「終戦の日」はいつかとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 「終戦の日」はいつかの意味・解説 

「終戦の日」はいつか

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 04:50 UTC 版)

日本の降伏」の記事における「「終戦の日」はいつか」の解説

詳細は「対日戦勝記念日」を参照 伝統的な戦時国際法において休戦協定合意口頭による同意によれば良く文書の手交を要件としないこのため休戦協定された日と休戦協定外交文書降伏文書)として固定された日は異なり実際に各地戦線休戦合意された日もまた異なる。そのため現実戦闘停止され日付(あるいは現地日本軍降伏した日、あるいは降伏式執り行った日付)には前後があり、また日本政府停戦通告した日(最初のものは短波ラジオ通じた8月10日)、連合国の各司令部により停戦事実確認された日などにも前後関係がある。 今日、「終戦の日」とは、昭和天皇が「玉音放送」によって、日本政府ポツダム宣言受諾(=日本軍降伏表明)を連合国側通告したことを、国民放送通じて公表した1945年昭和20年8月15日とするのが一般的である。一方日本政府ポツダム宣言受諾連合国側通告したのは、前日8月14日であり、玉音放送によって読み上げられた「終戦の詔書」の日付その日となっている。 日本政府及び連合国代表が降伏文書調印した日は、1945年昭和20年9月2日であり、連合国ではこの日を「対日戦勝記念日」としている例が多いが、中華民国中華人民共和国旧ソビエト連邦のように9月3日とする国もある。なお国条約として日本国交戦国正式に平和条約などを締約戦争状態が終了した日は日本国との平和条約発効した1952年4月28日日本国と中華民国との間の平和条約発効した1952年8月5日日ソ共同宣言発効した1956年12月12日である(ただし日ソ共同宣言戦争状態の終了確認した条約であって平和条約ではない)。

※この「「終戦の日」はいつか」の解説は、「日本の降伏」の解説の一部です。
「「終戦の日」はいつか」を含む「日本の降伏」の記事については、「日本の降伏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「「終戦の日」はいつか」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「「終戦の日」はいつか」の関連用語

「終戦の日」はいつかのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



「終戦の日」はいつかのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本の降伏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS