戦後の寿司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:05 UTC 版)
第二次世界大戦直後、厳しい食料統制のさなか、1947年(昭和22年)に飲食営業緊急措置令が施行され、寿司店は表立って営業できなくなった。東京では寿司店の組合の有志が交渉に立ち上がり、1合の米と握り寿司10個(巻き寿司なら4本)を交換する委託加工として、正式に営業を認めさせることができた。近畿をはじめ日本全国でこれに倣ったため、日本で寿司店といえば江戸前寿司一色となってしまった。当時を知る職人は、「あらかじめダミーの米を入れる袋を用意して店頭に置き、取り締まりを逃れて営業したこともある」と述べている。 戦後の高度経済成長期になると、衛生上の理由から既に屋台店は廃止され、廉価な店もあるにはあるものの、寿司屋は高級な料理屋の部類に落ち着いた。1960年代から1970年代にかけて、サラリーマンを題材とした漫画では、夜遅くまで外で飲み歩いた亭主が、妻の機嫌を取るために寿司の折り詰めを買って帰るという姿が描かれることもしばしばあった。国鉄東海道本線の電車急行ではビュッフェで寿司コーナーを設置していた。
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