説2 「鄙街道」転訛説とは? わかりやすく解説

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説2 「鄙(ひね)街道」転訛説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:55 UTC 版)

姫街道」の記事における「説2 「鄙(ひね)街道転訛説」の解説

内藤 (1972, p. 135)は、東海道表街道を「新しい」街道として、これに対応する「古い」街道を「ひね街道」と呼ぶのであれば気賀から森町掛川に至る山手寄りのかつての「二見の道」の古道筋を呼んだはずだが、湖北以外の遠州地方には「ひね街道」という呼び方が全く残っていないため、湖北だけに古道筋を「ひね」と呼ぶ呼び方残ったとするのはおかしい、としている。 小杉 (1997, pp. 171172)は、「姫」のイメージと「古い」というイメージ大きく異なり、また「姫様街道のような呼称見られることから、「ひね」からの転訛ではないだろう、としている。 大林 (2003, p. 104)は、『豊橋市史』が(説2)をとっていることを紹介し『吾妻鏡』などからは、中世まで、平地にある見通しのよい平坦な道は危険度が高いと考えられており、山沿いや山の中を選んで通っていたことが伺われることから、近世以降平坦な道が選ばれるようになり、街道概念変化したときに、古い道、「ひね街道」とされたのではないか、としている。 渡辺 (2012, p. 21)は、17世紀通じて東海道本道に「主要な大通行」が移っていき、本坂通通行量減って鄙びた街道」となり、「鄙街道」と呼ばれていたのが「姫街道」に転訛たとする説もあるが、考えすぎだろう、としている。

※この「説2 「鄙(ひね)街道」転訛説」の解説は、「姫街道」の解説の一部です。
「説2 「鄙(ひね)街道」転訛説」を含む「姫街道」の記事については、「姫街道」の概要を参照ください。

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