1930年代〜1940年代
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「パラマウント (上海)」の記事における「1930年代〜1940年代」の解説
1929年、それまで静安寺路と戈登路(後の南京西路(中国語版)と江寧路(中国語版))の交差点にあった、大華飯店(中国語版)が兼営するダンスホールが閉場となり、「貴族区」とも称されていた当時の上海西区から、貴族区にふさわしい娯楽場がひとつもなくなってしまった。 1931年、中国人の商人であった顧聯承が銀70万両を投資して静安寺の所有地の一部を購入し、パラマウント・ホールの建設に着手し、1933年に完成させて「百楽門」の字を当てて正式に開場した。建物は、当時の有名建築家であった楊錫鏐(S. J. Young; Yáng Xīli, 1899-1978) がアール・デコ様式で設計し、建設には陸根記営造廠があたった。 開業後のパラマウントは、たちまち当時有数の有名なダンスホールのひとつとなった。張学良は開業後しばしばこの施設を訪れ、会合に用いたほか、ダンスもしたという。1936年には、新婚だった夫人を伴って上海を訪れたチャップリンが、夫人とダンスをした。 パラマウントでは、周璇、白光、張露(中国語版)など、当時人気の歌手や女優たちが舞台に上がって歌や舞踏を披露していた。 またパラマウントでは、1934年に中国初のファッションショーが開催され、さらに、映画女優など有名人の結婚式場としても使われることが多かった。
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1930年代〜1940年代
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「ダンドゥット」の記事における「1930年代〜1940年代」の解説
ダンドゥットの原型は、オルケス・ムラユ(インドネシア語版)と呼ばれた複数の楽団によるムラユ音楽だとされる。ムラユ音楽はマレー半島、東マレーシア、タイ南部、シンガポール、カリマンタン西部、スマトラ東海岸などで演奏されるポピュラー音楽で、音階は西アジアや南アジアの七音音階を主流とした。1930年代にムラユ音楽の演奏が盛んになり、1940年代には民族色を特徴とするクロンチョンと区別されるようになった。
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