蓼科温泉とは? わかりやすく解説

たてしな‐おんせん〔‐ヲンセン〕【蓼科温泉】

読み方:たてしなおんせん

長野県茅野市蓼科山南麓にある温泉泉質単純温泉炭酸水素塩泉酸性泉など。近くの滝ノ湯・親湯(しんゆ)などと蓼科温泉郷をなす。


蓼科温泉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:07 UTC 版)

北山村 (長野県)」の記事における「蓼科温泉」の解説

村内蓼科高原には、江戸時代高島藩所有し請人運営委託していた3温泉現在の蓼科温泉郷奥蓼科温泉郷)があり、明治以降地元住民が県から借り受ける形で営業行った北山村発足直後1879年には次の状況だった(「北山村誌」)。 滝の湯 - 浴場 3・宿舎 3・年入湯客 約1,500人 親湯(巌温泉) - 浴場 1・宿舎 3・年入湯客 約1,300人 渋の湯 - 浴場 2・宿舎 4・年入湯客 約3,200交通の便が悪いため、明治末にかけて近隣高齢農民自炊湯治主とする湯治場の状態が続き外部からの観光客少なかったが、小説家伊藤左千夫日本画家平福百穂らが、湯川区歌人篠原志都児(しづこ)らの招待で親湯に滞在し蓼科高原様子作品通して紹介したことを契機に、関東地方中部地方一帯知られるようになった1903年に渋の湯が糸萱新田ヶ沢財産区に、1909年滝の湯・親湯が湯川財産区払い下げられ、ともに競争入札財産区民から湯請人選び経営請け負わせた。同時期に北山旅舎組合北山温泉衛生組合山浦鉱泉組合の各温泉業団体発足し道路整備宿泊料協定防火衛生設備充実共同広告実施などを進めた。また明治末期には滝の湯に近い湯川財産区有地内に小斉温泉小斉の湯)が設けられた。 1900年代には茅野駅と各温泉を結ぶ茅野駅馬車組合乗合馬車運行始まり夏季中心に次第に賑わうようになった1919年には滝の湯経営者矢崎源治が「滝の湯自動車」を創設し小型バス運行し茅野駅湯川間を2時間結んだ滝の湯自動車1927年茅野駅滝の湯間の運行開始し同年には渋の湯経営辰野茂も「渋の湯自動車」を設立1929年には矢崎源治茅野上諏訪商店主らが設立した「東諏自動車」が営業開始し、米フォード社バス茅野駅湯川小斉の湯間で乗合バス運行始めた交通機関発達で、蓼科温泉の湯治客は伊那佐久地方山梨県などに拡大した上、夏には避暑静養目的とする東京などからの観光客急増。また大正期から盛んになった八ヶ岳登山も、北八ヶ岳からの縦走者の増加にともない、渋の湯などが登山基地として多く利用されるようになった

※この「蓼科温泉」の解説は、「北山村 (長野県)」の解説の一部です。
「蓼科温泉」を含む「北山村 (長野県)」の記事については、「北山村 (長野県)」の概要を参照ください。

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