1930年代 - 1992年とは? わかりやすく解説

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1930年代 - 1992年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 09:07 UTC 版)

シネマコンプレックス」の記事における「1930年代 - 1992年」の解説

日本におけるシネマコンプレックス発祥 日本では1930年代大劇場時代到来すると、その地下高層スペースにもう1つ劇場設置する映画館現れはじめた例えば、日本劇場地下ニュース映画専門館として1935年12月30日開館した第一地下劇場などがそれである。これらは当時新興勢力であった東宝経営手法であったが、良いものは真似をするという姿勢松竹にも取り入れられていった。だが、一般的には1つ映画館施設)に、スクリーン1つであった1950年代になると映画館全盛期到来し映画館新設建て替え多数発生したこれに伴い、「1つ施設内に、複数スクリーンを持つ」劇場徐々に増えてきた。また、1000程度スクリーン中に壁を入れて左右に仕切ったり、1階席と2階席との間に床を入れて上下仕切ったりすることで、複数スクリーン分割するケース見られた。 これらの運営システムは、個々建物として存在する従来映画館変わりがない。入替制は導入しておらず、それぞれのスクリーンには独立した館名が付けられ配給チェーンスクリーン固定化されており、「複数映画館1つ建物中にある」状態だった。 1984年3月30日に「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打ってキネカ大森開館する設立した株式会社西友文化事業部によれば欧米の映画館の動向調査した結果動員上映館入れ替えられたりインターロック上映をすることが出来たりする複合映画館形態行き着いたとしている。同館は流通系店舗テナントであること、入替制を採用していることなど現在のシネマコンプレックスに近い。一方でスクリーン数が3と少ないこと、ロードショー名画座アート系と言うように各スクリーン特色定めていることなどが、現在のシネマコンプレックスとは異なる。また、現在は上映作品傾向からミニシアター認識されることが多い。 この時期から同館と同様に郊外ショッピングセンターに、複数スクリーンを持つ映画館テナントとして迎え入れるところが現れはじめたまた、シネマコンプレックスという言葉使われはじめるようになる複数スクリーンを持つ映画館の例施設名称開館日所在地スクリーン備考名宝会館 1955年12月23日改装日) 愛知県名古屋市 4(改装後1935年11月3日開館名古屋宝塚劇場何度かにわたり、分割増築し複数スクリーン化。1972年5月に再改装し以降3スクリーン横浜東宝会館 1956年3月27日 神奈川県横浜市 4 「映画デパート」と称す1980年改装し以降5スクリーン渋谷東急文化会館 1956年12月1日 東京都渋谷区 4 老朽および地下鉄副都心線建設のため2003年閉館解体相鉄ムービル 1971年3月5日 神奈川県横浜市 5 「日本初めて5館をパックした映画館ビル」と称す小牧コロナ会館 1981年7月11日 愛知県小牧市 3 「日本初シネマコンプレックス」と称す1997年7月12日小牧コロナシネマワールド改装。 キネカ大森 1984年3月30日 東京都品川区 3 西友大森店内設置。「シネマコンプレックス日本初登場」と銘打って開館池袋シネマサンシャイン 1985年7月6日 東京都豊島区 5 1994年12月改装し以降6スクリーン2019年7月19日に「グランドシネマサンシャイン」(12スクリーン)へ移転開業チネチッタ 1987年7月25日 神奈川県川崎市 5 スクリーン数は「チネグランデ」を除く。「日本初シネマ・コンプレックス」と称す。 シネシックス 1988年3月25日 千葉県船橋市 6 当時唯一のアメリカ型ショッピングセンターとされたららぽーと船橋ショッピングセンター内に設置2004年7月TOHOシネマズ船橋ららぽーと改装。 他にも後年になってからではあるが、小牧コロナ会館チネチッタ日本初シネマコンプレックス称している。 小牧コロナ会館は、スクリーン統一された名称が付けられていないこと、入替制が導入されていないことなどが、現在のシネマコンプレックス概念とは異なる。なお、同館を運営するコロナグループはこの時期同様の劇場愛知県江南市春日井市1983年3月19日開館)、半田市1986年7月26日開館)、豊川市1989年7月15日開館)にも展開している。 チネチッタは「総合映画館ビル」として開館当時メディアには紹介されている。やはり入替制が導入されていないこと、複数フロア渡っているためロビーなどが共有されていないことなどが、現在のシネマコンプレックス概念とは異なる。しかし、1996年ごろから同社企業沿革地元自治体広報誌などを中心にいくつかの文献で同館を「日本初シネマ・コンプレックス」とする記述見られるようになったまた、池袋シネマサンシャイン(後のシネマサンシャイン池袋)についても、開館時雑誌記事ではシネマ・コンプレックスと言う用語を用いて紹介しており、一部関係者日本初シネマコンプレックスと見ることもあった。しかし、これも映写室などが共有されておらず、配給チェーンスクリーン固定化した運営行っており、現在シネマコンプレックス呼ばれる映画館とは異なる。さらには、シネシックスを日本初とする例も見られるが、スクリーンごとに東宝松竹という別々の経営母体運営されており、集客に応じてスクリーン変更できる柔軟性がなかった。 いずれにせよ後述するマルチプレックス日本国内上陸する以前から、日本独自スタイルでこれに近い形の興行形態存在しており、当初はこれら複数スクリーンを持つ映画館シネマコンプレックス呼んでいた。ただ、1990年代見られるような爆発的な普及は起こらなかった。 その要因1つとして「入場者数改竄懸念して同一窓口複数作品チケットを扱うことを配給会社嫌っていた」とも言われるように、因習縛られ運営システム変えるまでには至らなかったことが挙げられるまた、当時の映画館が主に建てられていた市街地地価高く収益上げるのが難しいと考えられていた点も挙げられるさらには興行場法建築基準法消防法の3法とそれに付随する条例が現在より厳しくスクリーン増設コスト的に難しかったことも挙げられる。そこで、全国興行生活衛生同業組合連合会1990年頃からこれらの規制緩和求め各法の所管省庁に対して働きかけ行ったその結果1992年規制緩和方針決定し先行して1993年7月1日から東京都では建築安全条例火災予防条例改正されている。だが、そのころには既に旧来型のシネマコンプレックス時代ではなく外資系中心とした後述マルチプレックス普及一役買うことになるという皮肉な結果となった北米におけるマルチプレックス発祥 一方北米初の2スクリーンを持つ映画館は、1947年カナダ首都オタワ開館した。ナット・テイラーが築20年施設拡張したエルジンシアターである。他にも1960年代中盤から後半にかけて2スクリーン映画館開館している。1965年ジョージア州イーストポイント開館したマーチンズ・ウェストゲート・シネマズなどが挙げられる。ナット・テイラーは、マルチプレックス発明者とされる。後の1979年4月19日シネプレックス・オデオン設立し同年中に当時世界最大であった18スクリーンのトロント・イートン・センター・シネプレックス(2001年3月閉館)を開館している。 1963年マルチプレックス先駆者となるアメリカン・マルチ・シネマ(現AMCシアターズ)のスタンリー・ダーウッドは各映画の上開始時間慎重に管理し複数スクリーン数名運営する方法確立した1960年代テレビの普及に伴いアメリカであっても映画人口は減少気味であった。しかし、1970年代これらマルチプレックスショッピングセンター併設される形で各地展開されたことで、再び上昇転じたマルチプレックスショッピングセンターでの購買につながるかどうかについては当初から疑問視する考え方もあったが、ショッピングセンター認知させる効果があると認められコア施設扱い受けた以来複数スクリーン映画館北米では当たり前のものになり、多く従来館は複数スクリーン改装されていった複数スクリーン1つロビー共有する形態であった。1スクリーン映画館従来館)は市場からほとんど撤退した残った従来館は一般にアート系映画小規模製作の映画映画祭などの上映に使用されている。例えば、カリフォルニア州サクラメント市街地にあるクレストシアターなどが挙げられる。 この流れヨーロッパにも広まっていく。1972年にはアルバート・バートとローズ・クライズによって、トリオスコープハッセルト(現キネポリスハッセルト、当時3スクリーン)が開館した。現在、同サイト経営するキネポリスはこれをヨーロッパ初のマルチプレックスとしている。また、1981年には10スクリーン当時)を備えるキネポリスヘントが開館した。 定義により異なるが、通常20スクリーン上のマルチプレックスはメガプレックスと呼ばれる一般的に世界初のメガプレックスは1988年ベルギーブリュッセル開館したキネポリスブリュッセル(25スクリーン、7,500席)であると考えられるアメリカ初のメガプレックスは1988年改装したミシガン州グランドラピッズスタジオ2820スクリーン、6,000席、2008年11月23日閉館)である。 1983年イギリスではユナイテッド・シネマ・インターナショナル設立1985年マルチプレックス参入し5年間で約1200スクリーンから1.5倍に増加させた。世界規模展開する興行会社次に参入考えたのが日本市場であった1991年10月8日、ワーナー・ブラザース・インターナショナル・シネマズはニチイ合弁日本ワーナー・マイカル設立する

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