社団法人時代
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年月日事柄西暦和暦元号~1926 大正 15 8 6 社団法人日本放送協会の設立総会開催。時の逓信大臣・安達謙蔵の指名により、東京放送局理事長の岩原謙三を初代会長に決定。 20 東京・大阪・名古屋放送局の3法人が解散、社団法人日本放送協会が発足(施設や従業員など一切を継承)。各放送局はそれぞれ関東・関西・東海支部となる(放送時の呼称は「中央放送局」)。 12 1 大阪中央放送局、中波放送の本放送を開始。 - 15日より「聖上御容体」「臨時ニュース」と題し、通常の放送時間を延長して大正天皇の病状を放送。16日からは娯楽演芸番組を中止、24日夜以降は一般講演番組も中止。 昭和 元年 25 この日の未明、大正天皇崩御を速報(東京2:54、大阪・名古屋3:00)。時報・ニュース・天気予報以外の放送を中止。 1927 2 5~6 地方支部を相次いで設置(5月21日:九州支部(熊本)、6月3日:中国支部(広島)、6月9日: 東北支部(仙台)、6月20日:北海道支部(札幌))。 8 13 大阪中央放送局、全国中等学校優勝野球大会を甲子園球場から中継。担当は魚谷忠アナウンサー。スポーツ実況中継の初め(22日まで)。 10 15 東京中央放送局、東京六大学野球中継放送開始(早大-明大2回戦から) 12 31 年越し番組『除夜の鐘』を放送開始。番組は後に『ゆく年くる年』に改題、現在も続く日本最古の現役番組となっている。 1928 3 1 12 東京中央放送局、大相撲春場所の実況を東京市本所区両国の旧国技館から中継、相撲放送の初め(22日まで)。 6~7 各地方支部が放送開始(6月5日:札幌、6月16日:仙台・熊本、7月6日:広島)。 11 1 『ラジオ体操』の放送開始。 5 全国中継放送を開始(仙台-東京-名古屋-大阪-広島-熊本間は中継線、仙台-札幌間は無線中継)。 6 昭和天皇即位の大礼の模様を逐次中継放送(27日まで)。 1930 5 2 9 ロンドン海軍軍縮会議における若槻禮次郎首相の演説を同時放送。初の国際中継放送。 6 1 技術研究所(現:NHK放送技術研究所)、東京府北多摩郡砧村(現:世田谷区砧)に設立、テレビジョンの研究などを開始。 15 大阪中央放送局、天王寺公園に公衆用聴取施設「ラジオ塔」を設置。その後1943年までに、全国に順次設置。 1931 6 4 6 東京中央放送局、第二放送(中波)を開始。 1932 7 11 22 録音盤を用いた初の収録放送。 1933 8 1 1 この日より時報が自動化。 6 26 大阪・名古屋両中央放送局、第二放送(中波)を開始。 7 25 札幌-仙台間の中継線開通。 1934 9 5 16 支部制を廃止。本部(東京)の下に全国6中央放送局を置き、支所を放送局とした(放送局数28=第1放送25+第2放送3)。 1935 10 4 15 この日より学校放送が全国ネット化。 6 1 アメリカ向け海外放送「ラジオ・トウキョウ」を開始。現在の国際放送「NHKワールド(NHKワールド・ラジオ日本)」は、この日を放送開始日としている。 12 20 東京放送会館、東京府東京市麹町区内幸町にて着工。 1936 11 2 9 名古屋中央放送局、初の職業野球中継。 6 1 『国民歌謡』の放送を開始。 1937 12 加入者が300万を突破し記念祝賀会を挙行。 1938 13 12 20 東京放送会館、竣工。 1939 14 5 13 東京放送会館演奏所設備の使用を開始。運用開始祝いを兼ね、技術研究所のテレビジョン実験局、初めてテレビ電波を発射し、放送会館で受像公開。 7 1 第一放送・第二放送を全国放送・都市放送と改称。 8 19 東京・三越の「興亜逓信展覧会」でテレビ送受信実験を一般公開。 1940 15 4 13 テレビ実験にて、テレビドラマ『夕餉前』を技術研究所より放送、放送会館など数か所で受像公開。日本で初めて制作されたテレビドラマであり、同14日と20日にも再演された。 1941 16 1 29 「日伊定期文化交換放送ニ関スル日本放送協会伊太利放送協会間協定」(日伊放送協定)締結。 9 24 パラオ放送局開局(短波放送のみ)。 12 8 太平洋戦争開戦。ラジオは7時に大本営発表を報じる臨時ニュースを放送。この日以降終戦まで、都市放送(第二放送)を停波し、気象通報・天気予報を中止。* 当時のニュース速報の録音が残っている。この時に鳴らされた告知チャイムは、2018年現在の緊急放送チャイムと同様の音階が用いられている(一部で「軍艦行進曲」が流れたとされているが誤り)。 9 放送電波管制発令(送信出力低減、同一周波数放送)。 26 豊原放送局開設、正式に放送開始。 1942 17 4 18 この日初めてラジオが空襲警報を伝える。 1943 18 9 5 『連続放送劇 宮本武蔵』の放送を開始。 11 12 東京放送局が仮放送を開始した3月22日を「放送記念日」に制定。 1944 19 8 1 パラオ放送局、空襲による放送設備破壊のため7月以降放送を休止し、この日付けで閉鎖。 1945 20 8 15 昭和天皇による「終戦の詔書」の音読を、レコード規格の録音盤による収録素材を用いて放送(玉音放送)。 22 1941年以来休止されていた天気予報が再開される。 9 1 第二放送(都市放送)が放送を再開。また第一放送も周波数が戦前のものに戻る。 4 連合国軍最高司令官指令(SCAPIN)により、海外放送のうち外国語放送を停止。 5 東京放送会館、米太平洋陸軍総司令部(GHQ/AFPAC ジー・エイチ・キュー・アフパック)に、この日より数週間かけて接収される。 10 上記SCAPINにより、海外向け日本語放送が停止。 23 米軍放送「AFRS」が東京・大阪・名古屋のNHK施設などを使って放送開始される(通称「第三放送」、後述)。同日、NHKによるAFRSへの放送役務提供開始(1954年8月9日終了)。 10 2 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP ジー・エイチ・キュー・スキャップ)が発足。東京放送会館内にGHQ部局として民間情報教育局(CIE)・民間検閲支隊(CCD)が置かれる。 11 16 大相撲秋場所を国技館から中継。スポーツ実況中継復活(26日まで)。 12 31 NHK紅白歌合戦の源流となる『紅白音楽試合』放送。「合戦」の語が用いられなかったのはこの呼称が封建的だとしてGHQに許可されなかったため。 1946 21 1 19 現在まで続く長寿番組『NHKのど自慢』放送開始(当時の番組名は『のど自慢素人音楽会』)。 3 4 日本放送協会、放送で呼出名称として「NHK」を使用開始。 14 この日から4月8日まで、初の政見放送を実施。 10 5 この日従業員組合が全面ストライキに入ったことにともない、8日、逓信省が放送国家管理を実施(10月25日まで)。 1947 22 7 1 ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』放送開始。 9 この日『ラジオ体操』が終了。1951年に動きを新しくして再開。 10 5 バラエティ番組『日曜娯楽版』放送開始。 1948 23 6 4 戦後初のテレビ公開実験。 7 1 ラジオ第2放送に独自のコールサインを割り当て。
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