終戦の詔書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 08:24 UTC 版)
午後4時から始まった終戦の詔書の審議においては「戦勢日ニ非ニシテ」という原案を「身命を投げ出して戦ってきた将兵が納得しない」として「戦局必スシモ好転セズ」との穏やかな表現にして欲しいと主張したが、海軍大臣の米内が「陸軍大臣はまだ負けてしまったわけではないと言われるが、ここまで来たら、負けたのと同じだ」「ありのままを国民に知らせた方がよいと思うので、私はまやかしの文を入れないで、原案のままがよいと思う」と反論した。それでも阿南は、持ち前の歯切れはいいが粘りのある交渉術で、陸軍将兵の衝撃を少しでも緩和しようと孤軍奮闘し、「まだ最後の勝負はついていないので、ここはやはり“戦局必スシモ好転セズ”の方が相応しいと思う」と主張を譲らず、最後には米内の方が折れて、阿南の修正案に賛同した。阿部と米内の議論を聞いていた内務大臣の安倍は「わたしは阿南さんが、陸軍大臣として最後の務めを果たされた、というふうにうけとり、心に深く印象づけられた」と述べている。 閣僚たちが終戦の詔勅への署名の後、連日の議論で疲労困憊してしばしの休憩をとっていたとき、軍服を正した阿南が東郷にそばに寄ってきて、上半身を15°に折った最敬礼の体勢で「さきほど保障占領及び軍の武装解除について、連合国側に我が方の希望として申し入れる外務省案を拝見しましたが、あの処置はまことに感謝にたえません。ああいう取り扱いをしていただけるのなら、御前会議であれほど強く言う必要はありませんでした」と謝罪してきた。東郷は苦笑しながら「いや、希望として申し入れることは外務省として異存はありません」と答えると、阿南は「いろいろと本当にお世話になりました」とさらに丁重に腰を折って礼をしたので、東郷はあわてて「とにかく無事にすべては終わって、本当によかったと思います」と答えている。 阿南はその後総理大臣室を訪れ、在室した鈴木に「終戦についての議が起こりまして以来、自分は陸軍の意志を代表して、これまでいろいろと強硬な意見ばかりを申し上げましたが、総理に対してご迷惑をおかけしたことと想い、ここに謹んでお詫びを申し上げます。総理をお助するつもりが、かえって対立をきたして、閣僚としてはなはだ至りませんでした。自分の真意は一つ、国体を護持せんとするにあったのでありまして、あえて他意あるものではございません。この点はなにとぞご了解いただくよう」と謝罪した。 総理大臣室には内閣書記官長の迫水もいたが、迫水は阿南が本心では和平を願っていたことを理解しており、今日まで陸軍の暴発を抑えるため、心にもない強硬な意見を言い続けてきた阿南の心情を察して、居ても立ってもいられない気持ちとなり思わずもらい泣きをしている。黙って阿南の話を聞いていた鈴木は、阿南の肩に手をやって「阿南さん、あなたの気持ちはわたくしが一番よく知っているつもりです。たいへんでしたね。長い間本当にありがとうございました」「今上陛下はご歴代まれな祭事にご熱心なお方ですから、きっと神明のご加護があると存じます。だから私は日本の前途に対しては決して悲観はしておりません」と答え、阿南は「わたくしもそう信じております」と同意した。しばらく2人は沈黙のうちに見つめ合っていたが、阿南がこわきに抱えていた新聞紙の包みを取り出して「これは南方第一戦から届けられた葉巻です。私はたしなみませんので、総理に吸っていただきたく持参しました」と言って包みを鈴木の机の端に置くと、敬礼して静かに退出していった。鈴木は迫水に「阿南君は暇乞い(いとまごい)に来たんだね」とつぶやき、迫水は阿南のがっちりとした後ろ姿を見送って、何か熱いものが身体から流れ出していくような感覚におそわれたという。
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