館 1956年12月1日 東京都渋谷区 4 老朽および地下鉄副都心線建設のため2003年閉館・解体。 相鉄ムービル 1971年3月5日 神奈川県横浜市 5 「日本で初めて5館をパックした映画館ビル」と称す。 小牧コロナ会館 1981年7月11日 愛知県小牧市 3 「日本初のシネマコンプレックス」と称す。1997年7月12日に小牧コロナシネマワールドへ改装。 キネカ大森 1984年3月30日 東京都品川区 3 西友大森店内に設置。「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打って開館。 池袋シネマサンシャイン 1985年7月6日 東京都豊島区 5 1994年12月に改装し、以降6スクリーン。2019年7月19日に「グランドシネマサンシャイン」(12スクリーン)へ移転開業。 チネチッタ 1987年7月25日 神奈川県川崎市 5 スクリーン数は「チネグランデ」を除く。「日本初のシネマ・コンプレックス」と称す。 シネシックス 1988年3月25日 千葉県船橋市 6 当時唯一のアメリカ型ショッピングセンターとされたららぽーと船橋ショッピングセンター内に設置。2004年7月にTOHOシネマズ船橋ららぽーとへ改装。 他にも後年になってからではあるが、小牧コロナ会館とチネチッタが日本初のシネマコンプレックスを称している。 小牧コロナ会館は、スクリーンで統一された名称が付けられていないこと、入替制が導入されていないことなどが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。なお、同館を運営するコロナグループはこの時期に同様の劇場を愛知県江南市、春日井市(1983年3月19日開館)、半田市(1986年7月26日開館)、豊川市(1989年7月15日開館)にも展開している。 チネチッタは「総合映画館ビル」として開館当時のメディアには紹介されている。やはり入替制が導入されていないこと、複数フロアに渡っているためロビーなどが共有されていないことなどが、現在のシネマコンプレックスの概念とは異なる。しかし、1996年ごろから同社の企業沿革や地元自治体の広報誌などを中心にいくつかの文献で同館を「日本初のシネマ・コンプレックス」とする記述が見られるようになった。 また、池袋シネマサンシャイン(後のシネマサンシャイン池袋)についても、開館時の雑誌記事ではシネマ・コンプレックスと言う用語を用いて紹介しており、一部の関係者が日本初のシネマコンプレックスと見ることもあった。しかし、これも映写室などが共有されておらず、配給チェーンとスクリーンを固定化した運営を行っており、現在シネマコンプレックスと呼ばれる映画館とは異なる。さらには、シネシックスを日本初とする例も見られるが、スクリーンごとに東宝と松竹という別々の経営母体で運営されており、集客に応じてスクリーンを変更できる柔軟性がなかった。 いずれにせよ、後述するマルチプレックスが日本国内に上陸する以前から、日本独自のスタイルでこれに近い形の興行形態が存在しており、当初はこれら複数スクリーンを持つ映画館をシネマコンプレックスと呼んでいた。ただ、1990年代に見られるような爆発的な普及は起こらなかった。 その要因の1つとして「入場者数の改竄を懸念して同一窓口で複数作品のチケットを扱うことを配給会社が嫌っていた」とも言われるように、因習に縛られ運営システムを変えるまでには至らなかったことが挙げられる。また、当時の映画館が主に建てられていた市街地は地価が高く、収益を上げるのが難しいと考えられていた点も挙げられる。さらには、興行場法、建築基準法、消防法の3法とそれに付随する条例が現在より厳しく、スクリーンの増設がコスト的に難しかったことも挙げられる。そこで、全国興行生活衛生同業組合連合会が1990年頃からこれらの規制緩和を求め各法の所管省庁に対して働きかけを行った。その結果、1992年に規制緩和の方針が決定し、先行して1993年7月1日から東京都では建築安全条例と火災予防条例が改正されている。だが、そのころには既に旧来型のシネマコンプレックスの時代ではなく、外資系を中心とした後述のマルチプレックスの普及に一役買うことになるという皮肉な結果となった。 北米におけるマルチプレックスの発祥 一方、北米初の2スクリーンを持つ映画館は、1947年にカナダの首都オタワに開館した。ナット・テイラーが築20年の施設を拡張したエルジンシアターである。他にも1960年代中盤から後半にかけて2スクリーンの映画館が開館している。1965年、ジョージア州イーストポイントに開館したマーチンズ・ウェストゲート・シネマズなどが挙げられる。ナット・テイラーは、マルチプレックスの発明者とされる。後の1979年4月19日にシネプレックス・オデオンを設立し、同年中に、当時世界最大であった18スクリーンのトロント・イートン・センター・シネプレックス(2001年3月閉館)を開館している。 1963年にマルチプレックスの先駆者となるアメリカン・マルチ・シネマ(現AMCシアターズ)のスタンリー・ダーウッドは各映画の上映開始時間を慎重に管理し複数スクリーンを数名で運営する方法を確立した。1960年代はテレビの普及に伴い、アメリカであっても映画人口は減少気味であった。しかし、1970年代これらマルチプレックスがショッピングセンターに併設される形で各地に展開されたことで、再び上昇に転じた。マルチプレックスがショッピングセンターでの購買につながるかどうかについては当初から疑問視する考え方もあったが、ショッピングセンターを認知させる効果があると認められ、コア施設の扱いを受けた。 以来、複数スクリーンの映画館が北米では当たり前のものになり、多くの従来館は複数のスクリーンに改装されていった。複数スクリーンが1つのロビーを共有する形態であった。1スクリーンの映画館(従来館)は市場からほとんど撤退した。残った従来館は一般に、アート系映画や小規模製作の映画、映画祭などの上映に使用されている。例えば、カリフォルニア州サクラメントの市街地にあるクレストシアターなどが挙げられる。 この流れはヨーロッパにも広まっていく。1972年にはアルバート・バートとローズ・クライズによって、トリオスコープハッセルト(現キネポリスハッセルト、当時3スクリーン)が開館した。現在、同サイトを経営するキネポリスはこれをヨーロッパ初のマルチプレックスとしている。また、1981年には10スクリーン(当時)を備えるキネポリスヘントが開館した。 定義により異なるが、通常20スクリーン以上のマルチプレックスはメガプレックスと呼ばれる。 一般的に、世界初のメガプレックスは1988年にベルギーのブリュッセルに開館したキネポリスブリュッセル(25スクリーン、7,500席)であると考えられる。 アメリカ初のメガプレックスは1988年に改装したミシガン州グランドラピッズのスタジオ28(20スクリーン、6,000席、2008年11月23日閉館)である。 1983年、イギリスではユナイテッド・シネマ・インターナショナルが設立。1985年にマルチプレックスに参入し、5年間で約1200スクリーンから1.5倍に増加させた。世界規模で展開する興行会社が次に参入を考えたのが日本市場であった。1991年10月8日、ワーナー・ブラザース・インターナショナル・シネマズはニチイと合弁で日本にワーナー・マイカルを設立する。
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