1930年代から2000年まで
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「非公式サッカー世界王者」の記事における「1930年代から2000年まで」の解説
1931年5月16日、UFWCは初めてブリテン諸島外に移り、オーストリアが新王者となった。しかし1932年7月12日にイングランドがオーストリアを4-3で下したことで、UFWCはまたもホームネイションズ内で争われる時代に入った。1940年代に入るとヨーロッパ大陸の国々、特に第二次世界大戦中は枢軸国と中立国がその地位を占めた。1950年のワールドカップを前にイングランドが王座を取り戻したが、本大会の第1ラウンド(6月29日)ではイングランドがアメリカ合衆国に0-1で敗れる番狂わせ (en) が起こり、初めてタイトルが大西洋を越えた。さらに、同グループ最終戦でアメリカ合衆国を破ったチリがUFWC新王者となり、しかも同国が第1ラウンドを突破できなかったので、タイトルは南アメリカに渡った。 タイトルがアメリカ州にある間、1963年にはオランダ領アンティルがチャンピオン国となった。CONCACAF選手権(現:CONCACAFゴールドカップ)でメキシコに2-1で勝利したためで、4日後にはコスタリカに敗れたため王座を失うのだが、史上最小のチャンピオン国として名を残している。その後、1966年のワールドカップ開催までに、UFWCはソ連の手によってヨーロッパに戻った。そして1967年に行われたイングランドとスコットランドの試合結果から、UFWCのアイデアが生まれた。1978年の途中まではこのタイトルはヨーロッパの国々が保持したが、同年のワールドカップでアルゼンチンが奪い、それ以降4年間は南アメリカ諸国の手にあった。ヨーロッパ勢がタイトルを奪還するのは、1982年のワールドカップでポーランドがペルーを下したときで、次の年にはアルゼンチンが王座に返り咲いたが、それを除けばヨーロッパの国がしばらくの間タイトルを保持し続けることになる。 1992年、UFWCはアメリカ合衆国が奪い、1試合だけオーストラリアが、続けて南アメリカの国が数試合保持した後、ヨーロッパに戻った。アジア初のタイトル所有国は1995年にコロンビアに勝利した韓国だったが、ユーゴスラビアがヨーロッパに奪い返した。1998年3月にドイツが親善試合でブラジルに敗れるまで、ヨーロッパ勢がタイトルを守り続けた。同年のワールドカップ直前に、UFWCはアルゼンチンに移った。そして、本大会中に争奪が続いたタイトルは決勝戦でブラジルを破った開催国のフランスが得た。
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