戦後の密航とは? わかりやすく解説

戦後の密航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 18:56 UTC 版)

在日韓国・朝鮮人の歴史」の記事における「戦後の密航」の解説

戦後朝鮮半島から多く朝鮮人日本国内密航した。それは戦後日本から帰国したものの、朝鮮社会混乱しており、生活が予期したほど良好なものでないため、再び日本戻ろうし、また日本敗戦から復興したため、そこでの生活に憧れて渡航しようとしたことなどが、背景として指摘されている。特に政情不安に関して1948年済州島四・三事件がある。韓国政府による済州島民への虐殺日本への難民大量に生んだ済州島四・三事件鎮圧命じられ韓国軍韓国本土反乱起こした麗水・順天事件の際にも日本への密航者生み出された。検挙者数は、男子より女子の方が多く、さらに1歳 から14歳までの幼児全体20%達している。これは、肉体的に頑強な青壮年多く脱出成功し逃げ足の遅い婦女子子供検挙され結果であると指摘されている。 朝鮮北部では1946年8月以降北朝鮮労働党政権成立朝鮮南部では1946年11月南朝鮮労働党結成された。木村光彦青山学院大学によれば朝鮮及び日本共産党員日本海不法往来し日本共産党員は自らの船を「人民艦隊」と呼び朝鮮中国密貿易・密出入国繰り返し日本上陸した南北朝鮮共産党員工作員として活動した日本共産党在日朝鮮人緊密に連携して日本での暴力犯罪繰り広げ日本社会深刻な打撃与えていることが国会でしばしば議論になるほどであった済州島四・三事件及び麗水・順天事件政府鎮圧したが、共産主義者反政府活動及び保守派主導権争いのために政情不安と経済的困難が深刻化した。1946年1949年にかけて、正確な密航者数は把握できないが、日本への密航者の9割は在日朝鮮人であった検挙強制送還された密航者数は5万人近く森田芳夫戦後における在日朝鮮人人口現象」『朝鮮学報』第47号)に達し、未検挙者をその3倍~4倍と計算する密航者総数20万人25万人規模となり、済州島からは4・3事件直後2万人が「日本脱出した」とされ、在日韓国・朝鮮人はしばしば、「潜水艦乗ってきた」と言うが、これは密入国意味する述べている。 野口裕之産経新聞政治部専門委員)は、韓国歴代保守政府及び過去暴露恐れ加害者思惑から済州島四・三事件真相葬られているが、不都合な狂気の殺戮解明まともに取り組めば事件大量密航難民日本押し寄せた正史も知るところとなろう、また在日韓国・朝鮮人の中で、済州島出身者圧倒的な割合占めるのは事件後、難民となり日本逃れそのまま残った非合法合法人々数千人が原因である」と述べている。 1950年始まった朝鮮戦争時にも韓国政府による拷問独裁から逃れるために密航者生み出された。経済的理由から密航して来たものとしては、例え1947年孫正義祖父・父ら孫一族は日本密航船で入国しており。作家のキム・ギルホは「1973年食べていくため日本行の密航船に乗った」と証言した密航対馬起点漁師ブローカー日本国内密航支援者手引きしていたとされており、入管当局に見つかれば収容強制送還対象となった1950年頃の密航船の監視海上保安庁当たっていたが、敗戦国影響のため武装ができず、一方で朝鮮半島からの密航船は武装をしており、密航船の2割ほどしか検挙できない現状当時新聞伝えている。また、韓国政府日本摘発した朝鮮人密航者受け入れ拒否するため、強制送還できずに収容所入れていたが、韓国政府李承晩ラインにおいて韓国抑留した日本人返還条件として密航者収容所から解放するよう要求した。 『朝日新聞1955年8月18日65万人警視庁公安三課調べ)の在日朝鮮人のうち密入国者が10万人を超えているといわれ、東京入国管理局管内(1都8県)では、この昨年中のべ1000人が密入出国で捕まった全国ではこのざっと10倍になり、捕まらないのはそのまた数倍に上るだろうという」また、朝日新聞1959年6月16日「密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方マチマチだ」また、朝日新聞1959年12月15日天声人語韓国から日本逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。 昭和二十一年から昨年末までに密入国つかまった者が五万二千人、未逮捕一万五千人で、密入国実数はその数倍とみられるまた、産経新聞1950年6月28日には、「終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20から40万と推定され在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる」という記事掲載されている。 1948年には参議院で「朝鮮人犯罪餘りに多過ぎる。五十在留朝鮮人の中で一萬五千人からの犯罪者出しておる 非常に多い秩序立たない大きな原因は、朝鮮人犯罪であります」と強く問題視され当時総理大臣である吉田茂も「在日朝鮮人対す措置文書1949年)において、在日朝鮮人半数不法入国者で、大多数朝鮮人日本経済復興に全く貢献せず、多くは法の常習的違反者で、共産主義者など政治犯罪を犯す傾向強く常時7000名以上が獄中にいるという状態であることを伝えている。 元秀一は、外国人登録証所持して日本合法的に居住できる朝鮮人密航した朝鮮人在日朝鮮人形成されており、後者は主に済州島出身であり、これは済州島出自在日朝鮮人大阪市生野区中心に9万人にのぼることと無関係ではなくまた、大阪市生野区中心に偏在する在日朝鮮人縁故頼って密入国多く大規模な密航は、日本統治時代戦後済州島四・三事件ベトナム戦争時の徴兵逃れ三度にわたり、ほか離散家族再会同居思想的拘束受けない日本の大学への留学病気治療なども移住理由にあるとしている。1984年には朝日新聞が「法務省推定では、数万人の密航者が、息をひそめるように生活しているといわれる」と報じた佐藤勝巳外国人登録証を不正入手した密入国者が存在し、ある時期対馬に登録証の製造工場があったといわれ、敗戦直後日本から帰国した在日朝鮮人再度日本手続きなしで入国する場合は、登録証が売買され、そのため、ゆうれい登録証が大量に存在することを指摘している。 また、朝鮮総連雑誌において弁護士洪正秀は、「本名本籍本当生年月日外国人登録異なることが在日同胞場合多々あります」「実は私も朝鮮学校通っていた時代には「尹(ユン)」という氏を使用していました戦後、父が密航日本にやってきて、他人外国人登録買ったためでした。そのため、親族と会うときは「洪(ホン)」の氏を使用し学校では「尹」の氏を使用しました」と記している。

※この「戦後の密航」の解説は、「在日韓国・朝鮮人の歴史」の解説の一部です。
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