湯川区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 06:07 UTC 版)
原の城 - 戦国時代に飛岡橋より北方、棒道と大門街道旧道が合流する湯川集落の入り口に設けられた武田家の砦。北山小学校の西方一帯に相当する。軍勢の中継地や街道の関所として用いられたと見られ、大規模な掘り割りや土塁が設けられていた。 枡形城 - 戦国時代に原の城北方、滝ノ湯川左岸に設けられた武田家の砦。滝ノ湯川と「砦の沢」と呼ばれる東西に伸びる掘り割りに挟まれた台地に土塁や空堀を設けたもので、城門には武田家の城に特有の「丸馬出し」が設けられていた。付近には江戸時代、高島藩の関所が設けられた。戦後実施された耕地整理に伴い、砦の沢の一部が残る以外遺構は現存しない。 だるま石 - 鬼石よりさらに上、滝の湯道(現・県道茅野停車場八子が峰公園線)とお鹿山(おしかやま、現・東急リゾートタウン蓼科=鹿山財産区区有地)に入る道との分岐付近にある。立ち達磨と寝達磨の2つの石があり、旅人が寝達磨に腰を下ろしたところ、尻が石から離れなくなり、にらめっこしたが旅人が根負けして石にあやまったところ、自然への感謝の気持ちを忘れるなと石に諭された言い伝えがある。
※この「湯川区」の解説は、「北山村 (長野県)」の解説の一部です。
「湯川区」を含む「北山村 (長野県)」の記事については、「北山村 (長野県)」の概要を参照ください。
- 湯川区のページへのリンク