説のあらまし
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 07:30 UTC 版)
ダイアモンドは、ユーラシアの文明は巧妙さの産物ではなく、機会と必要の産物であると主張している。つまり、文明は優れた知性から生まれたものではなく、ある前提条件により可能となった発展の連鎖の結果である。 文明への第1歩は、遊牧的な狩猟採集から、根づいた農耕社会への移行である。この移行にはいくつかの条件が必要である。その条件は貯蔵に耐えうる高炭水化物の植物へのアクセス、貯蔵を可能にするのに十分乾燥した気候、そして家畜化するのに十分従順で、飼育下でも生き延びるのに十分な能力がある動物へのアクセスである。農作物や家畜を管理することで食料は余剰になる。余剰があることで人々は栄養補給以外の活動に専念することができ、人口増加を支えることができる。専門家と人口増加の組み合わせが、社会的・技術的革新の蓄積をもたらし、互いに積み重なっていく。大きな社会は支配階級とそれを支える官僚制を発展させ、これらが国民国家と帝国の機構につながる。 世界のいくつかの地域で農業が発達したが、ユーラシアでは家畜化に適した植物や動物種がより多く入手可能であったため、早くから優位に立つことができた。特にユーラシアには、オオムギ、2種類の小麦、タンパク質を豊富に含む3種類の食用豆果、織物用の亜麻、そしてヤギ、ヒツジ、ウシがある。ユーラシアの穀物はアメリカのトウモロコシや熱帯のバナナよりもタンパク質が豊富であり、種まきが簡単で、貯蔵も容易であった。 西アジアの初期の文明が交易を始めた際、彼らは隣り合う地域でさらに有用な動物を発見した。なかでも特に輸送用のウマやロバである。ダイアモンドは、ユーラシアで飼育されていた100ポンド (45 kg)以上の大型動物は13種であり、南米では1種(ラマとアルパカは同一種と数える)に過ぎず、その他の地域では全く飼育されていないことを確認している。オーストラリアと北アメリカでは更新世が終わった直後に有用な動物が人間の狩猟により絶滅したため、そのような動物が不足しており、ニューギニアで唯一家畜化された動物は約4000-5000年前のオーストロネシア人の入植時に東アジア大陸から来たものである。シマウマやアジアノロバを含むウマの生物学的な親戚は飼いならすことができないことが判明した。アフリカゾウは飼いならすことができるが、飼育下で繁殖させることは非常に困難である。ダイアモンドは、家畜化された種の数の少なさ(148の「候補」のうち14)をアンナ・カレーニナの原則の例(多くの有望な種は家畜化を妨げるいくつかの重要な問題のうち1つだけを持っている)を説明している。彼はまた、家畜化される可能性のある大型哺乳類がすべて家畜化されてきたという主張もしている。 ユーラシア人は皮や衣服やチーズのためにヤギやヒツジを、牛乳のために乳牛を、畑の耕起や輸送のために雄牛を、そしてブタやニワトリのような良い動物を家畜化した。ウマやラクダのような大型の家畜は、移動輸送のための軍事的・経済的な利点が大きかった。 ユーラシアの広大な土地と東西に距離が長いことがこれらの利点を高めた。国土が広いことで家畜化に適した植物や動物の種類が増え、人々は技術革新と病気の両方を交換することができた。東西方向に長かったため、気候や季節のサイクルが似ており、大陸の1つの地域で飼育されていた品種を他の地域で使うことができた。アメリカではある緯度で飼育されていた作物を他の緯度で適応させることは困難であった(北米ではロッキー山脈の片側の作物をもう一方の片側に適応させることはあった)。同様に、アフリカも南北で気候が極端に変わり分断されており、1つの地域で繁栄した作物や動物は、他の地域との間の環境を生き残ることができなかったため、繁栄する可能性のある他の地域に到達することができなかった。ヨーロッパはユーラシアが東西方向に伸びていることによる利益を最終的に受けるものであった。紀元前1千年紀にはヨーロッパの地中海地域が南西アジアの動植物や農業技術を採用し、紀元1千年紀にヨーロッパの他の地域がそれに倣った。 豊かな食料の供給とそれを支える人口密集が分業を可能にした。職人やスクライブなどの非農業専門家の台頭は、経済成長と技術進歩を加速させた。これらの経済的・技術的優位性は、最終的にヨーロッパ人が本書のタイトルになっている銃と鉄を用いてここ数世紀の間に他の大陸の人々を征服するのを可能にした。 ユーラシアは人口密度が高く、交易が盛んで、家畜に近い場所で生活していたため、動物から人間への感染を含む病気が広範囲に伝播した。天然痘、麻疹、インフルエンザは動物と人間が近接していることにより発生した。自然選択により、ユーラシア人は様々な病原体に対する免疫力を身に付けなくてはならなかった。ヨーロッパ人がアメリカ大陸と接触したとき、ヨーロッパの病気(アメリカ人には免疫がなかった)は逆ではなくアメリカの先住民を襲った(病気の「交易」はアフリカと南アジアではもう少しバランスがとれていた。この地にはマラリアと黄熱病があり、「白人の墓場」と呼ばれる悪名高い地域であった。さらに梅毒はアメリカ大陸に起源を持つ可能性がある。ヨーロッパの病気(この本のタイトルの病原菌)は比較的人数の少ないヨーロッパ人がその支配を維持できるように、先住民族を滅ぼした。 ダイアモンドは、中国のような他のユーラシアの大国ではなく西ヨーロッパの社会が支配的な植民地化を行ってきた理由として地理的な説明を提案している。ヨーロッパの地理は山、川、海岸線といった自然の障壁が多く、こうした障壁に囲まれるより小さくより密集した国民国家が割拠するバルカニゼーションをもたらすと主張している。それぞれの小国は近隣国の脅威にさらされているため、経済的・技術的な進歩を抑制するような政府は、比較的早く打ち負かされることを防ぐために、すぐに誤りを修正しなければならなかった。地域を主導する勢力は刻々と変化し、ヨーロッパを統一するような支配者は登場しなかった。一方、ヨーロッパ以外の先進文化は、大規模で一枚岩の孤立した帝国を形成するような地理的条件のもとで発展した。こうした帝国には、例えば外航船の建造を禁止した中国のように誤った政策をとった際、考えを改めさせるような競争相手は存在しなかった。中国では王朝が技術の発展を止める決定を行うことがしばしばあったが、禁じられた技術は帝国の全土から消え失せ、以後発展することはなかった。一方統一王朝のないヨーロッパでは、一つの国がある技術を抑圧しても、どこかの国がその技術を受け入れて発展させる余地があり、他国に取り残されることを避けるために他国の取り入れた技術は受け入れざるを得なかった。西ヨーロッパは、激しい農業が最終的に環境にダメージを与え、砂漠化を促し、土壌肥沃度を低下させた南西アジアよりも温暖な気候の恩恵を受けた。
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