社地と造営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 12:03 UTC 版)
社地は4月始めから調査を始めたが、政府は5月23日、生田川から湊川の間の土地を尼崎藩および古河藩に上知させた。最終的には1869年(明治2年)に墓所と殉節地の両所を必ず含めるものとして境内は確定された。 1871年(明治4年)2月より社地は湊川の土を使って整地された。1871年(明治4年)中には先立って石垣が完成し、1872年(明治5年)1月より造営を始めた。3月4日に本殿立柱祭、5月6日上棟祭が行われ、春日造桧皮葺の社殿は完成した。ただ、その他一通りの建物の完成を見るのは創建後の9月に入ってからである。
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