日本における避暑地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 08:17 UTC 版)
「リゾート#日本におけるリゾート開発」も参照 日本では、明治時代に外国人(本項では基本的に欧米人を指すものとする)の商人・宣教師・教師が外国人避暑地を日本国内に造ったのが始まりである。これは当時の教師、宣教師などの一般が、欧米との為替不均衡により、わが国の感覚から見れば、いずれも破格の収入を得ていた「富裕層」であったためと考えられている。最初期の避暑地は、1870年代から1880年代にかけて日本各地で誕生した。その時期が各地で概ね一致している理由として、鉄道建設の発展が一般的に挙げられるが、しかし依然として各地への到達は容易ではなく、また鉄道の開通していない地域でも避暑地の開拓は行われている。開拓された地域は、土地の特性にある程度の共通項が見られ、大まかに有名温泉地型、海浜型、高原型(山岳や湖畔を含む)に分類することができる。これらの避暑地は、1、2か月の長期滞在型別荘地であることが多く、非日常的な旅行(観光)というよりも酷暑から逃れるという必然性から生まれた日常生活の延長としての面が大きかったが、例外として、日本的な観光資源が豊富で江戸時代以前から観光地・景勝地・保養地として有名であった避暑地(日光、箱根、鎌倉、その他温泉地など)では、訪日旅行者を含めた外国人観光客からも人気を博し、短期滞在者も多かった。 本国から離れ、日本各地へ散らばって生活をしている外国人にとって、外国人避暑地は通信・交通が現在より不便だった時代、年1回集まって情報交換をするための重要な地区でもあった。東アジアの熱帯・亜熱帯地域からも日本の外国人避暑地に訪れる者が見られた。昭和初期にかけて、外国人避暑地は全盛期を迎え、各地で外国人向けの宿泊施設や娯楽施設が充実していき、高級リゾートホテル(クラシックホテル)も誕生した。 避暑概念は大正頃から次第に日本人の富裕層にも広がった。元来日本人に人気のなかった高原は、外国人がその西洋的な魅力を見出して以降、避暑を主目的にしながらも西洋式生活の模倣の舞台となり、テニス、ゴルフといった西洋から輸入されたばかりのスポーツ、外国人との各種パーティーなど西洋式生活が上流階級を中心に積極的に行われていた。この傾向は軽井沢で顕著に見られたが、六甲山、中禅寺湖など軽井沢以外の地域においても当時のハイカラな流行として西洋式リゾートライフが展開された。一方で有名温泉地は、外国人が避暑地とする以前から日本人にとって保養地としての役割を担っていたため、高原避暑型の西洋式生活を取り入れようというスタイルとは違い、日本古来の伝統である湯治をしながら豊かな自然を相手に風流に過ごす純日本的なものであった。ここでは、宿泊に既存の旅籠や旅館が長らく使用されたことで別荘開発は遅れ、高原避暑型でみられたホテルなどでのパーティーを中心とした交流や、軽井沢のようなコミュニティ施設・組織は、雲仙など一部を除いて基本的には存在しなかった。海浜は、そもそも高原避暑型に比べると外国人の割合が小さく、加えて海水浴や日光浴を目的とした大衆も集いはじめたため、次第に大衆色が強まっていった。また避寒にも適する温暖な気候と、比較的東京から近距離にある地域が多かったため、定住利用も見られるようになった。 第二次世界大戦が始まると、避暑客の大半を占めていた米・英人が敵国人となり、本国へ帰還したことから、彼らの外国人別荘は売却された。大戦末期には、箱根や軽井沢、山中湖などの一部避暑地が各国大使館や一般外国人の疎開先となり、これらの地域は日本本土空襲の被害に遭うことがなかった。 戦後になると、通信手段や交通手段(特に空路)の飛躍的な発達や在留外国人を取り巻く環境(社会的地位・金銭的待遇等)の変化などから、外国人コミュニティが国内の特定の地域に集まってバカンスを楽しむことは少なくなり、外国人避暑地の趣は各地で次第に影を潜めていった。ノンフィクション作家の山口由美によれば、箱根、日光、軽井沢といったリゾート地から外国人の常連客の姿が見られなくなったのは1970年代に入ってからで、意外なことに戦争の前後を通じて、ずっと同じような夏が続いていたという。平成に入ってからも後述の日本三大外国人避暑地や中禅寺湖では未だに外国人コミュニティが夏に集う様子が確認されているが、それ以外の地域ではもはやほとんど見られず、規模は明らかに縮小傾向にある(一方でニセコや白馬などの一部スキーリゾートで新たな外国人行楽地が生まれつつあることは注目に値する)。現在では日本人の富裕層に加えて大衆にも避暑が一般的に見られるようになっている。一般化してからは、別荘を所有することなく、短期の宿泊で避暑を行う者も増え、ホテル・旅館・コテージ・温泉などの宿泊施設がそれらの避暑客に対応している。特に夏季に酷暑が長期間となることが多い太平洋ベルト地帯の大都市住民の需要が大きく、主だった商業的避暑地は三大都市圏の近辺に多い。中央高地の山梨県・長野県・岐阜県に著名な避暑地が見られる。なお交通機関の発達により海外旅行が一般化したことで、海外の避暑地を訪れる者も珍しくなくなっている。 (外国人避暑地であった地域を太字で示す) 北海道:釧路、阿寒 青森県:十和田湖、酸ヶ湯 秋田県:田沢湖 岩手県:八幡平 宮城県:蔵王町 福島県:磐梯高原、会津高原 栃木県:那須高原、日光(奥日光・中禅寺湖) 群馬県:草津、伊香保、嬬恋 埼玉県:秩父郡 千葉県:銚子市、勝浦市 新潟県:越後湯沢、苗場 東京都︰高尾山 神奈川県:箱根、湘南地域(大磯・葉山・逗子・鎌倉等) 山梨県:富士五湖、清里高原(八ヶ岳山麓) 静岡県:御殿場 長野県:軽井沢、野辺山・蓼科高原(八ヶ岳山麓)、安曇野、上高地、志賀高原、開田高原 岐阜県:奥飛騨温泉郷、根の上高原 兵庫県:六甲山 和歌山県:高野山 鳥取県︰大山 大分県 : 別府 熊本県︰阿蘇地方・阿蘇山 長崎県 : 雲仙
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