日本における郊祀とは? わかりやすく解説

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日本における郊祀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/19 21:21 UTC 版)

郊祀」の記事における「日本における郊祀」の解説

日本では『日本書紀』において神武天皇即位後に鳥見山にて霊畤(まつりのにわ)を設置して郊祀行ったとされる神武4年2月甲申条)が後世の脚色あり、かつその祭礼記述内容中国郊祀とは異なるものである中国の影響受けて行われた郊祀最初は、桓武天皇の漢風化路線一環として延暦4年11月10日と同6年11月5日長岡京南郊にあたる河内国交野郡柏原交野柏原)にて郊祀が行われたものである現在の大阪府枚方市片鉾に昭和初期まで存在した小さな円丘がその祭場の跡だと言われている。後者の際に天皇実父ある光天皇併せて祀り、また祭文も「是天上帝に告ぐ」とする中国郊祀体裁採用している。これは、中国文化導入通じた律令政治再建意図するとともに天皇母方である渡来人系の和氏一族通じて中国文化親しんでいたこと、壬申の乱以来天武天皇皇統断絶して天智天皇皇統再興されたことを「新王朝創業擬え、「新王朝」の都である長岡京で天に対してその事実を報告する意図があったと言われている。 その後文徳天皇斉衡3年11月22日から翌日にかけて同じく柏原郊祀が行われている(『文徳実録』)。だが、この時には既に平安京遷都して久しく、一応柏原平安京南郊ではあるとは言え距離的に離れており、なぜ、平安京からみて、より近い土地新たに祭壇設置しなかったのか、延暦6年以来70年余り行われた記録の無い郊祀復活したのかなど謎が多い。しかも、日本の歴史郊祀が行われたと確認できるのは、延暦の2回と斉衡1回合わせた3回のみであり、実際にこの3回か行われなかったとみられている。日本における郊祀開催の経緯巡って多くの謎が残されている。

※この「日本における郊祀」の解説は、「郊祀」の解説の一部です。
「日本における郊祀」を含む「郊祀」の記事については、「郊祀」の概要を参照ください。

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