説1-1 新居関所の取調べ忌避説とは? わかりやすく解説

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説1-1 新居関所の取調べ忌避説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:55 UTC 版)

姫街道」の記事における「説1-1 新居関所の取調べ忌避説」の解説

浅井 (2001, pp. 100101)は、徳川家康は、江戸へ武器流入諸大名対する「人質」として江戸に住まわせた大名の妻たちの脱走を防ぐ為に関所設置したと言われ、「入鉄砲出女」の取り締まり厳しく東海道今切関所は、特に女性に対して取り調べ厳しいことで有名だった、としている。渡辺 (2000, p. 47)は、これに加えて今切関所では江戸へ向かう「入り女」に対して所定女手形を必要とした点を指摘し小杉 (1997, p. 173)は、関所破り極刑という掟があったことを指摘している。 内藤 (1972, p. 134)は、新居の関所には「改め婆」と呼ばれる局部視認して性別改めるという風評もあり、女性旅行者には敬遠されたのかもしれない、としながらも、旅人監視厳しさでは、姫街道にも気賀関があり、本街道新居関差異はなかったのではないか、としている。大山敷太郎は、女性今切関所避けて本坂通通行したものの、気賀関所検閲厳重だったとしたとされ、渡辺 (2012, p. 20)は大山の説を概ね支持するが、女性東海道本道避けた理由多様だった、としている。 小杉 (1997, pp. 171172)は、新井の裏関所である気賀関所取り調べ厳しかったという反論があることに言及し浜松市役所 (1971, p. 180)は、気賀関所取り締まり今切関所と何も変らなかった、としている。 小杉 (1997, p. 172-175)は、もともと気賀関所取調べは厳重であったが、江戸時代後期になると、幹線道路以外では関所取調べがかなり緩やかになっており、関所手形取得しにくい女性通行する際に、関所破りをする例があったことを指摘している。例として、前出清河八郎西遊』では、関所手形持たない母と同道したために関所破り繰り返しており、新潟県長野県境にある関川番所では最寄の宿に一泊した後、夜明け前宿屋の手引きで関所破りをし、善光寺から名古屋へ行く際には福島関所がある中山道避けて伊那街道迂回して街道女性取締り緩やかな女人道」と表現飯田から中山道木曾妻籠に出るときには清内路道脇道である市之瀬番所を「女性通さない関所だから」として関所脇道通過し東海道では新居関所避けて御姫様海道」を来たものの、気賀にも関所があり「女中容易に通さない」と聞いて三ヶ日から舟を雇い夜中に舟に乗って呉松へ渡る関所破りをしていた。他にも夜中浜名湖個人が舟で渡り気賀関所破っている例がある。 白柳秀湖は、気賀関所には「犬潜り道」があり、検閲手心加えられていた、としている。

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