蓼科高原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/16 03:36 UTC 版)
蓼科高原(たてしなこうげん)は、長野県茅野市にある高原。北に蓼科山、東に八ヶ岳を望む。八ヶ岳中信高原国定公園に属する。蓼科高原、蓼科中央高原、奥蓼科温泉郷、白樺湖などのエリアに分けられ、西部の車山を蓼科高原の一部に含めることがある。
レジャー施設が多いほか、国道152号、国道299号、ビーナスライン(旧蓼科有料道路)が高原を縦横に貫き、ドライブコースとしても好眺望を楽しめる。
見どころ
- 蓼科湖
- 道の駅ビーナスライン蓼科湖
- 蓼科高原芸術の森彫刻公園[1]
- 北八ヶ岳ロープウエイ
- ピラタスの丘ペンション村
- 蓼科グリーンバレー
- 蓼科温泉郷
- 奥蓼科温泉郷 - 横谷温泉、渋御殿湯温泉、明治温泉
- 御射鹿池
- 蓼科大滝
- 乙女滝
- 小津安二郎記念館-無藝荘[注釈 1] - 小津安二郎記念蓼科高原映画祭の会場の一つ
- 新・雲呼荘野 - 野田高梧記念蓼科シナリオ研究所(前身、野田高梧の山荘「雲呼荘」)(記念館)
- 公開時間・10:00 - 16:00(休館日・水曜日〈冬期休館〉)
- 蓼科アミューズメント水族館
- 蓼科高原美術館矢崎虎夫記念館
- 蓼科山聖光寺
- 蓼科高原バラクライングリッシュガーデン
- TINY GARDEN 蓼科
- 蓼科東急スキー場
- 白樺湖ロイヤルヒルスキー場
- 白樺リゾートスキー場
- ピラタス蓼科スノーリゾート
- 白樺湖(茅野市蓼科と北佐久郡立科町にまたがる境の湖)
隣接した北佐久郡立科町の施設
脚注
注釈
出典
外部リンク
座標: 北緯36度3分31.73秒 東経138度16分21.19秒 / 北緯36.0588139度 東経138.2725528度
蓼科高原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:07 UTC 版)
湯川財産区有地の蓼科高原では1948年5月、小型バス3台、1日4往復体制で諏訪自動車による茅野駅とのバス路線が再開され、同年6月から8月までの夏山輸送期間中に2万5000人、翌1949年の同期には5万3000人を輸送した。1949年5月には蓼科観光協会が発足し、温泉保養地から観光地への脱皮を目指して初の観光ポスターを作成。茅野駅構内に観光案内所を開設して観光宣伝事業を始めた。 また1952年には、旅館経営者の村長、篠原久造の提案で、湯川区出身者中心の中山開拓団が農業開拓に携わっていたプール平の入り口にあたる地に、温水ため池「蓼科湖」を建設。同年には中山開拓団の手で湖の南岸に23棟のバンガローが建設された。 この年には、戦前からの滝の湯・親湯・小斉の湯・高原ホテル・美遊喜(のちの三幸ホテル)・山紫閣(のちの滝の湯別館)の蓼科高原6温泉経営者が出資して蓼科観光株式会社も設立され、蓼科湖畔の観光開発を湯川区から受託。滝の湯から湖畔に引湯を行い、冬季の観光客誘致を目指して天然スケートリンクの整備に取り組んだほか、自家用バス2台を購入して無償で観光客を輸送。以後、旧来のプール平周辺と蓼科湖周辺の2地域を中心に観光開発が進んだ。 蓼科高原では、湯川財産区が1960年に滝の湯・親湯・小斉の湯や蓼科湖などを含む周辺206haを一括して東洋観光事業株式会社(トヨタ自動車販売子会社、のち松本電気鉄道子会社)に3億円で売却するまで、明治以来の10年ごとの入札請負制に基づく財産区民による営業しか認めなかったため、6温泉以外が経営する宿泊施設や飲食店が存在しない状態が続いた。
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