戦後の小松飛行場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 15:38 UTC 版)
日本海を挟んでソビエト連邦と対峙する飛行場であることから、進駐した米軍はレーダー基地を設置した。昭和33年に返還されるが、いち早く昭和30年に大阪-小松間の不定期民間航路が開かれている。昭和36年に航空自衛隊小松基地が設置され、共用飛行場となった。ボーイング747級の大型機の離着陸が可能な上に、嵩上げ工事によって貨物機の受入れも整っており、民間航空にとって重要な飛行場となっている。一方、ソ連・ロシアや朝鮮民主主義人民共和国を想定した空自の重要基地でもあり、領空侵犯に対する緊急発進も行われている。
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