1930年代 – 1950年代とは? わかりやすく解説

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1930年代 – 1950年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 14:08 UTC 版)

コミュニケーション学」の記事における「1930年代 – 1950年代」の解説

アメリカ合衆国の高等教育研究において、コミュニケーション学制度化始まったのは、コロンビア大学シカゴ大学イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校など、初期パイオニアであり、制度化推進したポール・ラザースフェルドハロルド・ラスウェルウィルバー・シュラムといった人々所属していた大学においてであった、としばしば論じられている。 1944年には、ラザースフェルドによって、コロンビア大学応用社会調査室が創設された。もともとラザースフェルドは、ロックフェラー財団資金提供受けて1937年から始めた「ラジオ・プロジェクト」をいくつかの大学など指導しており、1939年からはコロンビア大学その事務局を置いていたが、それを継承したのがこの新し部局であった。「ラジオ・プロジェクト」には、ラザースフェルド自身の他にも、アドルノや、ハドレー・キャントリルゴードン・オールポート、後にCBS社長となるフランク・スタントンらが様々な形で関わっていた。ラザースフェルドと応用社会調査室は相当な量の研究成果生み出し様々な共著者たちを得て書籍シリーズ刊行しコミュニケーション学の定義付け助け論集編纂した。その編著中には1955年の『パーソナル・インフルエンス』のように、いわゆるメディア効果論」の伝統の中で現在でも古典となっているものもある。コロンビア大学では、伝統的にコミュニケーション学社会学緊密に結びついており、ロバート・キング・マートンなど、社会学プログラムからも応用社会調査室に関わりを持つ者が時折いた。コロンビア大学が、学位授与する大学院プログラムとしてコミュニケーション専攻設けたのは、ずっと後の1990年代になってからであるが、このことはコミュニケーションについての数多く重要な調査が、コミュニケーション学という名称を負った学問の外において実施され続けて来たことを示している。また、この調査室や、ラザースフェルドの調査一般については、時として存在してきたコミュニケーション学メディア産業との緊密な関係の事例であると見ることもできる1940年代以降シカゴ大学は、いくつかの一時的ながら重要なコミュニケーションに関する委員会の類の拠点となり、そうしたプログラム何人も指導的なコミュニケーション学研究者育てることになったコロンビア大学における状況とは対照的にこうしたプログラムははっきりと「コミュニケーション」という名を冠していた。やはりロックフェラー財団から資金提供されていたコミュニケーション世論に関する委員会は、ラスウェル加え、ダグラス・ウェイプルズ、サミュエル・スタウファ、ルイス・ワースハーバート・ジョージ・ブルーマーといった面々参加したが、彼らは皆、それぞれシカゴ大学別の部局所属していた。戦時下連邦政府コミュニケーションへの関心高めていく状況の下、彼らは委員会編成して基本的に学術・教育側面貢献することが目指され、特に戦時情報局とは緊密なつながりをもっていた。コロンビア大学応用社会調査室にとってメディア産業とのつながりが重要であったのと同じように、シカゴ大学委員会は、コミュニケーション学政府関心資金援助が結びついていることを思い起こさせるのである。後にシカゴ大学には、ハッチンス委員会(プレスの自由委員会)や、コミュニケーション委員会(1947年 - 1960年)の組織的本拠置かれることになった後者学位授与するプログラムとなり、その教授陣には、 エリユ・カッツ、バーナード・ベレルソン、エドワード・シルズ、デイヴィッド・リースマンらが名を連ね、その出身者にはハーバート・J・ガンズやマイケル・グレヴィッチ(Michael Gurevitch)らがいた。委員会は、ベレルソンとモリス・ジャノウィッツの『Public Opinion and Communication (世論コミュニケーション)』(1950年)のような書籍や、学術誌『Studies in Public Communication』を発行した1947年戦後アメリカ合衆国におけるコミュニケーション学制度化鍵を握る人物となったウィルバー・シュラムによって、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校コミュニケーション調査研究所が創設された。シカゴ大学いろいろな委員会同じように、イリノイ大学プログラムも「コミュニケーション」の名を冠し大学院学位授与したシュラムは、社会科学から影響受けていたコロンビア大学シカゴ大学研究者たちとは異なり英文学出身で、既存のスピーチ・コミュニケーション、修辞学さらにはジャーナリズムプログラムコミュニケーション傘下統合しながらコミュニケーション学発展させてきていた。シュラムは『マス コミュニケーション過程効果 (The Process and Effects of Mass Communication)』(1954年)という教科書編集しその中で、ラザースフェルド、ラスウェルカール・ホブランドクルト・レヴィンらを、コミュニケーション学創業の父たちと位置づけこの分野の定義づけの助けとなったシュラムまた、コミュニケーション学のためのいくつかのマニフェスト作成しており、そのひとつが1963年の『The Science of Human Communication (人間コミュニケーション科学)』であったシュラム研究所は、1955年スタンフォード大学へ移ったシュラム門下生からは、エヴェリット・ロジャースのように重要な成果上げようになった者も数多く出た

※この「1930年代 – 1950年代」の解説は、「コミュニケーション学」の解説の一部です。
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